「あれから、三ヶ月か……。
どうなる事かと思ったけど、朝からまったりと温泉……。最高だな」
十人は余裕で入れる大きな岩風呂を独り占め。
山の泉源より絶え間なくこんこんと湧き出て、湯口から緩やかに注がれているかけ流しの温泉の音を耳にしながら、顔をオレンジ色に濁る湯で洗う。
ここは諏訪湖の北に位置する毒沢温泉。
義信に家督を譲った俺の隠居地として、信繁さんが選んだ場所である。
隠居地、その響きに何となく寂しさを感じさせるがとんでもない。
朝っぱらから岩風呂を贅沢に独り占めしている時点で解る通り、ここはパラダイス。
確かにここを初めて訪れた時はしょぼかった。
諏訪大社というビックネームが目と鼻の先にあり、そこから街道が東西南北に伸びていても、ここは一歩手前の知る人ぞ知る秘湯地。農地面積はとても狭い山間地の為に少なくて、農業だけでは暮らしていけず猟師を兼業で営む家が十軒ほど立つ小さな集落だった。
ところが、俺の隠居地に選ばれた事で様変わり。
山と森が切り開かれて、その小山の斜面に俺が今住んでいる屋敷が建ち、それを守る丸太を立てた防壁と東西を監視する物見櫓が作られた。
最早、砦である。
実際、常時百人の兵士達が屋敷を朝夜の二交代制による二十四時間体勢で守っている。
もっと警備の数を減らして、十人、二十人くらいで良いのではと俺は提案したが、信繁さんは頑なに譲らず、俺が住む屋敷が出来上がると次は兵士達の住む長屋が雨後のタケノコのようにぽこぽこと建ち並んだ。
こうなってくると利に聡い商人達も動いた。
大小様々な甲斐と信濃の商人が街道沿いに支店を続々とオープン。
これに伴い、人々や荷物の往来がぐんと増えた。
それ等を監視する為の関所まで設置されて、今では元の寂れた光景は何処にも無い。小さな城下町化しつつあった。
しかも、これがたった三ヶ月の間で起こっている。
一日、一日が過ぎる度、光景があれよあれよと変わってゆくのだから。凄いの一言。
ブルトーザーのような土木作業車も無ければ、トラックのような資材運搬車も無い。
用いられている道具も現代のように洗練されておらず、全てが手作業、力仕事でも、この三ヶ月間で動員された作業員の数が半端無い。武田家の支配力の高さを垣間見た。
哀れなのが、この地に元々住んでいた住人達。
農地が少なくて、運の要素が強い猟師では生計が厳しかったのだろう。新築ばかり建ち並ぶ中、彼等が住んでいる古いあばら家達が酷く見窄らしくて惨めと言うしかない。
開拓前、信繁さんが彼等を何処かへ強制的に移住をさせようとしたのは正しかった。
それを俺は先住者なのだから此方の都合で地上げするのは良くないと止めたのだが間違っていた。こんな事になるとは思ってもみなかった。
しかし、今更になって移住を再提案するのも、彼等に新築の家を無償で提供するのもおかしな話。
彼等をどうにかしてやれないだろうか。ちょっとした罪悪感から苛まれるそれが最近の俺の悩みだった。
「大殿、賄い方から朝食が少し遅れるとの事です」
「そうか、解った」
「それまでの間。もし、よろしかったら、お背中を流しましょうか?」
「そうだな。頼むとするか」
脱衣所へ繋がる戸がゆっくりと開く音が聞こえた。
釣られて振り向くと、湯浴み着を着た少女が頭を下げながら正座をしており、その申し出に頷いて湯から立ち上がる。
ちなみに、この地が隠居地に選ばれた理由は三つ。
一つ目は、単純に温泉がこの地に湧いているから。俺は川中島の戦いで落馬した際に腰を痛め、たまたま川中島からの帰り道に立ち寄ったこの地の温泉を気に入り、そのまま湯治を兼ねた隠居地として定めたという設定だ。
つまり、俺は武田家の本拠地である甲斐には戻っておらず、これが二つ目の理由に引っかかってくる。
俺と晴信の二人がどんなに瓜二つだろうと、それは見た目だけ。晴信の奥さんを筆頭にして、晴信と近しい者達の傍に長らく居たら、立ち振舞いに違和感を覚えるに違いない。
だから、それを矯正する時間が必要だった。
最初の一ヶ月は基本的に姿を人前に現さず、何をするにも、何処へ行くにも信繁さんが腰を痛めた俺の介護という名目で一緒。立ち振舞いに問題が有る度に注意を受けて、それを少しづつ直していった。
また、それと並行して重ねたのが筆跡を晴信のものに似せる修練。
戦国時代の古文書を見た経験がある人なら解ると思うが、その文字は達筆というか、クセが強い。使い慣れていない筆の扱いも苦労した。
信繁さんが教材として選んだのは、晴信が孫子の兵法書を自分なりに解釈、改良して残しておいた走り書きのメモ。
毎日、毎日、何枚も、何枚も、信繁さんが合格を出すまでメモを清書する作業は、まるで兵法書を編纂しているような気分だった。今では晴信流の兵法が頭にしっかりと詰め込まれて、諳んじる事さえも出来る。
もっとも、俺が戦場に立つ必要性が有ったとしても、俺は影武者。
指揮は家督を継いだ義信か、信繁さんが執る。俺が指揮を執らなければならない状況など訪れないし、もし訪れたらそれはよほど切羽詰まった状況であり、そんな状況は御免被る。
最近、教材が変わり、武田家領内の刑罰に関しての清書を行っているのだが、密かに感じている事が有る。
それは晴信流兵法の編纂が我ながら良い出来栄えだった為、信繁さんはまだまだ駄目だと言いながらも、この際だからいつかはやろうと思いながらも溜まりに溜まっていた未編纂の書類を俺にやらせているのではないかと。その証拠に晴信が書いた書類もあれば、信繁さんが書いたと考えられる書類も有り、次第に後者の比率が増え始めている。
最後の三つ目は、この地が武田家の本拠地である甲斐の躑躅ヶ崎館と遠くもなく、近くもない絶妙な位置に有り、甲斐と信濃の中心にも位置するからだ。
ここなら甲斐の家臣達が持つ晴信の威光を薄れさせると共に、完全に心服しきれておらずに故さえ有ったら裏切る可能性がある北信濃の家臣達に対する睨みも効き、長尾家の調略に対する牽制にもなるというのが勘助さんの考えである。
「んっしょ……。んっしょ……。んっしょ……。んっしょ……。」
「おお、良いぞ。その辺りだ」
「はい、ここですね! んっしょ……。んっしょ……。」
洗い場の風呂椅子に堂々と座る俺の背中を一心不乱に洗う少女。
掛け声を繰り返しながら鼻息をフンス、フンスと噴き出している様子が微笑ましくて、ついつい苦笑が漏れる。
彼女の名前は桃。名目上は俺の側仕えだが、その実は隠居した俺に北信濃のある家臣が差し出してきた人質である。
さて、信繁さんと勘助さんについて。
現代では人付き合いが決して上手くなかった俺だったが、年齢差が有りながらもかなり親しくなっている。
それと言うのも戦国時代にタイムスリップした三日目で実感したが、この時代は娯楽というものがまるで無い。
娯楽と言ったら、将棋や囲碁、和歌や漢詩といった現代に生きていたら馴染みが薄いものばかりで俺の肌に合わず、楽しめるようになったのは必要に迫られて習得した乗馬くらい。
最大の娯楽は他者との会話であり、影武者としての修練の目的も有るが、ここ三ヶ月間は信繁さんと勘助さんの二人と多くの時間を共有した結果、お互いの仲は自然と深まっていった。
だが、信繁さんも、勘助さんも俺とは違って才能に溢れる人物。
いつまでも俺一人にかかりっきりでいられる筈が無い。十日前、俺が影武者として十分に通用すると太鼓判を押して、今はそれぞれの場所へ戻っている。
信繁さんは武田家の本拠地である甲斐の躑躅ヶ崎館へ。
今後は緊急事態を除き、月に一回。甲斐での出来事を土産話にここを訪れると言っていた。
勘助さんは俺の知る歴史で武田家滅亡の大きな要因になった鉄砲がよっぽど気になったのだろう。
鉄砲を手に入れて、その性能をしっかりと学び、甲斐信濃へ移住してくれる鉄砲鍛冶師を探す為の旅に出た。多分、数年は会えない。
それ故、俺は二人が居ない不安以上に寂しかった。
寂しくなると人の温もりが欲しくなる。それが人間というもの。
「むっ!? いかん!」
「な、何か粗相をっ!?」
「これを見よ。桃のせいで褌からマムシが鎌首をもたげたぞ」
「ま、まぁ……。お、大殿ったら、朝からイケナイ御方。さ、昨夜もあれほど睦み合いましたのに」
以上の理由から俺は無罪。悪くないったら悪くない。
それに俺の側仕えになった桃にはソウいう役目も含まれており、ソウいう事を行わなければ、桃が困ってしまうのだから仕方が無い。
余談だが、桃は数え年で十五歳。胸はまだ膨らみかけ。
一方、晴信の影武者である俺は対外的に三十七歳となる。現代では許されない関係かも知れないが、戦国時代では合法である。
おかげで、色々な思惑は有れども俺にも彼女が初めて出来た。
信繁さんと勘助さんがここを去る三日前、桃が俺の側仕えになり、その夜に桃が俺の寝室で待っているまで『リア充、死ね』と幾度も世の中を呪ってきたが、現代は時代が遅すぎた。俺の時代はここ、戦国時代だ。
「良いな?」
「は、はい……。も、桃をお召し上がり下さい」
先ほど良い湯加減にたまらず漏れた言葉を今一度言おう。影武者、最高と。