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第15話 友と語って思案酒




「それにしても、儂が京へ来ていると良く解ったな」



 御所の東、平安神宮を間に挟んだところにある仮住まい。

 屋敷裏にある裏山の木々が葉を散らせて、枝だけの寂しい姿となった今日、懐かしい顔が俺を訪ねてきた。



「ご謙遜を……。今や、大殿の名をこの幾内で知らぬ者は居ませぬよ」



 俺の影武者養成を終えると、諸国見聞の為に武田家を離れていた勘助さんである。

 忙しい日々を過ごしているのか、無精髭と呼ぶには長過ぎる顎髭がモミアゲと繋がりかけており、以前よりワイルドさが増している。


 なにはともあれ、久々の再会にまずは一献。

 つい先ほど陽が暮れて、酒を酌み交わすには丁度良い時間でもある。


 お互い、これで素顔を晒せたら最高だが、ここは諏訪の屋敷の奥書斎とは違う。

 障子に目あり、壁に耳ありと戒めて、少なからずの寂しさを感じながらも今はお互いに主従の役に徹していた。



「むっ!? ……あの一件か。

 あの一件は……。まあ、そのぉ~~……。つい、カッとなってな。やはり、まずかったか?」



 だが、刹那の瞬間。行灯の淡い明かりが揺らめく中、勘助さんが素顔を覗かせた。

 鋭い眼差しに射抜かれて思わず身体がビクッと震える。呷りかけていた盃を下ろして、頭を懸命に働かせるも上手い言い訳は見つからない。


 岩清水祭にて、俺と三好長慶が揉めた出来事は瞬く間に噂となって広がった。

 既に一ヶ月以上が経過しているにも関わらず、人々の口々に未だ上がり、信長から先日届いた手紙によると噂は尾張まで届いているらしい。


 あの時、三好長慶は軽い気持ちで桃を要求したに違いない。

 戦国時代における女性の社会的な地位は現代と比べたら圧倒的に低い。

 家の利害の為、結婚、離婚を強いられるのが普通。意見そのものも夫が首を縦に振らなかったら通らない一方、夫の意見は飲まなければならない。


 ましてや、桃の身分は愛妾であって、正室では無い。

 実家とて、北信濃ではそれなりに名が知れた一族だが、副王とまで影で称される事実上の天下人とは比べものにならない。


 だったら、桃を差し出して、それを奇貨とした方が断然に良い。

 桃の実家は俺に文句を言ってくるだろうが最終的には押し黙るしかない。それが戦国時代に生きる者達の足し算、引き算である。


 更に付け加えると、三好長慶としては俺がどう応えても問題は無かった。

 俺が受け入れたら儲けもの。受け入れなくても俺が返答に窮したという評判が三好長慶の株を上げ、どっちに転んでも俺を権威の下に置けて損は無かった。


 評判を聞く限り、三好長慶はとても慎重な男。

 当時はその場の思い付きによる発言に思えたが、練りに練られた策だったに違いない。


 しかし、現代の感覚を持つ俺は三好長慶が想像すらしていなかった第三の選択肢を選んだ。

 見事なくらいにプッチーンと切れてしまい、全身ずぶ濡れの冷たさに我を取り戻したら、背中を羽交い締めされた上に両手と両足を掴まれて、総勢五名が俺を拘束。目の前に居た筈の三好長慶の姿は何処にも無かった。


 翌日、登城命令が届いた二条城へ行くと、義輝様は深い溜息混じりに『本当に大変だったんだぞ?』と前置きしてから顛末を語ってくれた。

 いきなり俺が雄叫びをあげたかと思ったら、三好長慶を殴り付けて、その勢いのままに馬乗り。顔を何度も、何度もボコボコに殴りまくったらしい。

 起床したら赤く腫れ上がり、痛みを放っている湿布巻きの両手で察してはいたが、生まれてから一度も人を殴った経験が無かっただけに驚くしかなかった。


 それともう一つ、驚いた事が有る。

 俺の意思とは関係なく充てがわれて、義務感と女性に対する興味から始まった桃との関係。

 それが今では事実上の天下人を殴ってでも奪われたくないものに変化していると思い知らされた。


 その日の夜、それを寝室で桃に告げると、桃は涙を流して情熱的に俺を求めてきた。

 当然、朝までハッスル。次の日も、そのまた次の日も桃とハッスル、ハッスルしまくり。

 五日目の朝、護衛の為に隣の部屋で寝起きをしている寝不足気味の信君から声を少し抑えてくれと苦情を訴えられている。


 また、公家達も居た為、騒ぎは武家社会だけに留まらず、公家社会にまで及んだ。

 畏れ多くも帝から参内せよと勅使が届いた時はもう生きた心地がしなかった。御簾を前に平伏するまで念仏のように『信繁さん、ごめんなさい。勘助さん、ごめんなさい』と何度も、何度も唱えていたくらい。


 ところが、意外や意外。お咎めは一切無し。

 岩清水祭を騒がせた件自体はやんわりと窘められたが、帝の本題は事の一部始終を俺本人の口から聞く事にあり、時に上品な笑い声すら漏らして上機嫌だった。


 その上、正四位下『刑部卿』の官位を賜ってまでいる。

 刑部とは裁判と刑罰を司る者を指し、現代で言い換えるなら最高裁裁判長のようなもの。

 即ち、司法トップの地位を与える事によって、帝自ら無罪放免の太鼓判を押してくれたのである。


 そうとなったら、何も怖くは無い。俺は三好長慶の顔色を気にするのを止めた。

 どの道、春を迎えたらオサラバする京都だ。諏訪へ戻ったら、二度と会う事は無い。


 それに三好長慶はあと数年で黄泉路に旅立つ。

 そこから三好家はあれよ、あれよと衰退の一途を辿ってゆくのを俺は歴史で知っている。


 その途端、明らかに周囲の態度が好意的になった。

 そうとはっきりと口にした者は一人も居ないが、どうやら三好長慶の専横を面白く思っていない者は多い。


 余談だが、三好長慶も岩清水祭の件でバツが悪いのだろう。

 三好長慶がこう言っていた、ああ言っていたと文句を文句を人づてに聞いても、本人は俺の前に現れず、その姿を遠目にも暫く見かけないと思っていたら俺の知らない内に本拠地の岸和田城へ帰ったそうな。めでたし、めでたしである。


 だが、未だに考える。もう少し上手くやれなかったのかと。

 それが勘助さんの眼差しに怯んだ理由だった。影武者失格と判断された時は即座に首を差し出すと約束を交わしているだけに。



「いや、逆ですな。諸国を渡り歩いて感じましたが、幾内の者達は東国の者達を田舎者、野蛮人と蔑む傾向が強い。

 ならば、岩清水祭での件は武田の存在を天下に強く知らしめ、ひいては東国侮りがたしの印象を与えてもいます。これだけでも大殿が上洛した意味は十分に有るかと」

「そうか、そう言ってくれるか」



 しかし、杞憂だったらしい。

 先ほどの眼差しの中に嗜めが含んでいたのは間違いないが、呷った盃を下ろした勘助さんの表情は笑顔。心底愉快そうに頬をニヤリと吊り上げており、思わず安堵の溜息を漏らす。



「ただ、小言を一つだけ言わせて頂きますと、一人の女に情を傾けるのは止した方がよろしいですな」

「うぐっ……。」

「もう一人、この京で女を作られてはいかがでしょうか?

 今の大殿ならば、一つや二つはその手の話を申し込まれているのでは?」

「そ、それはっ……。」



 だが、それも束の間。

 空になった勘助さんの盃に酒を注ごうとして、酒瓶と盃を動揺にカチンと打ち鳴らす。


 妾を新たに囲うなり、愛人を外に作れ。

 そう何度も信繁さんから苦言されており、勘助さんからも言われると実に耳が痛い。

 思わず泣き言を漏らしそうになるが、それは晴信のイメージ像に遠い。慌てて口を右手で塞ぐ。


 信繁さんと勘助さんの二人がそう推める理由は単純明快。

 たった一人の女性に情を注ぐのは弱点となり、晴信が抱えていた奥の乱れにも繋がるからだ。


 しかし、一夫一妻制が常識になっている現代の価値観を持つ俺にとって、これが意外と辛い。

 実を言うと、諏訪の屋敷へ一度も訪れていない正室の三条の方以外、晴信が抱えていた三人の側室とは閨を既に何度か交わしているが、その時の禁忌感たるや半端無い。

 それがスパイスとなって最中は大ハッスルしても、事後はいつも賢者タイムを超えた大賢者タイムである。


 ハーレムは男の夢。

 その憧れを影武者になるまで確かに持っていたが、どうやら俺はハーレムを持てるような器では無いらしい。


 もっとも、よく考えてみると当然だ。

 そんな器と言うか、複数の女性と深い関係になれる器用さを持っていたら、現代で生きていた頃に女性と付き合えていたし、童貞も捨てていたに違いない。



「まあ、無理にとは申しませんが、心には留めておいて下さい。

 ところで……。この屋敷、なかなか良いですな。どなたからの紹介で?」



 首を縦に振れないでいると、勘助さんは溜息を深々と漏らして、話題を唐突に変えた。

 この奥座敷をキョロキョロと見渡した後、次に縁側から見える月明かりに照らされた池付きの庭を眺めると、最後に天井をじっと凝視して。



「ああ、藤孝殿だ。もう随分と前に家が潰えてしまった幕臣が使っていたと聞く」



 釣られて、天井を見上げるが何も無い。見えるのは太い梁と茅葺きの屋根裏だけ。

 この奥座敷は厳密に言うと、寝室、書斎、控室の四部屋でワンセット。それぞれを襖で仕切っているが、天井は繋がった一部屋で天井裏が無い。


 これは暑い夏と寒い冬を快適に過ごす生活の工夫である。

 襖と雨戸を開けきると風通しが良くなって涼しくなり、一部屋を温めるとその予熱が他の部屋にも伝わって炭の節約が出来る。



「……という事は幕府の管理下にあった訳ですな?」

「だろうな。初めて来た時、生活に必要な細々としたものを揃える必要が有ったが、家や庭の手入れはされていた」

「なら、使えますな」

「うん?」



 だが、勘助さんは戦国時代を代表する軍師の一人。きっと俺には見えない何が見えているのだろう。

 それを物語るように勘助さんは酒をなみなみと手酌で注ぐと、それを一気飲み。鼻息をフンスと強く吹き出した。



「拙者、一時のお暇を頂いた後、西国まで足を伸ばしましたが……。

 前もって、大殿から話を聞いていたにも関わらず、あの鉄砲という代物には驚かされました。

 扱いが難しくて、狙っても当たらなければ、射程は弓よりも短い。

 目が飛び出るほどの値が付けられている為、物珍しいだけの酔狂品と扱われていますが……。違う!

 刀や槍がそうなったようにいずれは性能が良くなり、その有用性に誰かが気づいて、数を揃え、大殿が仰った戦法を用いれば、戦の在り方が根底から覆ります!」

「おお! 解ってくれたか!」



 身をやや乗り出して、口早に捲し立てるような熱弁。

 それに感化されて、俺の目は自然と輝き、気づいたら両親指を立てたダブルサムズアップを勘助さんに突き出していた。


 なにせ、武田家滅亡の大きな原因。織田家の台頭と鉄砲の脅威はなかなか解って貰えなかった。

 軍師としての勘か、勘助さんは半信半疑で納得してくれたが、信繁さんは半信半疑にも至っていない。勘助さんが納得したから自分も納得した感が大きい。


 しかし、勘助さんがこうも変われば、信繁さんの俺を見る目も変わる。

 そうなったら、俺の『戦国美食化計画』は今よりもっと加速する。あれも、これも手が出せるようになる。


 今、挑戦しているのはラーメン。

 麺の材料である小麦の入手は難しくない。これまで何度も試行錯誤を繰り返しているが、どうしてもラーメンの麺が作れない。


 出来上がる麺はうどんばかり。

 ラーメン独特のあの黄みさと食感を出す為の何かが決定的に欠けているとしか思えない。



「今、南蛮人の渡来は年に一度か、二度程度と聞きます。

 ですが、この日の本が交易に値する国と知れば、その数を次第に増してゆき、新たなものがこの日の本へ続々と押し寄せてくるでしょう。

 戦に役立つ鉄砲だけではありません。日々の生活に根差した身近なものまで。そう、ありとあらゆるものが……。

 その時、日の本は変わります。当然、その変化はこの都から始まるでしょうが、甲斐信濃は遠すぎる。どう足掻いても乗り遅れてしまいます」

「なるほど……。確かにその通りだ」



 だが、ここは千年の都。勘助さんが言う通り、流行の発信地。

 足を伸ばせば、日本最大の商業港『堺』も在る。今、ラーメンの本場である中国人が交易の為に訪れていないか、ラーメンを作れる者が居ないかを探している真っ最中。


 但し、タイムリミットは京都を離れるその日まで。

 今、滞在は二ヶ月が過ぎ、残すはあと四ヶ月ほど。その後、どうするかが最近の悩みだった。



「ですから、そうした新たな波に乗り遅れない為にも、この都に武田の拠点を作るべきと考えていました。

 そして、この屋敷はその拠点に申し分ありません。

 大きさも手頃なら、京の東に位置するのも良い。万が一の際は裏山へ逃げて煙に巻き、甲斐へ戻る事も容易い。 

 それに何と言っても幕府の管理下に有ったのが良い。ただ、それだけでここを探ろうとする者に対する抑止となり得ます」

「うむ、その言や良し! 思うがままに進めるが良い!

 早速、儂はこの屋敷を正式に譲って貰う為、明日にでも義輝様と藤孝殿の二人に申し込んでこよう!」



 しかし、その悩みは万事解決された。

 胡座をかいている両膝を両手で叩き、勘助さんの提案を喝采する。

 諏訪へ帰った後はこの屋敷を介して、今の日本に無い食材やレシピを諏訪へ送って貰えば良い。


 将来の期待に胸が膨らむ。

 最早、二度と食べれないと考えていた数々のメニューを思い出して、涎が口の中に湧いて溢れてきた。




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