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第9話 武田義信という息子




「なるほど、なるほど……。」



 縁側に胡座をかき、伸ばした左腕の先に立てた日本刀を眺める。

 手首を動かす度、刀身が陽の光をキラリーンと反射して輝き、その眩しさに目を細める。


 それを綺麗だとは感じるが、それ以外の感想は出てこない。

 俺の横には時代劇で見かける日本刀の手入れに欠かせないあの白いポンポンなどが置かれており、今は日本刀の手入れ中。


 晴信はこれを平時の日課にして、幾本も有る武田家所蔵の名刀を管理していたとか。

 当然、影武者の俺もそれを真似する必要が有り、馬で何処かへ遠乗りに出かけない日は、意外と面倒で面白みの無い作業でも昼食後の日課になっていた。



「なるほどなるほど、ではありません! 父上、私の話をちゃんと聞いてますか!」

「聞いてる、聞いてる……。」



 そんな俺の右隣。二メートルほど離れた場所から怒鳴り声を飛ばしてくるのは、俺の書類上の息子になった義信だ。

 俺が影武者になると共に義信が武田家当主になり、早いもので半年が過ぎて、季節は冬を迎えたが、やはり武田家にとっての晴信の存在はとても大きかった。


 どうしても晴信と比べられる義信は色々とストレスが溜まるのだろう。

 度々、甲斐からわざわざ出向いてきては家臣達をなかなか纏めきれない愚痴を俺に零していた。


 しかし、愚痴を何度も何度も聞かされる身としては当然の事ながら鬱陶しいし、影武者の俺はどうする事も出来ない。

 武田家当主という重責を背負う義信に同情を感じるところもあって、今までは愚痴を大人しく聞いていたし、当たり障りないアドバイスも行ってきたが、今日は強くガツンと言ってやる。


 それに先日訪れた信繁さんからも頼まれている。

 俺の元へ度々訪れる行為そのものが家臣達から侮られている要因の一つになっているらしい。



「それでしたら! ……うっ!? な、何をっ!?」



 こんな時、晴信ならどうするか。

 日本刀を手入れする傍らに悩んだ末、手首を捻って、義信の目を日本刀の反射光で焼く。

 たまらず義信が右手を顔の前に翳して驚き、そこへ日本刀の切っ先を素早く突き付けて、次に来るだろう非難を黙らせる。



「お、大殿!」

「座れ」

「ぎょ、御意!」



 義信の背後に正座で控えていた飯富虎昌が血相を変えて腰を浮かす。

 だが、一睨み。その動きを封じると、すぐさま飯富虎昌は腰を落として平伏した。


 飯富虎昌は義信が武田家の当主になる以前は義信を補佐して導く教育係『傅役』を務めていた武田家の重臣中の重臣である。

 現在は信繁さんに次ぐ武田家ナンバー3の座を不動のものとしたが、きっと甲斐では義信と家臣達の間を取り持つ武田家一番の苦労人でもある。


 実際、義信の家督相続についての礼を述べに初めて出会った時は、人生最良の時と言わんばかりに元気ハツラツで輝いていたにも関わらず、今は疲労の色がとても濃い。

 五十代半ばにして白髪が目立ち始めて老け込んだようにも見える。今夜は我が家自慢の温泉にゆっくりと浸かり、日々の疲れを癒やしていって貰いたい。



「義信」

「はっ!」



 しかし、その前にお説教である。

 日本刀を戻して、鞘にしまうと、すぐさま義信も胡座から平伏した。


 信繁さんの話によると、現代に伝わっている逸話以上に晴信と義信の親子仲は悪い。

 現代風に言うなら、ネグレイト。義信を産んだ三条の方との仲が芳しくない点も含めて、義信は幼い頃から素っ気なく扱われて、成長してからはいがみ合う事も多々あったらしい。


 それでも、こうして頼ってくるところを見るに、義信は晴信を嫌いになれないのだろう。

 片や、晴信は息子にどう接して良いのかが解らなかったと俺は推測する。父親『信虎』との確執は有名な話であり、虐待は連鎖すると聞く。

 その証拠に晴信の子供達全員と面会済みだが、娘達は軽口を叩いたりして平然と接してくるのに対して、息子達は緊張しっぱなしで晴信に怖れを抱いている感があった。


 俺としては義信と良好な関係でありたい。

 今の生活が送れるのは義信のおかげ。義信が俺を疎んじた結果、妙な気を起こして貰っては困る。



「お前、今年でいくつになる?」

「二十を数えました!」



 胡座をかいたまま尻を支点に腰を捻り、身体の向きを義信と正対させる。

 だが、義信は頭を上げようとしない。良く観察してみれば、肩が微かに震えている。


 たまたま日本刀を持っていたから、それを用いただけだったが、薬が効きすぎたかと反省する。

 先ほど成長してからはいがみ合う事が多々あったといったが、晴信は非が自分に有っても言い返せなくなると義信を鉄拳で黙らせる事すら有ったとも聞いている。


 そのトラウマを刺激してしまったかも知れない。

 少なくとも飯富虎昌はそう捉えたようだ。伏せていた顔を少しだけ浮かせて、俺の様子を上目遣いで頻りに探っている。

 もし、俺が膝を立てて、義信へ詰め寄ろうものなら、すぐさま身を挺して守る腹積もりに違いない。既に俺の手から日本刀は離れたとは言え、熱い忠義心である。


 こうなったら、作戦変更だ。

 語ろうと考えていた言葉は変えないが、怒気を抜いて優しく諭す。



「なら、同じだ。儂も二十の時に家督を継いだ。

 しかし、儂は今のお前のように誰かへ泣きついたりはしなかったぞ?

 それをお前はどうだ? 家督を継いでから儂の元へ何度泣きついてきた? 言ってみろ?」

「うっ……。」

「そもそもだ。国主がそう簡単に本拠を離れてどうする?

 それそのものが甘く見られている原因だとどうして解らない?

 今年の冬は暖かくて、雪が少ないから良いが……。もし、今夜から大雪が降ったらどうする?

 お前は甲斐へ戻れなくなり、何日も……。下手したら、国主が数週間も不在になる。家臣達が勝手を始めるのは当然ではないか」

「お、仰る通りに御座います」



 但し、その内容は怒気を抜いても痛烈なもの。

 信繁さんから叱ってくれと頼まれてから、考えに考え抜いた力作だけに義信は何も言い返せない。



「虎昌、お前もだ。信繁が居るとは言えども、義信が心から頼りにしているのはお前だ。

 国主が不在の時、本拠を守るのは腹心の役目。それを国主と腹心の二人が一緒に離れて、どうする?」

「ま、誠に……。ま、誠に……。」



 飯富虎昌にも釘をしっかりと刺しておく。

 多分、今までも義信が俺の元へ訪れようとする度に引き止めていただろうが、その強化を行う。


 義信が飯富虎昌と一緒に訪ねてくるのは、俺と会うのが一人では心細いから。

 これで今後は飯富虎昌が同行するのは難くなり、それ自体が抑止力となる。



「だから、次は雪が融ける春になるまでここへ来るのを禁ずる。良いな?」

「はい……。」



 これにて、一件落着。そう言いたいところだが、罪悪感がとても苛む。

 義信はすっかりと意気消沈して、返事は弱々しい上に頭を上げようとしない。放っておいたら、俺がこの場を去るまでずっとそのままで居てそうだった。


 腕を組みながら縁側の天井を見上げる事暫し。

 心の中で『もうちょっとサービスをしてやるか』と呟いて頷き、視線を義信へ戻す。



「お前は儂の子だ。

 儂が育てたとは言えぬが、お前の成長はこの目でちゃんと見てきたつもりだ。

 だから、お前に家督を譲った。お前なら出来ると……。

 今、お前に足りないのは自信だけ。空元気でも構わん。下らない批判など、それがどうしたと笑い飛ばしてやれ」

「ち、父上……。」



 義信が伏せていた顔を勢い良く跳ね上げる。

 その目は涙に滲み、その瞼はわなわなと震えていた。



「もう一度、言う。お前は儂の子だ。

 儂が出来た事をお前も出来ぬ筈が無い。頑張れ、お前なら出来る」

「ち、父上ぇぇ~~~っ!」



 そして、涙ばかりか、鼻水を垂らしての号泣。

 義信が片膝を立たせて、俺の胸へ飛び込んでくる瞬間、つい避けたくなる心を必死に堪えると共に義信を受け止める。



「馬鹿者。武田の棟梁たる者が泣くな」

「はい……。うっううっ……。」

「ううっ……。お、大殿がそのような御心だったとは……。せ、拙者は、拙者は……。」


 飯富虎昌も伏していた顔を上げると、目線を右腕で覆ってのもらい泣き。

 二人が泣けば、泣くほどに影武者の俺は苦笑が浮かび、義信の背中に両手を回して、幼子をあやすように右手で優しく何度も叩いた。




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