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第3話

 ひとつ、またひとつ、そしてひとつ――扉を開け、殺し、また開けて殺した。そろそろ飽きてきた気もしたときに、図書室に足を踏み入れた。真っ暗な空間。暗いなかで本を読む人がいるはずはない――。私は扉を閉めた。



「ゲホッゲホッ……」

 咳が響く。

「父上、行ったみたいです。もう少し経ったらここを出よう、マリシャスは街でこの事をすぐ人々に知らせてくれ」

「わかりましたイグノランス。人さえいれば抑え込めますし、彼女の横暴を止めなきゃいけない。わたしに任せて」


 暗闇のなかで声を上げた。


「作戦会議は終わりで? イグノランス、マリシャス――それとお父上様」



 メフィスト、ロウソクの火を灯して、と言うと図書室の明かりがすべて付き、部屋の端っこにいる三人をさらけ出す。扉を閉めただけで、私は部屋の外には出なかった。イグノランスが立ち上がって前に出てきた。



「どうしてわかったセレスティア」

「一緒にここで本を読み、語り合ったことを忘れてしまったのですか。あの時の匂いはよく覚えてる……ひとつ、鼻につく匂いを除けばですけど」

「どうしてこんな愚かなことを」

「愚かなのはどちらですか。私を無視し、マリシャスの意見ばかり通す人間のどちらかが」

「だから、追放という形に収めたじゃないか。不満のない生活を送らせたつもりだ僕は!」


 私は右手の剣を上に投げた。縦に回転して、すぐ落ちてくる。


「イグノランス、もし避ければ後悔しますよ」



 落ちてきた剣を掴み、槍のように投げた。正確に――真っ直ぐに飛んでいった。イグノランスは避けて「なにを!」と叫んだ。私が狙った先はイグノランスではない。彼がそれに気づくのは、マリシャスの悲鳴の後だった。



「マリシャス、どうした! ――父上!」



 私が目掛けた先は、皇帝シリー・ノートンの頭。即死で、言葉も咳も鳴ることはない。後ろにあった本まで剣はきれいに刺さっていた。悪魔の力はこれほどまでかと思えた。身体能力に不死の体、誰にも止めることはできないようなものだ。イグノランスは涙を流しながら剣を抜いた。



「なんてことを……許すことはできない、セレスティア」

「私の気持ちわかりましたか? 不満のない生活で許せるものではないでしょうに。それとも私がマリシャスのように、猫撫で声を上げれば許してくださるのですか?」

「ほざくな!」



 彼の口からは普段でないような言葉が飛び出た。それぐらい動揺している様子。それでいて本気で私を殺そうとしてきた。

 剣は手加減などなしに襲ってくる。小さい頃からの英才教育の賜物たまものか、いままでの相手とは格が違う。舞うように楽しみながら斬りつけていた衛兵たちとは違い、イグノランスに対してはしっかり受け止めないと斬られそうだった。



「その血は、赤い血は、何人を殺して――わかっているのか!」

「あなたが作ったのですよ。人は残酷になれると」

「僕がいつした。それでも愛していた」

「愛は憎悪ぞうおにだってなれます――なったのです!」



 イグノランスが私の剣をうまく弾き、体当たりして私の体勢を崩した隙に、心臓を狙い刺した。不死の体には痛みだけで、死ぬことはない。これで終わり、と叩き斬ろうとしたが、すぐに剣を抜き後ろに引いた。



「悪魔に魂を売ったか……」

「聖女に魂を売った人間がそれを言いますか」



 睨み合うなかで、本棚の背を預けているメフィストは「愛し合うふたりの決着ってところか。人間らしいな」達観した様子で語っていた。

 実際そのとおりで、決着をつけなければいけない。私の目的はイグノランスではない、マリシャスだ。そのためには彼女にたぶらかされた間抜けなイグノランスを殺し、マリシャスを絶望させなければならない。私が受けた侮辱は超えてもらわないと気が済まない。だからこそ、イグノランスを私の手で殺す。



「あなたの好きなマリシャスもすぐに送ってあげる! 私もそのあとで会いに行ってあげます、地獄で会いましょうイグノランス!」

 私は剣を振り、前へと足を進めていった。

「もうやめろ、惨めになるだけだ」



 イグノランスに防がれ、反撃されて、斬られ刺されても、足を止めることはしない。いくらイグノランスでもこの行動には後ろに下がり続けるしかなかった。痛みは通るが、マリシャスの死が目の前にあると思えば無いのと同然。

 むしろ、快楽にすらなり得た。ついには、イグノランスが本棚に背中をつけた。私は彼に剣を向ける。



「最後に聞かせて、私に何が足りなかったのかを。マリシャスには何があったのかを」



 マリシャスには……、と片手を胸元に置きながら腰が抜けたように床に膝までつけているマリシャスをイグノランスは見た。マリシャスはいまからでも「イグノランス!」と呼ぶようなヒロイン面をしている。


 剣先で彼の顎を突き、こちらを見させた。茶番劇はもういい。さっさと片付けてマリシャスを殺したいが、私を見捨てた理由を知りたかった。いままで彼の様々な要求に答えたんだ、顎が外れそうになり、痛くなったときが何度あったか……。マリシャスの口の大きさでは到底入らないはず、イグノランスを満足させるのは到底のことでは――。



「お前には無いんだ……」

「そこの聖女より、あるものの方が多いと思っていますが、私は。頭も美貌も、相手を推し量ることも、足りないものなど――」


 イグノランスは悔やみながら吐き捨てた。


「無いんだ、顔を埋める胸がっ!」



 彼の首を数センチ斬った。イグノランスは息ができなくなり、本棚を背に床に座り込んでいった。どうでもよくなった。なにを必死になっていたのかすら、バカらしくなった。どうにか呼吸をしようとしているイグノランスにもう一度剣を向ける。



「そんなにお好きならその首を斬り落とし、マリシャスの死体に挟んでおきます。これで満足でしょうか?」



 目は否定しようとしていたが、首を横に振らせる前に斬り落とした。三十回はその頭は踏まないといけない気分だったが、マリシャスをなぶり殺しにできるならそっちの方が重要だ。小動物みたいに怯えた表情をしている。



「やめてセレスティアさん。こんなひどいこと……もう。不幸にしかならない……」

「気にしないでマリシャス、私は幸福になりますから。あなたに謀られ、不幸のどん底にいましたけど今日返り咲きました。文句があるなら、その胸の内に――いえ、胸に聞いてみてください」

「無駄なことはやめ――」



 私はまず最初に顔を刺した。一回ではない、二回、三回と刺した。それから二度と胸元に手が置けないように、腕を叩き落とした。あとはもう、怒りをぶちまけながら切り刻んだ。



「よくもあの時、ほくそ笑んだこと! もう一回してみなさい、その血だらけで穴だらけの顔で! 胸元に置く手も気に入らない――セルフ心臓マッサージ? 置いてないと死んでしまうもの? もう死ぬから切ってあげたこと感謝して。それに聖女だとか言って、やってることは○女ではなくて。むしろそれの方がまだマシ、イグノランスのことも鼻で笑えることになるから――だけど、あなたのやったことは笑い事じゃない、婚約者をたかが乳でひとつで取られ、周りには聖女に嫉妬する性悪な女に思われ、暑苦しい田舎に追いやられ、私の尊厳を傷つけた重みはあなたの死を持たなければ終わらない。死になさい、俗女ルイアナのマリシャス!」



 最後にもう一度、頭を貫いた。床も本棚も壁も赤い血で染まっている。マリシャスの体はただひとつの部位を除いて、ズタズタに斬り刻んだ。息を切らして、イグノランスの落ちた頭まで歩いていると、メフィストが口笛を吹いた。



「さすがの悪魔である俺でも怖いな、今のは」

「その割には、笑みを浮かべてますけど」

「悪魔ってそういうものなんだ、クックッ……」

「知ったところで悪いですが、もう私も地獄行きですか」

「まあな」


 私はイグノランスの頭を持った。穏やかな顔をしている。


「どうするんだその頭?」

 メフィストが尋ねてきたから答えた。

「約束しましたから、彼の頭をマリシャスの胸に挟むことを。だから彼女の胸だけは一切傷つけてない。ああ見えて自制してましたから、私」

「余計に怖いぜ、それって」



 もっと殺戮の限りとマリシャスを叩き潰したかったが、彼女も死んでしまった。悔いはあるが、これで私の復讐も終わりメフィストに魂を奪われるだけ。

 あとは、このイグノランスの頭を彼女の胸に挟み置いておけば、すべてが終わる。血で重くなった赤いドレスも、これでおしまい。惜しく思いつつも、マリシャスの死体に顔を向けようとしたときだった。



「……この、イカれ令嬢。あと少しだったのに」



 聞き覚えのある猫撫で声は鳴りを潜め、生意気な声が姿を現した。血だらけのマリシャスが立ち上がり、怒りに震えていた。腕も戻っていて、顔もきれいに治っている。深い傷や浅い傷も消えていて、赤いペンキを被ったような姿だった。私は持っていたイグノランスの頭を床に落とした。

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