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第12話 花の都




「ええっと……。ここが本当に?」

「間違い有りません。あそこにもそう書いてあります」



 目的地に着いたが、桃が茫然とした顔をこちらへ振り向ける。

 信君が立てられた案内看板を指差して、ここが目的地だと説明するが、その表情はやっぱり信じられないと言わんばかり。


 幾つもの野を歩き、山を越え、川を渡り、遂にやって来た花の都。

 これほどの距離を自分の足で歩いた経験は人生初であり、それだけに達成感が半端ない。


 旅の道中にあった苦も、楽も今となっては全てが懐かしくも輝かしい。

 特に思い出深い出来事と言ったら、やはり織田信長との出会いだろう。清洲城の城下街にて、向こうから商人を装って接触してきた時、それが信長だと一目で解った。


 何故ならば、信長は豊臣秀吉を隣に付き従っていたからだ。

 信長が最初にそう呼んだとされ、豊臣秀吉が力を持ってからは揶揄の意味で呼ばれた『猿』の愛称通り、その愛嬌がある猿顔はこれ以上ない目印だった。


 なにせ、人臣を極めた豊臣秀吉が仕えた主君はたった二人。

 信長と今川家の陪々臣である松下之綱だけであり、出会った場所が清洲城の城下街なのだから消去法で前者となる。


 さて、肝心の信長について。

 現代における様々な考察通り、固定概念に囚われない考えの持ち主で頭の回転が早い早い。


 但し、頭の回転が早いと言っても『一を聞いて、十を知る』タイプに非ず、『一を聞いて、マイナスを見つけ出す』タイプ。

 悪く評するなら、世の中を斜めから見ている捻くれ者であり、せっかちな性格なのだから家督を継ぐ前は『うつけ』と呼ばれていたのが頷ける。

 俺は未来の知識を持つ為に信長の革新的で先進的な考えを理解する事が出来たが、今の時代の者達には理解が及ばずに付いて行くのが難しい。


 その証拠に俺は信長に随分と気に入られたっぽい。

 信長があまりにも楽市楽座を得意気にするから、つい旅の高揚感から楽市楽座に関する欠点を未来の知識で『説教』したところ、最初は歯軋りまでして悔しがっていたが、その後は酒を夜まで酌み交わすほどに上機嫌となり、俺が尾張を案内してやると俺達の旅立ちを二週間も引き延ばして、俺達が借りていた宿に居座った挙げ句、尾張を離れる時は国境まで見送りに付いてきて、京都からの帰りは清洲城へ必ず立ち寄れと何度も念押ししてきた。


 それにしても、未来の知識でかます『説教』がああも爽快だとは思ってもみなかった。

 信繁さんにかましたら、調子に乗るなとゲンコツを喰らいそうだが、癖になりそうな快感だった。

 昔、読み漁っていたネット小説の異世界転移や異世界転生の主人公達が『説教』にハマるのも無理は無いと納得してしまった。


 ところがところが、そんな思い出の数々が京都へ到着した途端、一気に色褪せた。

 山科へ入った時はそうでもなかったが、山科の北西にある山間の道を進んで行く内、ここが千年の都とはとても思えないくらい何処も荒れ果てており、遠路遥々訪れた目的地がこれではがっかり感が半端ない。


 事実、桃も、信君も京へ近づくほどに口数がめっきりと減った。

 昨夜の宿では『明日はいよいよ花の都!』と大はしゃぎしていたのが嘘のよう。



「皆さんがそう思うのも致し方がない事……。

 しかし、ここは嘗ては西楼門と呼ばれて、それはもう見事な朱が塗られた桧皮葺の門があったのです。

 ほら、あちらをご覧下さい。僧達が立ち並んでいる向こう側に有るのが、その名残でして……。

 今、義輝様が天下に名高い祇園神社の西楼門をあのままにしてはおけないと再建の寄進を募っているのですが……。」



 一方、二人とは逆にこれでもかと饒舌になったのが藤孝殿。

 上洛を要請した本人だけに落胆しまくる俺達に気まずくて盛り上げようと必死なのだろう。

 京都までの道中、こちらが求めない限りはひけらかそうとしなかった知識をペラペラと喋りまくっていた。


 だが、藤孝殿がどんなに薀蓄を重ねようが、耳の前に目が心を萎えさせる。

 帝が住まう御所へ近づくに伴い、その割合を徐々に減っているが、粗末な掘っ立て小屋ばかり。

 辛うじて、ここが京都と認識が出来るものは、この地を日本の都にすると決めた時から計画的に造られて、現代に至るまで残された碁盤の目状の町並みくらい。


 そして、何と言っても人の多さ。

 但し、良い意味ではない。明らかに街が持つ許容量を超えきった悪い意味での多さ。

 戦乱や圧政、その理由は様々だろうが、誰もがここなら何とかなると淡い夢を抱いて集った結果、生産力と商業力などのあらゆる面が駄目の悪循環に陥っているのが容易く感じ取れる。


 粗末な汚れきった肌着を身に纏い、腹は餓鬼腹。

 京都へ入ってからの道中で見た者達の大半がこれであり、死体と思しき物体までもが平然と放置されている。


 モラルも最低だ。

 大小を問わずに道端で用を足している姿は何度も目撃したし、それ等が路上に放置されて、男女が平然とまぐわってさえもいた。


 だから、街全体が臭い。特に点在する林の近くは鼻が曲がるほどに酷い。

 藤孝殿によると、穴を掘る必要も無ければ、わざわざ都の外へ運ぶ必要も無い。そこへ放り込んでしまえば、それだけで目隠しとなる林は亡骸を捨てる恰好の場所の為、それがいつからか風習になってしまったらしい。


 戦国時代の発端となった応仁の乱から約100年。

 日本の中心たる京都を奪い合い、覇権を握る戦いが幾度も繰り返されてきたのだから荒廃が進むのは当然の理だが、最後の最後の一線は超えていないと信じていた。人が人であるが故の最低限の倫理を持ち、戦乱の中でも立派に在り続けていると信じていた。



「嘆かわしい……。ただ、その一言だな」



 しかし、俺の期待は裏切られた。

 所詮、俺は戦争というものを知識やテレビの中でしか知らない人間だと目の前の光景が教えてくれていた。


 明治の神仏分離令で『八坂神社』と名を変えた祇園神社。

 現時点でも千年の歴史を持ち、全国に数えきれないくらいの分社を持つ総本山が荒れに荒れ果てていた。


 現代では京都の観光名所の一つに数えられて、夜間でも参拝客を拒まず、常に開いている見事な朱色の楼門。

 それが見るも無残に打ち壊されているばかりか、施しを目当てに集まった者達の侵入を防ぐように防柵が施されている上に数人の僧兵が立ち、現代とは逆に参拝客を拒んでいるではないか。


 今回の上洛の旅にて、俺は街道沿いや街道近くの神社へ立ち寄るのを娯楽にしていた。

 御朱印自体は存在しているらしいが、現代と違って簡単に頂けない品の為、御朱印を頂く事は出来ないが、現代の神社と今の神社の差異を感じるだけで十分に楽しめた。桃に早く行こうと、先を急ごうと、日が暮れると急かされたのは一度や二度では無い。


 だが、ここは駄目だ。神社特有の人々が敬っている神聖な気配を感じられない。

 上洛を要請してきた将軍『足利義輝』が待つ二条城までの道中にあるとは言え、絶対に立ち寄ろうと考えていたくらい期待が大きかった分、落胆もまた大きい。


 祇園神社でさえ、この様。

 京都各所にある有名神社も似たような状況にあるのだろうと考えたら、気分は完全に沈んできた。



「京を守る役目の一端を担いながらも誠に……。

 しかし、今も言いましたが、この実情を義輝様も常に憂いている事は解ってくだされ」

「ああ、解っているとも……。

 だが、興は冷めた。立ち寄るつもりだったが、今日のところは先を急ごう。ここはいつでも来れるからな」



 それを荒い鼻息でフンスと吹き飛ばす。

 こうなったら、良い機会だ。京都を守護する役目の将軍『足利義輝』にガツンと言ってやると決意した。




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