──私がエルディー伯爵領に来てから、早いもので一ヶ月が経とうとしていた。
ここでの生活は快適そのもの。屋敷は広く、ご飯は美味しくて、婚約者のアゼルは変態だけど甘やかし上手。まったく不自由なんてない、筈……なのに。
なぜか、ずっと胸の奥がムズムズしていた。
……どういった訳か両親と連絡がつかない。それに苛立ちが募っていた。
この世界の通信手段は、魔法を介したものがあるが、私は国外追放された身。
法律的に、ロズミア王国内に住まう父母に“魔法を介して”の連絡ができない。
なので、出立の時に父母に“手紙を書く”と言ったのだ。
非通知で電話をかけるような抜け道はあるが、魔力というのは追跡しやすい。もはや各々が生まれた時から持つマイナンバーカードのようなもの。バレた時の罰金がなかなか洒落にならないので、だから手紙にしたのだが。
(いくらなんでも遅すぎじゃないかしら……泣く程心配してた癖に)
だから、ポストマンにも送付した手紙の追跡して貰ったのだが、途中で追跡ができなくなってるとの事。
「この距離ですと、出して三日後には届いている筈ですがね……」
困った顔で言われるので、私も頷く他なかった。
一応は、この世界の産みの親だ。
幼少の記憶だってきちんとあるので、やはり心配してしまう。だが、一ヶ月近く経過しても、うんともすんともこないのは、段々と腹が立てきた。
……フリーランスのクリエイター職にとって、報連相は大切だ。
仕事にヤル気の無い取引先の典型は、この“報連相”が大抵できていない。
大雑把な指示で分からない事を訊けば、面倒臭そうな対応。言われたとおりに修正したのに“そうじゃない”。大事な色彩の確認に連絡をしても、ずっと返事が返って来ないだの……。
そう、食い違いが本当に多い。
こいつら皆、覇気無くヤル気無く、死んだ魚の目で仕事してるのだろうか。と思う。
過去の微妙な企業とのやりとりをふと思い出してしまった私は、イライラと舌打ちを一つ。まぁ家族はお仕事ではないけど、やっぱきちんと連絡は返して欲しいって思っちゃうのよね。
ほぅ。とため息を一つつき、私は机から紙を取り出した。
これは前世の知識だが……
ジャーナリング──心を整える手法がある。思考を文章に起こす事で、自分の感情を可視化する。
けれど私は猟奇絵師、ハードコア・ピーナッツ。文章より、絵の方が手に馴染む。
つまり、絵で浄化する。描くしかない。
そして、そういう時に一番捗るモチーフは──
「……ちん、ですわね」(真顔)
そう、描き慣れてるのよ。局部。
単純な形に見えて、血管、陰影、角度、質感、皺。あれは全て、表情の塊。
私は、サクサクと鉛筆を走らせる。さながら呼吸。もはや修行。
本当ならば、サクっと書けてサクっと消せてしまう液晶ペンタブが完成してからやるべきだろうが、とにかく今、局部が描きたい気持ちでいっぱいだった。
(だけど、こんな絵アゼルに見られたら、私のレディとしての矜持が終わるわね……)
異常性癖カミングアウト済みとはいえ、さすがに局部描くの得意ですは、ハードルが高すぎる上、刺激が強すぎる。
その時だった。コンコンと軽快な叩扉の後──
「ヴィオたん、ただいまぁ!」
帰って来た婚約者に、私の頬はカァアアアっと熱くなる。
いや、今はまずい。
え? 気配ゼロ!? 貴方、処刑人というか暗殺者!?
足音、気配一つも気付かなかった。
私は慌てて、机に置いていた男性の局部が描き殴った紙をひっくり返そうとするが……間が悪い事に、ひらりと飛び、アゼルの足下に落ちてしまったのである。
(……やばぁあああああい!)
しゃがんだアゼルはそれを拾う。
そして空色の目が何度も、私と紙を交互に見た。
「え? 上手っ……ヴィオたん上手いね、ちん」
「違う、違うわぁ! これはね、魔除けになる海洋生物の!」
──ぁあああああ! 言わせてたまるか! というか、なんだそれは。私も勝手に言ってしまった。
私は首をぶんぶんと振るが、対峙したアゼルは訝しげに眉をひそめる。
「ヴィオたん、嘘は良くないよ? そんなもん聞いた事も無い。だって、どう見てもこれ……」
そう言って、紙を机に置いて、私の耳元にふぅと息をふきかける。
──#@!(強制伏せ字)でしょ?
なんて、激甘に言って。外耳に食むようなキスをされたのだ。
「ひっ!」
「とても上手。彫刻でも思い出して描いてたの?」
なんだこの尋問は。この人、拷問も行う事もあるとは最近聞いたが、拷問官の血が騒いでない?
彼を見ると、優しい面輪のままだが、その瞳の奥には鈍い光。
楽しんでいる事が、なんとなく分かってしまった。
「どうなの? ヴィオたん。男の人の見た事あるの? そうだったらやだなぁ」
まだ続くの?! 恥ずかしい。
私は首をぶんぶんと横に振り乱す。
「ないわよ!(この世界では)」
事実だ。そう言うと、彼はどこか安心したようにクスっと笑む。
しかし耳にキスなんて。まだ手の甲だけで本当にキスなんかした事も無いが……ヴィオレシアとして一気に大人の階段を上ってしまった気がする。
「ふふ。耳真っ赤。資料が欲しかったら、俺の“実物”いつでも見せてあげるね?」
甘ったるく言って、もう一度耳たぶにキスを。
……もう、顔面が爆ぜてしまいそうな程熱かった。
気持ちが昂ぶると、モブおじさんみたいな癖に……ちゃんと女性向作品の男性登場人物らしい、甘めな振る舞いもできるんかい。
そう思うと、本当にこの人は“ズルいな”なんて思ってしまった。
いやでも“実物”を見せてくれるって……おい。さらっと、凄い事言ったわよ。
「──結構よ!」
首をぶんぶんと振って、アゼルに言うと彼はやんわり優しく微笑んだ。
どうして私はこんなにたじたじになってしまうのやら。前世では彼の年齢とそう年端が変わらないとはいえ、九歳も歳が離れているからか。
色々明かした上で、こうも大切にしてくれて……本当に好きになり始めてしまったからだろうか。
あの婚約破棄を、“一生の傷に残るような恥なんてかかせないのに”と言って、自分の地雷を包み込んでくれた事が大きいだろうか。
「ま。なにはともあれ、もうすぐお夕飯になるよ?」
そう言って私の後ろ髪をぽんぽんと優しく撫でると、アゼルは部屋を出て行った。
私の選んだ道はきっと正しい。私は、この人がいい。
部屋を後にする彼を見ていても、私の頬の熱はまだ下がる気配が無かった。
***
それから、一週間以上──。
相変わらず両親からの音沙汰は無かった。
そして、アゼルはロズミア王国で処刑があると屋敷を出た。
「ついでにヴィオたんの両親の事探ってくるね」「良い子でお留守番しててね、お土産買ってくるよ」なんて甘やかに彼は言ってくれた。
──そうして二日後。
玄関ホールに、足音高くアゼルが駆け込んで来た。
「ヴィオたん、君の両親が牢獄に捕らわれてる! ……妹様の、マルガレータ様が行方不明になっている!」
その言葉に、私は目を大きく見開いた。