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第10話 戦国美食化計画




「豚ぁ?」



 信繁さんが素っ頓狂な声を発して驚く。

 その目は大きく見開かれて信じられないと言わんばかり。


 ここは屋敷奥にある渡り廊下を渡った先の小さな離れ。

 山の沢から引いた水が流れ注ぐ池に囲まれて、唯一出入りが出来る渡り廊下は人が歩くと軋んで音を立てる仕組み『鶯張り』が施されており、信繁さんが常に影武者でいるのも辛いだろうと息抜きの為に作ってくれた俺の書斎である。


 だから、ここでは事前の人払いを済ませておけば素に戻れるし、信繁さんもその認識でいる。

 密談にも持って来いの場所でもあり、俺と一緒にタイムスリップしたスマートフォンはとうの昔にバッテリーが切れて、ただの綺麗な板と化しているが、この離れから俺が持つ未来の様々な知識と技術が信繁さんを介して世に放たれている。


 逆に月初めの頃に必ず訪れる信繁さんからは、前回の訪問後に起きた武田家のあれこれや俺の提案で活発化した幾内と武田家周囲の諜報活動結果を聞かされている。

 それ等によると、義信は随分と頑張っているらしい。季節は冬を過ぎて、春から夏へと移り変わる梅雨時を迎えているが、相談にここを訪れるのは飯富虎昌単独で、義信はあのお説教以降はここを訪れておらず、信繁さんも見違えた、一皮剥けたと絶賛している。


 俺も一安心。これで将来は安泰の筈。

 俺が知る歴史において、義信は晴信に反乱を起こしている。

 桶狭間の戦い以後、晴信の戦略方針が変わり、義信の奥さんの実家である駿河の今川家を攻めようとした為であり、俺が影武者になった時点でもう有り得ない可能性だとしても、やっぱり不安は少し有っただけに。



「はい、豚です」

「豚と言うと……。あの毛の生えてない猪か?」

「その豚です」

「ブイブイと五月蝿くて、猪とは逆にすぐ逃げ出す?」

「だから、その豚ですってば」



 さて、今日のお題は豚の畜産。

 戦国時代にタイムスリップしてから約九ヶ月が過ぎ、食事の減塩化は成功したが、食材はたまに川魚が混ざるくらいで農作物がメイン。肉が食べたかった。


 しかし、日本は明治に至るまで肉食を忌避して、畜産という考えそのものを持っていなかった。

 そんな中、ごく稀でも肉が食べられたのは俺が武田信玄だから。肉を食べたいと我儘をいったら、当日は無理でも翌日か、翌々日には食べられる権威を持つ為、その大事な事を忘れていた。


 今年の冬、大雪が二週間も続いた時の出来事。

 あまりの寒さに鍋が食べたい。それも肉鍋が食べたいとボヤいたら、翌々日の夕飯に猪鍋が出てきて、さすがに変だと感じた。

 ボヤいた日から猛吹雪が続いており、人々の往来は勿論の事、商人達の足ですら完全に止まっているにも関わらず、何処から猪の肉を手に入れたかと賄方に問いたら愕然とする答えが返ってきた。

 毒沢の先住民達は中山道から諏訪へ入ろうとする獣達を退治する先祖代々の役目を持つ猟師団であり、なんと俺がここへ移り住んでから食べてきた肉は、その全てが彼等からの献上品だと言うではないか。


 つまり、俺の軽いボヤきが毒沢の先住人達に無茶を強い、過酷で危険な猛吹雪の山中を三日間も歩かせたのだ。

 解っていたつもりで解っていなかった自分の発言力の大きさを思い知らされて、猪鍋を食べた翌朝に毒沢の先住民達を呼ぶも俺との直接対面に恐れおののくばかり。


 この屋敷を守る馴染みの兵士にあとから探りを入れさせたところ、彼等は何らかの不興を買った為に殺されると考えていたらしい。

 俺は三日も無茶させてと詫びたが、彼等は三日も遅れてと解釈して、俺が許されているポケットマネーからの褒美も手を付けずにいるっぽくて、貧しい生活から変化が見られない。

 このままではまずいと考えて、彼等が住んでいる区画を日頃の散歩ルートに加えたが、俺の姿を見かけた途端、子供達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出すし、それぞれの家は慌てて戸板をぴしゃりと閉める始末。


 明らかに怖がられて、厄介者扱い。

 この不健全な関係を改善する為に考案したのが豚の畜産計画である。


 畜産を行うには祖となる豚達がまず必要になる。

 それを捕まえてくるのは毒沢の先住民達にぴったりの仕事といえる。


 その後も育成と繁殖を任せる予定だが、彼等には彼等が今日まで続けてきた生活が有る。

 それを捻じ曲げて貰うのだから相応の対価は必要になり、それを俺が賄って触れ合いを次第に増やしてゆく事で関係を改善してゆき、畜産が軌道に乗ったら、それを功績に毒沢の纏め役の家を武士身分に取り立てる。


 そして、ノウハウが完成したら、豚の畜産を甲斐と信濃の全域に広げてゆく計画だ。

 豚は丈夫で多産。肉と脂は勿論の事、皮や骨も役立つから、きっと武田家の発展に一役を買ってくれるだろう。



「お前、正気か? 四足を食べようなんて……。それもその為に飼って増やそうなど」



 だが、こうも何度も再確認してくるので解る通り、信繁さんの抵抗はとても強かった。

 先ほども言ったが、肉食を忌避している為だ。俺をまじまじと見ながら眉を顰めている。


 予想した通りの反応に苦笑する。

 それがいつまで保つかが見もの。予想していた以上、当然の事ながら反論もばっちりと用意してある。



「でも、籠城戦でいよいよとなったら、馬でも何でも食べるでしょ?」

「それは……。まあな」

「第一、猪は食べて、豚は食べない。その方がおかしいですよ」



 たちまち信繁さんは返事に窮した。

 武士にとって、馬は友であり、宝であり、戦場を駆ける大事な足。

 戦場で武勲を欲するなら、チャンスへ誰よりも早く辿り着ける馬が無くては始まらない。

 だから、馬を持たない下級の武士は馬を入手しようと躍起になるし、既に馬を持つ武士はより良い馬を欲して、手に入れたら手に入れたで馬の健康維持の為に大枚を投じる。


 しかし、そんな大事な相棒でさえ、厳しい籠城戦で兵糧が尽きたら食料となる。

 この場合、生き残る目的の為だが、怪我を負ったり、病気を患ったなどの際に精を付ける目的で猪や鹿などの肉を食べる日常的な習慣がある。


 事実、生島足島神社から諏訪までの道中。

 猪と鹿が献上されて、みんなと鍋を囲んで盛り上がった思い出がある。その点をすかさず攻める。



「いやいや、イノシシと豚は違うぞ? その昔、帝が……。」

「はい、残念でした!

 天武天皇が禁じたのは牛、馬、犬、サル、鶏の五種類。豚は含まれていません。藤孝殿にちゃんと確認しました」



 それに対する反論に『やっぱり』とほくそ笑む。

 伝家の宝刀でばっさりと斬るつもりだったのだろうが、その宝刀が実は錆びている事実を告げる。


 俺が言っている『藤孝殿』とは、あの戦国時代のリアルチート『細川藤孝』を指す。

 室町幕府十三代将軍『足利義輝』の側近中の側近にして、武芸、和歌、茶道、蹴鞠、囲碁、料理と何でもござれの当代一流の文化人。説得材料として、この上ない。


 何故、そんな文化人と知己を得ているかと言ったら、つい一週間前ほどにここを訪れていたからだ。

 訪問理由は足利義輝からの上洛要請だが、今現在の武田家当主は義信。俺に言われても困ると告げて、義信に丸投げしており、そろそろ甲斐へ着いた頃だろうか。



「何? 細川様が? 

 う~~~ん……。だったら、本当なのか?」



 さすがは藤孝殿が持つネームバリューの力は絶大だった。

 信繁さんは目を丸くさせると、腕を組みながらウンウンと頷いて、持論をあっさりと覆した。



「酷い……。俺は信じていない発言だよ」

「馬鹿者。信じているから、色々と用立ててもやっているだろうが」

「だったら、今度も信じて下さいよ! 豚は美味しいんですって!」

「まあ、確かに……。今ではお前が作った蕎麦切りはすっかり諏訪の名物になっているしな。

 元々、東西南北の荷が集まる場所だったが、それを食べたさに人も集まっている。短い間で随分と栄えたものだ」

「でしょ、でしょ? そうでしょ?」



 狙い通りではあるが、狙い通り以上の効果がちょっと面白くない。

 この手の未来知識を相談した際、説得に時間がかかるのに今回は簡単過ぎる。唇を尖らせると、信繁さんは肩を震わせて笑った。


 俺が信繁さんに披露した未来知識は不採用が圧倒的に多い。

 その理由を例えるなら、お湯を入れたらカップラーメンが美味しく食べられるのは解っていても、カップラーメンそのものを作る方法は解らない。結果は解っていても、その過程が解らない為に実現不可能だからだ。


 だが、採用されて、既に大成功している例も有る。

 それが信繁さんが今言った『蕎麦切り』である。蕎麦の後ろに『切り』が付いているのは、この時代の蕎麦といったら団子状の蕎麦を親指で軽く潰した『蕎麦がき』が一般的で区別する為。


 去年、風が冷たくなってきた秋の終わり頃。

 今夜は新蕎麦ですよと言われて、夕飯をうきうきと楽しみにしていたところ、『蕎麦がき』が出てきたがっかり感は現代を知る者なら解るだろう。


 翌日、納得がいかなかった俺は『蕎麦切り』作りに挑戦した。

 ぶっちゃけ、俺が最初に作った『蕎麦切り』は見よう見まねのなんちゃって蕎麦。現代で暮らしていた頃、よく食べていた乾麺の袋に山芋入りと記載してあった記憶から擦った山芋をそば粉に混ぜて打ち、それを不揃いながらも麺状に切っただけのもの。


 俺の一口目の感想は『ボソボソして、何かがちょっと違う』だったが、この屋敷で働く者達に振る舞ったら好評を博して、それが諏訪の住人達に口コミであっという間に広がった。

 諏訪の有力者達が食べさせてくれ、食べさせてくれとこの屋敷へ連日のように詰めかけて、蕎麦を毎日打つのが面倒になり、なんちゃって蕎麦のレシピを公開すると、これが諏訪の新しい名物になってしまったのだから驚きである。


 しかも、人間の食に対する追求とは恐ろしいもの。

 今年の春、南諏訪にある上原城からの帰り道。諏訪の街をぶらりと散策して、たまたま目に付いた屋台で蕎麦を食べた時、驚愕した。

 なんちゃって蕎麦がたった一冬の切磋琢磨で改良されて、俺が『これだ!』と満足する蕎麦を出来上がっていた。たまらず三人前をぺろりと平らげてしまったほど。


 恐らく、蕎麦がこうも爆発的に流行った理由は二つ。

 一つ目は、蕎麦が米より低い扱いを受けており、安価で手に入り易いところ。

 それでいて、甲斐と信濃のような山間の寒冷地や土地が肥えていない場所でも良く育つ為、その栽培を晴信が過去に何度も奨励しており、何処の家庭にもあった米の代用品扱いの蕎麦が美味いと解って飛びついたのだろう。


 次に二つ目、これが大きい。

 麺つゆを成す材料の一つだが、これが無かったら始まらない醤油。

 藤孝殿の話によると、京都周辺には既に流通量は少ないながらも存在するようだが、ここ甲斐と信濃にはまだ伝わっていない。


 勿論、俺は醤油の作り方など知らない。

 しかし、味噌が醤油の原型で大豆が発酵して出来上がる過程で溜まる上澄み液。それが醤油の元になったのは、とある美食料理漫画を読んで憶えていた。


 この醤油という新感覚の味が大ヒットの要因で間違いない。

 今や、諏訪にある全ての味噌屋が味噌の上澄み液を少しでも多く作れないかと躍起になっている。

 俺が知る本物の醤油が味わえる日は近いかも知れない。その日が楽しみで楽しみで仕方が無い。


 そんな今の俺の大いなる野望は『カレーライス』を作り上げる事だ。

 俺が知る日本史通りなら、そろそろヨーロッパ各国の船が九州へ盛んに訪れている頃であり、やってやれない事は無い。



「しかし、お前は食い物ばっかりだな。

 だったらだったで農作物を増やす知恵は持っていないのか? 儂はそっちの方こそが知りたいのだが?」

「いやぁ~……。俺って、残念な事に文系ですから」



 その為にも豚の畜産計画は是が非でも成し遂げる必要が有った。カレーの肉は豚こそが至高と決め付けている俺だけに。




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