「それにしても、ビックリしたなぁ〜。
「ボクとしては、
伊藤家での聞き取りを終えてマンションのエントランスホールから外にでた直後、ポツリと語った
「結局、私は稔梨のことをなんにもわかってなかってなかったんだなぁ……」
と、寂しそうにつぶやいた。
クラスメートの知られざる一面を学外の生徒から聞かされる、ということは、ボクにとってもそれなりに衝撃を受ける出来事だったのだから、中学校時代以来の仲であることを自負していた彼女なら、この反応も当然のことだと言えるだろう。
「なんだか、色んな情報が一気に押し寄せてきて、頭が混乱しちゃうよね?」
「こういうときには、プールにでも行って、頭を冷やすに限るよ。と言っても、この気温じゃ、クールダウンどころじゃないけどさ」
観測史上最速の梅雨明け宣言が出されて以降、ひと月以上に渡って猛威をふるい続けている酷暑は、この日も最高気温38℃という、人間の健康に係る重大な被害が生じるおそれのある熱波を提供していた。
ただ、連日のうだるような暑さを恨みながらこぼしたボクの言葉に、クラスメートは敏感に反応した。
「野田くん! いいね、そのアイデア!」
「ナニ言ってるんだい? こんな暑さじゃ、着替えてプールサイドに出るだけで熱中症寸前になるよ。それに、この辺りのプールは、どこも人混みで、まともに水につかることも出来ないだろうし……」
ボクが、夏の庶民の娯楽事情をユフネ・グループのお嬢様にお伝え申し上げると、上級国民に属するであろう彼女は、フフンと意味深な笑みを浮かべて、手持ちのバッグから二枚のチケットを取り出した。
「こんなこともあろうかと思って、招待券をもらっておいて良かったよ」
宇宙戦艦の技術班長のようなセリフを言いながら、湯舟敏羽が手元でヒラヒラとかざすのは、港のそばにある温泉リゾート施設が運営するナイトプールの優待チケットだった。
「夕方からなら、さすがに気温も下がるだろうし、どう? これから、自宅に戻って水着を取ってくるからさ。野田くん、私の
「さすがは、レジャー企業のお嬢様だ。ボクで良ければ、お供するよ」
彼女が、アガサ・クリスティーの探偵小説を読んでいることについては、葛西稔梨の隠された行動と同じくらい意外な事実だったけど、夕方以降の暑さを少しでも涼しく過ごせる提案をボクは二つ返事で了承した。
◆
二人とも、一度、自宅に戻ってプールに入る準備をしてから、祝川駅で待ち合わせ、目的地であるリゾート施設に到着すると、時刻は午後6時前になっていた。
「この時間から館内の入れ替えがあるみたいだから、ちょうど良かったよ」
彼女の実家が経営するリゾート施設は、新港の第一突堤にそびえるように建っていて、遠くから見ると、まるで豪華客船が停泊したような外観だ。その建物を眺めるだけでも、祖父から相続した自宅が大きなだけで、一般的な給与水準の公務員を保護者に持つ庶民のボクにとっては、感嘆の声を上げそうになる程だった。
「やっぱり、ナイトプールは真夏に限るね〜」
すでに陽は西に傾いていて、日中の暑さがようやく収まってきた外気に身を晒しながら、プールサイドの湯舟敏羽は、しみじみと言う。
「誘ってくれてありがとう。ボクの人生で、こんな施設に足を踏み入れることなんて二度と無いかも知れないから、しっかりと、この光景を目に焼き付けておくよ。でも、友だちと来なくてよかったの? こういう場所に来たら、女の子同士でカクテル片手にSNSに写真をアップするもんじゃないの?」
「別にいつもそんなことをしている訳じゃないし……純粋にこの雰囲気を楽しみたいときもあるじゃない? それに、今日の目的は野田くんを慰めるためでもあるもの」
「ボクを慰める? いったい、どうして?」
「だって、池田先輩と別れたってことは、もう野田くんは夏の間に女子の水着姿を目にするチャンスも無いでしょ? そんなキミに私はチャンスを与えた訳です」
「いや、チャンスって、なんの機会だよ?」
困惑しながら応じるボクは、澄ました表情の彼女に目を向ける。
こちらを見つめる湯舟敏羽は、ボトムスこそエスニック感のあるフワリとしたフレア付きの水着に履き替えているものの、上半身は、一時間前、地元の駅に集合した時と同じく、薄手のパーカーを羽織っている。
さらに、お揃いにも見える麦わら帽と編み込みのカゴバッグを持参しており、プールサイドにも関わらず、水と戯れる気はなさそうな雰囲気だ。
「フフ……上半身は普段着と変わらないじゃん? とか思ってるでしょ? それじゃ、しっかりとこれからの光景を目に焼き付けてね」
ボクのツッコミ混じりの返答には一切答えず、昼間に優待券を取り出したときと同じように、またも意味深な笑みを浮かべた彼女は、被っていた麦わら帽子を脱ぎ、羽織っていたパーカーのジッパーを下ろした。
パーカーの下からは、ハイネックタイプの水着が、あらわになる。
上半身を覆う布は、一般的な女性用の水着よりも胸元の露出は少なく、アクティブに動いても問題なさそうなデザインだ。それでも、彼女の肩から腕にかけてのラインは美しく映え、肌の露出は少なく見えても、洗練されたスタイルを演出している。
フレアスカートになっているボトムスも、パーカーを羽織っていた時より、いっそう華やかに映り、フワリとした素材は、上半身の胸元をボリュームがあるように見せているため、上下の水着に挟まれたウエストのラインが、美しい曲線を描いているように映った。
品が良く優美さを感じさせる、そのデザインは、夕陽に映える湯舟敏羽の姿にピッタリとマッチし、思わず、目を奪われてしまう。
「それじゃ、ひと泳ぎしてから、今日の情報を整理しよう!」
そう言った彼女は、屋外の温水プールに、ゆっくりと身体をひたしていった。