「……で、鳥居を抜けた先に我々が居たと?」
「その通りです」
俺が戦国時代にタイムスリップした経緯を離すと、武田信繁はあからさまに胡散臭そうな表情を浮かべた。
当然と言ったら、当然の反応。常識的に考えて、遥か遠い未来から訪れたなんて荒唐無稽が過ぎて、馬鹿馬鹿しいだけ。
しかし、俺には十分な勝算があった。
経緯を聞いて持つだろう疑問を武田信繁か、山本勘助のどちらかが口に出してくれたら、俺の勝ちは決まったようなもの。
「勘助、あの辺りに神社などあったか?」
そして、心の中でガッツポーズ。
面接開始から緊張と焦りにハラハラしっぱなしだったが、初めて一息が付けた。
なにしろ、嘗ては迷信が本気で信じられていた。
現代では科学的に、或いは化学的に説明が簡単に出来る現象でさえ、それが不可解な現象なら神仏や妖怪などの仕業とされていた。
それを踏まえると、現代でも解明が出来ないタイムスリップの超常現象は、現代の人間よりこの時代の人間の方が信じて貰い易い土壌がある。
但し、信じて貰う為の大前提となる問題が一つ。
俺がタイムスリップした場所に、未来の世で川中島古戦場と呼ばれる場所に神社が今も存在していなければならない。
もし、神社があるならタイムスリップと結びつけられるが、神社が存在しなかったら二人の説得は困難を極める。謀ったとして、この場で殺される可能性が出てくる。
「はて? あの時、我々は正に必死でしたからな。
それにあの霧です。例え、あったとしても気付くのは難しいかと……。
ただ、あの辺りは八幡原と呼ばれているのは確かです。ならば、八幡様を祀った社があるやも知れません」
だが、その問題に関しても俺には十分な勝算があった。
武田信繁の問いかけに山本勘助が応えた通り、地名とは一旦でも定まってしまったら、そうそう変わるものでは無い。
ましてや、川中島古戦場の神社が祀る八幡大神。その総本社である大分県宇佐市の宇佐神宮が持つ歴史は戦国時代より遥かに古い。
日本各地には宮司さんが常駐しない小さな社と鳥居だけの神社は数え切れないほど存在しており、今は川中島古戦場と呼ばれていなくても、その場所に八幡神社だけは小さくても存在している可能性は非常に大きかった。
「恐らく、まだ小さな社なのかと……。
……と言いますのも、第四次川中島の戦い。それが川中島古戦場を一躍有名にした理由だからです」
「第四次だと? 我等武田が長尾と北信濃で相対したのはこれまで三度。それを……。」
ここぞと用意していた爆弾の導火線に火を点けると、その効果は抜群だった。
武田信繁が山本勘助に向けていた視線をこちらに素早く戻して、怪訝そうな表情を浮かべる。
「なるほど……。400年後の世から来たのだから、結果を当然知っているという訳か。
だったら、問おう。この戦国乱世で勝ち鬨を挙げたのは……。我等と長尾、どちらだ?」
一方、山本勘助はさすが戦国時代を代表する軍師である。
俺が言わんとする事を正確に理解すると、皺を眉間に深く刻みながら鋭い眼差しを向けた。
最早、犬猿の仲となっている武田家と後に上杉家と名を改める長尾家。
両家の力は拮抗しており、東日本の戦国大名の中ではどちらも頭一つを抜けた存在。どちらかがどちらかを打倒すれば、比類無き力を得て、天下を目指す道がはっきりと見えてくる。
だからこそ、領土を接してしまった武田信玄と上杉謙信は川中島を舞台に五度も刃を交えている。
その未来を知ると語る者が目の前に居る以上、武田家に仕える忠臣としてはその未来を知りたくなるのが当然だ。
「それを教える前に約束して下さい。
何を言われても絶対に怒ったりしないと……。それと御二人の刀を部屋の隅に置いて下さい」
しかし、そう簡単に応えられない。
織田信長によって、武田家は滅んでいる。上杉家の没落ぶりなら喜んで聞いてくれるかも知れないが、自家が滅亡したと聞いては面白くないどころか、絶対に冷静でいられる筈が無い。
家系の断絶に関して、考えにおおらかになったのは第二次世界大戦後の高度成長期を過ぎてから。
職を求めて、皆が都会に集った結果、家と家の繋がりが薄くなり、お見合い結婚よりも恋愛結婚が当たり前になった四十年前、五十年前の話だ。
それ以前は庶民だろうと家の断絶は一大事と考えられて、結婚後三年で子供を身籠らない女性は石女と蔑まれた上に一方的な離婚の理由になっていたくらい。
それだけに慎重に慎重を重ねなければならない。
日本刀を部屋の隅に置いたとしても、二人の内のどちらかがその気になったら、武芸の心得を持たない俺にはどうする事も出来ない。
それ故、心構えを作って貰う為、警告する。
武田信繁と山本勘助の二人が理論より感情を優先する猛将タイプなら効かないだろうが、俺は二人が逆のタイプと戦国時代の知識で知っている。この警告そのものがワンクッションになる。
「ああ……。解った。勘助」
「御意」
案の定、二人は眉をピクリと跳ねさせると、表情を真顔に変えた。
二人にとって、これから俺が話す内容が面白くないものだと察したに違いない。
「この神社の二柱、生島大神と足島大神に誓って下さい」
「良いだろう。二柱様に誓おう」
「山本様もお願いします」
「解った。儂も誓おう……。何なら誓紙も用意するか?」
その上、二人が部屋の隅に日本刀を置くのを待って、しつこいほどの念押し。
先ほども言ったが、今は迷信がまかり通り、誰もが神仏を本気で信じていた時代。神仏に対する誓いは絶大な効果を持つ。
これで駄目ならお手上げだ。
それにしても、たった半日前まで自分の生き死にを本気で考えなければならないなんて思ってもみなかった。
正直、神様が本当にいるのなら俺の方が問いたい。
何故、俺はこんな所に居るのか。俺がこんな所に居るのは何らかの目的が有ってなのかを。
「いえ、そこまでなさる必要は有りません」
「なら、教えてくれ。兄上が亡き今、これからの武田はどうなる?」
しかし、今は目の前の関門を突破する事に集中だ。
まるで俺を射殺さんとする二人の鋭すぎる眼差しに全身が粟立って、心臓が痛いくらいにドキリと跳ねる。
「では、最初におかしな話になりますが……。
私が知っている歴史において、武田晴信様がお亡くなりになったのは今よりもずっと先。
先ほど申し上げた第四次川中島の戦いにて、信繁様と山本様が討ち死にされた後の出来事になります」
もしかしたら、自分を守る為の代価として、二人から遠慮を取り除かせたのかも知れない。
旗色が悪い。竦んで震える心を奮い立たせて、武田家の未来を語る前に二人の未来を語り、さらなるワンクッションを入れる。
「な、何っ!?」
まさか、自分の死を明確に告げられるとは思っていなかったに違いない。
武田信繁と山本勘助の二人は同時に腰を勢い良く浮かせて膝立ち、目をこれ以上無く見開いて固まった。
******
「にわかには信じられん。だが、しかし……。
城を海津に築き、景虎をそこへ惹き付けて、本陣は茶臼山に布陣。
景虎の軍勢を東西から挟撃するという策は、儂が考えていた策と見事に一致する。
ただ、この策は今回の戦いに間に合わず……。信繁様、殿からこの策に関してを聞き及んでいますでしょか?」
目論見通り、武田信繁と山本勘助の二人は見事に喰い付いてきた。
第四次川中島の戦いについて、戦いが起こった経緯なども含めて知りうる限りを説明してゆくと、武田信繁は腕を組んで真剣に聞き入り、時にやや身を乗り出しながら相槌を打って、まるで子供が母親に知らない昔話をせがむように楽しんでいるのが見て取れたが、山本勘助は違った。
山本勘助は途中から目を驚きに見開きっぱなし。
最後は身体を微かにブルブルと震わせて、顔色を真っ青に変えていた。
それを不思議に感じていたが、今の言葉を聞いて納得である。
自身が胸の内に秘めていた将来の作戦を次々と隅々まで言い当てられては驚きを通り越して恐ろしくもなる。
その上、第五次まで数える川中島の戦いにおいて、第四次川中島の戦いは武田信玄が開戦当初から決戦を積極的に仕掛けた唯一の戦い。
他の四戦は決戦を嫌がって退いている事実を考えたら、それだけ勝てる自信が大きかったに違いない。
そして、武田信玄の自信はその作戦を立案した山本勘助の自信でもある。
それが試す前に駄目だと解ってしまったのだから、その衝撃たるや計り知れないものがある。
「いや、知らん。初めて聞いた」
「……でしょうな。この策は秘中の秘、景虎に知られては城を築くどころでは有りません。
敵を欺くにはまず味方からと知るのは私と殿の二人のみ。景虎の留守を狙って、海津に城を築く予定でしたから」
これで俺の言葉の信憑性はグンと増した。
武田信繁と山本勘助の二人が泡を喰っている今こそが攻め時だ。立ち直る暇を与えてはならない。
「さて、本題の武田家の行く末に関してですが……。」
「「お、おう」」
半ば強引に二人の会話に割り込んで勝利を確信する。
慌てて俺に戻ってきた二人の視線に先ほどまであった鋭さは見当たらず、動揺の上に動揺を重ねた畏れの色が感じ取れる。
「ずばり、武田家は庶家を残して滅んでいます」
気は抜けないが遠慮は要らない。
膝に置いた両手に力を込めて、俺の今後の全てを賭けた渾身の一撃を放った。