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第3章・第7話

「へ、へぇ〜。先生、この近くに住んでるんですか? 都会のド真ん中なのに、スゴいですね?」


 まさか、先生のマンションの前から、この商業施設まで尾行をしていたなんて言えるはずもなく、ボクがシラを切りながら返答すると、担任教師は、


「えぇ、そこらの喫茶店より美味しいコーヒーを飲ませてあげる」


と、ニコリと微笑む。


 現存する日本最古の喫茶店がアーケード街にあるなど、コーヒーに関する専門店が少なくないこの港街で、それは、なかなかの強気な発言に思えるけど、ボクは別の意味で恐縮していた。


「そんな……買い物のアドバイスまでしてもらったのに悪いですよ」


「遠慮しないで。先生も野田くんに助けてもらいたいことがあるから」


「ボクに助けてもらいたいこと、ですか?」


「えぇ、ここじゃ、なんだから……詳しくは、ウチに来てから、ね? ここから歩いて5分ほどだから」


 にこやかに微笑みながらも、有無を言わせぬ雰囲気を感じさせる言葉に、少したじろぎながら同意せざるを得なかった。


「それじゃ、お言葉に甘えて……」


 こちらの返答に「ありがとう」と言って笑顔を見せた三浦先生にあとに続き、ボクは、1時間ほど前に通って来た道をふたたび山側に向かって歩く。


 人通りの多いトアロードから、路地に入った通りに面した場所に、マンションのエントランスの入口はあった。


 最初に来たときは気づかなかったが、1階〜3階まではマンションの住居ではなく、色々な店舗が入っているようで、居住部分は、4階から上のフロアが当てられているようだ。8階の中階層にある先生の住居は、同じフロアに5室あるうちの一部屋だった。


「東向きの窓だからね。すぐにクーラーも効いてくると思うわ」


 部屋にボクを招いてくれた先生は、照明をつける前にクーラーのスイッチをオンにし、10畳以上はある広さのリビング・ダイニングの明かりをつけてから、キッチンに移動し、コーヒーの準備を始める。


「アイスとホット、どちらが良い。アイスコーヒーも、今朝抽出した水出しのがあるから時間は掛からないわ」


「それじゃ、アイスコーヒーをお願いします」


「お砂糖とミルクは?」


「ブラックでお願いします」


「こんなところでも、大人ぶるのね?」


 そう言った先生は、アイスコーヒーをふたつのグラスに注いだあと、ミルク瓶を添えて、ボクが腰掛けさせてもらっているダイニングテーブルの方に運んできた。


「さぁ、どうぞ。ラテにも合うように深煎りの豆を選んでいるから、苦ければミルクを足してちょうだい」


 テーブルに置かれたグラスからは、アイスなのに、濃厚なコーヒーの香りが漂う。


「いただきます」


 と言って、一口、液体を口に含むと、苦みと酸味の効いた香りが口いっぱいに広がった。

 ボクが、この苦みをどう表現しようか、と考えていると、コーヒーの味に関する感想は求めず、三浦先生は、こんなことを言ってきた。


「アナタ相手に回りくどい言い方をするのもなんだから、率直に言うけど……先生ね、野田くんに協力してほしいことがあるの」


「なんですか、あらたまって? みんなに、もっと勉強して英語の平均点を上げるように要請するとか?」


「それが、冗談でないなら、いまは授業やテストのことは考えなくて良いわ」


「じゃあ、どんなことです?」


「このクラスで、いったい何が起きているのか、野田くんの知ってることや思っていることを教えてほしいの」


「あの……ひとつ聞いて良いですか? それを知って、先生になんのメリットがあるんでしょう?」


 ボクの質問に、担任教師は、悩ましくため息をつく。


「クラスで立て続けに、こんなことがあったでしょう? 学校でも、私の立場が微妙になっていてね……」


「いや、そんなの先生の責任じゃないでしょう? 葛西さんのことは、まだ警察が捜査中だし、仲田さんに至っては、ひき逃げに遭っただけなんだから、担任の先生が責められるような理由は無いと思うんですけど?」


「職員室の狭い世界じゃね……そう考えないヒトもいるの」


「そうなんですか? 差し支えなければ、それは、どの先生か聞いても大丈夫ですか?」


「えぇ、他に誰にも言わない……と、約束してくれるなら……」


「わかりました」


 ボクが返答すると、三浦先生は、数名の教師の名前をあげた。


「まず最初に大野先生、次に和田先生。そして、中野先生かしら? 校長先生に私のことを色々と言っているらしいの」


「どうして、そんなことを?」


 ボクがたずねると、「これは、あまり言いたくないんだけど……」と、少し言い淀んだあと、三浦先生は、自らの身の上話を語り始めた。


「私は、高校生の頃に父を亡くしてね……アルバイトをしながら受験して、大学に通ったの。山本理事長はね、父の古い知人で大学を出てから就職に困らないよう、向陽学院の教職を紹介してくれたの。そうしたことが、理事長に贔屓されていると見られているのかも知れないわ……こんなこと、他の誰にも言えないんだけど――――――」


 そう語る三浦先生の表情には、これまで、教室をはじめとする学院内ではボクが見たことの無い、憂いのようなものが見て取れた。

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