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第14話 天下人




「何はともあれ、本年も勅祭を無事に終える事が出来て……。乾杯!」



 義輝様の音頭で皆が乾杯を唱和。

 めいめいが酒を満たした盃を口にしたのを皮切りに、それまであった厳かな雰囲気が一変。賑やかさが広がってゆく。


 ここは御所の南南西にある石清水八幡宮。

 今日は帝からの勅使が届く勅祭『石清水祭』であり、その大事な儀式を終えた後の宴である。


 今、俺は猛烈に感動していた。

 義輝様が招待してくれたおかげで、祭りを最初から最後まで最前列のVIP席で堪能。

 一般公開されていない最後の秘儀にすら立ち会えたのだから、これで感動しない筈が無い。



「ぷっはぁぁ~~~っ!」



 その高揚感もあって、今日の酒は特別に美味い。

 あっと言う間に一杯目を飲み干して、酒が胸を焼く熱さを堪能していると、満面の笑顔で歩み寄ってきた藤孝殿が徳利を差し出してきた。



「実に良い飲みっぷり。さあさあ、もう一杯」

「やや、これはすまん」

「いえいえ」



 拒む理由は無い。

 酒がなみなみと注がれるのを待って、それを一気に呷った後、藤孝殿に盃を返杯に差し出す。



「ならば、藤孝殿も」

「これは、これは……。おっとっと……。」

「今日は誘ってくれて、ありがとう。本当に感謝している」



 そして、自分の膳に置かれた徳利を持ち、その注ぎ口を傾けながら軽く目礼をする。

 ここは多くの目が有り、この程度の感謝しか表せないが、二人っきりで立場を忘れても良いのなら平伏したいくらいに今の俺は藤孝殿に感謝していた。


 何故ならば、俺はこうも特別待遇を受けるほどの友誼を義輝様と結んではいない。

 上洛してから約一ヶ月が経ち、二条城を有力者との面談の為に二日と空けずに通っているが、義輝様と言葉を交わしたのは最初の謁見を合わせてもたったの四度。いずれも当たり障りのない世間話しか交わしていない。


 いや、招待自体は用意されていたかも知れない。

 だが、確実に今のような特別待遇では無かった筈だ。本来なら室町幕府の重臣や西日本の大名達が最前列と二列目を占めて、俺は三列目か、四列目の予定だったに違いない。


 それを改める働きを行ったとするなら、藤孝殿しかいない。

 勿論、俺と義輝様の仲をもっと縮めようという思惑も有るのだろうが、俺が神道に強い関心を持っているのも、この祭りを心から楽しみにしていたのも、桃や信君、護衛の者達を除いたら、藤孝殿くらいしか知らない。


 今、京都で寝泊まりしている屋敷も藤孝殿が都合を付けてくれた。

 これから季節は冬を迎えて、旅での心を和ませてくれた大自然は旅を行く上で敵となる為、京都での知己を得る目的も有り、上洛が決まった当初から京都に半年ほど滞在する予定でいたが、俺達一行は護衛も合わせたら大所帯で馬も居る。

 半年も宿暮らしになったら金が無駄にかかる為、護衛達も暮らせて、馬屋も在り、御所に出来るだけ近い借家を早急に見つけるのが京都へ着いてからの課題だったが、それを藤孝殿はあっさりと解決してくれた。本当に感謝するしかない。



「いえ、私は口添えを少ししただけ。信玄様をお誘いしたのは義輝様に御座いますれば」

「ふっ……。なら、そういう事にしておこう」

「ええ、そういう事です」

「だが、この信玄。恩は決して忘れぬ。それだけは憶えておいてくれ」

「はい、勿論」



 ところが、藤孝殿は恩をこれっぽっちも着そうとしない。

 それだけに藤孝殿の期待に応えようと、義輝様との仲を深めようと努力はしているが、これがなかなか難しい。

 知っての通り、義輝様は景虎から直筆の襖書きを貰い、それを多くの者達が目にする評定の間に飾るほど仲が良いからだ。聞けば、足りないのは誓いだけで義兄弟と呼べるくらい仲が良いらしい。


 だが、晴信と景虎の二人は犬猿の仲。

 俺自身は含むところは持っていないが、晴信の影武者である以上、それに倣わなければならない。

 その点を義輝様はとても気にしており、甲斐の風土を知りたがったり、戦や内政の心得を熱心に聞いてくるが、信濃に関する話題はあからさまに避けていた。

 一度、同席していた者が北信濃と川中島の戦いに関する話題を出した時なんて、義輝様は急に厠へ行くと言い出して、その日はそれっきり戻ってくる事は無かった。


 これで仲を深めようというのが無理だ。 

 胸の内を全て語れとまでは言わないが、腹を割って話し合わなければ仲は深まらない。


 しかし、義輝様も今の関係に満足はしていない筈だ。

 征夷大将軍の権威はまだまだ巨大だが、応仁の乱以前とは比較にならない。領土もここ京都が在る山城一国のみで所有する兵力は少ない。


 それを補うのが、日本各地を治める大名達に対する上洛要請となる。

 室町幕府を守る為の計画であり、その目的は三つの段階に分けられる。


 第一段階、大名が京都まで出向き、義輝様と謁見する。

 それ自体が征夷大将軍である義輝様の正統性を認める行為になり、謁見する大名の力が強ければ強いほどに、謁見する大名の人数が多ければ多いほどに室町幕府の権威は天下に輝く。


 第二段階、上洛した大名との仲を深め、いざという時は室町幕府を助けてくれる味方作り。

 端的に言うと、ある大名が極めて室町幕府の邪魔になっており、天下に討伐令を発した時、室町幕府と一緒に戦ってくれる同志だ。


 第三段階、その同志が大軍を率いての上洛を行い、その武威を以って、反室町幕府に対する大きな抑止力とする。

 だが、同志が治める領土が山城と接しているならまだしも、山城との間に一国でも跨いでいたらその国々を屈服させる必要がある。進路上にある国々の大名が『はい、どうぞ』と簡単に通してくれるなら、この世は戦国乱世になっていない。


 現在、武田家は第一段階となるが、義信はとても正義感の強い男。

 俺と義輝様の仲が険悪になっても、室町幕府の号令に応じる可能性は高い。


 しかし、武田家の全力を挙げた総動員は無理だ。

 どうしても景虎に対する備えを残さなければならず、そうなると山城には辿り着けない。


 だが、武田家と長尾家が手を結びさえしたら。

 南に位置する今川家と東に位置する北条家は武田家と婚姻同盟の関係にある為、後顧の憂いを持たずに総戦力を西へ向ける事が可能になり、第三段階の芽が出てくる。


 恐らく、それを藤孝殿は望んでいる。

 武田家の当主が晴信だったら絶対に不可能だろうが、義信だったら可能性は小さくても確かに有る。

 晴信の影武者である俺は対外的に強く反対してみせなければならないが、今後の生存率がぐんと高まる長尾家との同盟は諸手を挙げての大歓迎。最終的に義信が決めた事ならと渋々に応じ、必要なら反発する家臣達を説得もする。


 もっとも、このシナリオを現実化させる為には義信がどう判断するか以前の大前提が有る。

 義輝様が強く望み、武田家と長尾家のどちらにも肩入れしたくなり、個人的な友誼から仲裁を熱心に行わなければならない。征夷大将軍としての義務感から同盟を結ばせたとしても意味が無い。


 下は上に倣うもの。

 義信と景虎の二人が心からの同盟に応じなかったら、家臣達の互いに対する敵愾心は燻り続けて残り、何をきっかけに再燃するかが解らない。仮初めの同盟になるのは目に見えている。


 但し、それもこれもやっぱり俺と義輝様の仲が深まらなかったら始まらない。

 酒は仲を深める絶好のツールであり、この宴は実に良い機会といえるが、酔いで口を滑らすのを嫌がったのか。

 義輝様は乾杯の音頭を取った後、俺と目が合いかけると席をそそくさと離れて、今は武家達の対面に座る公家達と話に花を咲かせている。武家の棟梁として、自分の席にどっしりと構えて、皆からの酌を受けるのが役目にも関わらずだ。


 ここは強引に攻めるべきか。

 そう考えて、腰を浮かせかけた瞬間、嫌な奴が声をかけてきた。



「やあ、貴殿等はいつも仲が良いな。どれ、私の酌も受けてはくれぬか?」

「無論です。喜んで頂きましょう」

「はい、三好様に酌をして頂けるとは光栄です」



 山城に隣接する摂津を中心に丹波、和泉、阿波、淡路、讃岐、播磨の七カ国にも及ぶ現時点での戦国乱世の覇者。

 あと足りないのは官位のみ。影ながら『副王』とまで称されて、その野心を隠そうともしない男『三好長慶』である。


 応仁の乱を発端とする戦国時代。

 武家の棟梁たる征夷大将軍は幾度も都落ちをしており、当代の義輝様も今は京都へ返り咲いているが、三好長慶によって都落ちを強いられた過去を持つ。


 そう、義輝様が全国の大名に上洛を要請しているのはこの男に原因が有る。

 表向きは義輝様を立てているが、義輝様が都落ちした過去で解る通り、気に入らない時は強大な武力を背景に許さない。

 万事、三好長慶の承諾を得なければならず、山城近隣の大名達は勿論の事、室町幕府の重臣達ですら三好長慶の機嫌を損ねまいと顔色を伺っている。


 ところが、その三好長慶は晴信を畏れていた。

 領土面積を比べたら優劣は付けづらいが、そこに住まう人々の数はおろか、米の石高でも、金の収入でも圧倒的に上の三好長慶が晴信を酷く畏れていた。


 どうやら晴信の知名度は俺が想像していた以上らしい。

 景虎と北信濃を奪い合う三度に渡る川中島の合戦は特に有名であり、庶民ですら大抵が知っており、武家階級、公家階級どころか、なんと帝までもが『あの』と呼ぶほどだ。


 御所と二条城を日々通っていると、それを実感する。

 歩いていると視線を感じる事が多々有り、周囲を窺ってみれば、こちらを見ながら数人が何やらヒソヒソと密談中。俺と目が合った途端、井戸端会議を慌てて解散させる。

 最初は物珍しさからと考えていたが、一向に止む気配が見られず、彼等をそれとなく探ってみたところ、実に馬鹿馬鹿しくも下らない事実が判明した。


 先ほども語った通り、俺達一行が京都に屋敷を借りたのは旅の都合上でしかないし、桜が咲く頃には帰ると公言しているにも関わらず、彼等はそう捉えていなかった。

 近い将来、俺と連携して、義信が大軍を率いての上洛を行う時に備えて、土台作りの為に数年に渡る長期滞在をするつもりだと勝手に警戒していたのである。


 その筆頭が目の前の男、三好長慶だ。

 俺が京都へ到着した日は讃岐の城に居たらしいが、慌てて駆けつけたのだろう。翌日の夕方には京都に居た。


 初対面の時から口を開けば、嫌味をねちねち、ちくちくと吐いてばかり。

 自分に取って代わろうとしているに違いないと疑心暗鬼に陥り、敵愾心を強めてゆくのだから堪ったものではない。


 それでも、俺は我慢した。どんな事を言われても笑顔で聞き流した。

 時に鼻息が荒くなるくらいむかっ腹が立った事もあったが、懸命に『これが所謂、権力者が患ってしまう難病か』と耐えた。


 事実、俺以外の相手にも疑心暗鬼に陥って気が休まらないのだろう。

 副王と影で称されていても、俺が三好長慶に抱いた第一印象は病人。頬がこけるほどに痩せ細り、目の下には濃いクマが刻まれて顔色が悪い。


 そうになるまで権力に固執して、毎日が楽しいのかと疑問を感じずにはいられない。

 その点、たまに面倒な難題が立ち塞がる事は有っても、基本的に気楽な影武者はやっぱり最高だと言わざるを得ない。



「ところで、武田殿は先ほどまで女を連れていたが、あれは奥か?

 甲斐は京から遠く離れ、山の中に在ると聞くがなかなかの美人。京の女に負けておらんな」

「あれは側仕え。北信濃の更級郡の出に御座います」



 今日も聞き流していれば問題は無い。

 顎先を微かに頷かせて、不安そうな眼差しを向けている藤孝殿に安心しろと合図を送る。


 せっかくの祭りを最後の最後で台無しにするのは俺も御免だ。

 賑やかさは変わらないが、皆の視線が集い始めているのを感じながら心の中で何度も『平常心、平常心』と唱える。



「ほう、側仕えか……。では、どうであろう?

 今も言ったが、あれほどの美人は京にもなかなか居らん。私にくれないか?」

「えっ!?」

「み、三好様! う、宴の席とは言えども冗談が過ぎます!」



 しかし、三好長慶が頬をニンマリと吊り上げた下卑た笑みを浮かべた次の瞬間。

 俺の頭は真っ白に染まった。藤孝殿が息を飲み、賑やかだった場が一瞬にして静まり返った。



「冗談などでは無い。側仕えなら問題は無かろう。

 まあ、どうしても惜しいと言うのなら、一夜だけでも構わんぞ?」

「み、三好様っ!?」



 やがて、獣の雄叫びがすぐ近くで轟いた。

 ありったけの怒りが込められたそれは慟哭にも聞こえ、ふと俺は家族を目の前で喪ったあの日の自分を思い出した。




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