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第5話 劇団武田入団試験




「止してくれ。お前が頭を下げていると居心地が悪くて堪らん。

それに誰かが急用でここに現れたら、どう説明する? 頼むから頭を上げてくれ」



 足音が部屋の前で止まり、胸をドキリと跳ねさせる。

 一拍の間の後、戸が立て付けの悪い音を鳴らしながら開いたのを合図にして、下げている頭をより下げて、額を畳にくっ付ける。


 すぐに気さくな第一声が頭上より下りてくるが、態勢は維持したまま。

 面接官が着席して面接開始の言葉をきちんと発するまでは用意された椅子の傍らに立って待つ。それが失業保険を貰う為に出席した再就職支援セミナーで教えられた面接マナーである。


 無論、俺が座っている位置は縄わらの座布団の位置を変えた部屋の下座。

 部屋の隅に重ね置かれていた縄わらの座布団二つを上座に設置済みでもある。


 あと必要なのは謙虚でありながら堂々とした態度だが、その点は問題無い。

 幸か、不幸か、失業してからの面接経験は二十社を超える。今の世の中、正社員採用は厳しくて、全てが残念な結果に終わっているが、場慣れだけは十分に有る。



「むっ!? あまり手を付けておらぬな? 口に合わなかったか?」

「申し訳ございません。私には少々辛すぎたようです」

「ふむ……。こんなものだと思うがな?」

「拙者は少々物足りないですな。やはり、漬物は塩辛いほど飯が美味い」



 出入口の脇に寄せておいた夕飯の食べ残しに気づいたらしい。

 大根の漬物を頬張る歯応えの良い音が響き、二人の感想に伏せている顔を引きつらせる。


 海を持たない甲斐と信濃において、塩は貴重品。

 武田信玄は時に深刻な塩不足で喘ぐ事が有ったらしくて、それを見るに見かねた宿敵の上杉謙信が塩を武田信玄に送ったロマン溢れる逸話さえも有る。


 それだけに甲斐と信濃では塩辛いモノがご馳走という認識が有るのかも知れない。

 もし、これが正しいとするなら、武田信玄が早逝した原因が解ったような気がする。現代の感覚を持つ俺から見たら、毎食を塩辛いものを食べていたら塩分過多で早死にする確率が高まるのは当然だ。



「さて、話が長くなるかも知れん。足を崩してくれ」

「では、お言葉に甘えさせて頂きます」



 武田信繁と山本勘助の二人が上座に座った気配を感じ、ここで頭をようやく上げる。

 更なる気さくな言葉に俺と正対する武田信繁の少し右斜後ろに控えた山本勘助へ視線を送り、その顎先が小さく動くのを待ってから正座を崩して胡座に座り直す。



「本当に良く似ている。……いや、兄上そのものと言って良い。

 この儂ですら、そう感じるのだから他の者なら尚更だ。兄上と疑わないだろうな」



 歴史において、武田信繁の知名度はそれほど高くない。

 だが、武田信繁は紛れもない英雄である。武田二十四将の中、武田の副大将として位置付けられており、武田信玄を公私共に支えた右腕的な存在だ。


 一方、山本勘助も武田二十四将は勿論の事、武田五名臣にも数えられる武田家の大功臣である。

 知名度は戦国時代を代表する軍師の一人として高く、その敵を見事に翻弄する軍略は『摩利支天』と讃えられて、当てずっぽうの事を『山勘』と言うのは山本勘助の名前が語源となっている説があるほど。


 その二人が目の前に居り、真剣な眼差しを向けながら俺を探っている。

 緊張するな、気圧されるなというのが無理な話でも、今こそが人生最大の勝負どころ。負けられない戦いに心を奮い立たせて目に力を入れる。



「だから、単刀直入に聞こう。お前、親父殿の隠し子か?」

「へっ!?」



 ところが、第一問目が予想外過ぎた。

 この部屋に閉じ込められてから、どんな質問を投げられても平気なように様々な回答を用意して待っていたが、この問いかけは予想していなかった。


 いや、よくよく考えてみると、これが最も現実的な質問である・

 未来がどうの、タイムスリップがどうの、平行世界がどうのとSFファンタジーな思考に囚われていた自分がちょっと恥ずかしい。

 今の心境を表現するとしたら、限界までパンパンに膨れていた風船がパンッと割れるのではなくて、空気が注ぎ口からプシュ~ッと漏れて縮んでゆく感じ。

 ずっこけるまでには至らなかったが、緊張のあまり力が自然と込められていた右手が置いていた膝の上から滑ってしまい、慌てて崩れた姿勢を戻す。



「あまり褒められた話ではないが、うちの親父殿は大の女好きでな。

 しかも、種をあちこちにばら撒いておいて、畑の手入れは放ったらかし。

 最近はとんと見かけなくなったが、私はあなたの兄弟ですと名乗り出る者が一時期は絶えなくてな。兄上と一緒に頭を抱えたものだ」

「私は違います」

「今の様子を見る限り、その様だな」

「はい」



 だが、その反応が意外にも功を奏したらしい。

 武田信繁の強い眼差しが緩むと共に俺の緊張も緩み、その少し出来た余裕の中で気付く。

 山本勘助が座ったかのように見せかけて、腰を微かに浮かせながらも隣に置いた太刀から左手を未だ手放していないのを。


 冷や汗が背筋を流れて、これが戦国時代かと思い知らされる。

 俺は知らず知らずに死地へと引き込まれていた。対応を違えていたら、今頃は首と胴が分かれていたに違いない。

 その証拠に武田信繁が視線を右奥に軽く送ると、それを合図に山本勘助が左手を太刀から離すと共に腰を落とした。


 今の問いかけにどんな意味があるのか。頭を懸命に働かせる。

 常識的に考えると、血縁を問いかけているのだから双子を疑っているのだろう。


 双子に関する迷信は世界中にみられる。

 日本でも偏見が薄れてきたのは近代になってからであり、双子は長らく忌み嫌われてきた歴史を持つ。


 理由は簡単。長子が親の全てを継承する社会において、双子は問題が生じやすいからだ。

 双子が生まれた場合、片方は養子に出されるか、産まれた時点で闇に葬られるか。双子が双子として育った例は極めて少ない。


 特に武家などの高い身分を持つ家ほど傾向が強い。

 それこそ、双子の出産に立ち会った関係者はその事実を口外するのを堅く禁じられ、時には口封じの為に殺される事さえもあったとか。


 そこまで考えが至り、次に逆の立場になって考えると、答えが見えてきた。

 元服前ならまだしも、元服をとっくに過ぎた双子が唐突に現れたら、それはもうタカリ以外の何者でもない。


 甲斐と信濃の二国は山に囲まれており、平地が少なくて、流れる川は氾濫が多い。米の石高は土地の広さに比例していない。

 支配者だからこそ、浪費を抑える強い自制が必要になるが、タカリを目的にする性根の者に自制を期待するのは最初から間違っている。影武者に仕立て上げたら、これ幸いと思うがままに財産を食い潰してゆくに決っている。


 だったら、最初に殺しておいた方が手っ取り早い。

 即ち、俺は最初の第一関門を突破したが、この面接の難易度はベリーハードどころか、ナイトメアを越えたヘルレベル。少しでも間違ったら死が待っており、コンティニューが効かないのだから泣けてくる。



「だったら、お前は何者だ?

 箸を使えるのだから、タヌキやキツネの類ではあるまい。

 妖かしかと疑ったが、この神域で平然としている。何故、そうも兄上と瓜二つなのだ?」

「それはただの偶然としか」

「その偶然を信じられんと言っている」



 こうなったら作戦変更だ。

 武田信繁と山本勘助の二人が求めているのは明確な結論。御託を並べるのは後にして、まずは結論から入ろう。

 二人の姿をスマートフォンで撮り、その動画で度肝を抜くのは最後の最後。陰陽師だ、妖術師だと騒がれた挙句、いきなり斬られては堪らない。



「では、単刀直入に言います。

 そもそも、私は室町の世に産まれた者では御座いません。

 今から約四百年後の未来。数えて、第125代平成天皇の世に生きていた者です」

「「へっ!?」」



 その結果、俺の選択は間違っていなかった。

 二人は揃いも揃って口を半開きにしながら目をパチパチと瞬き。そのまま暫く固まった。




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