──ラルヴェン王子に婚約破棄され、国外追放されたヴィオレシアは、悪名高い処刑人アゼル・ナザ=エルディーに引き取られたとの話は既に国中に広がっているらしい。
マラスピーナ侯爵家の誇りがあったのだろう。両親は娘がアゼルと婚約した事を、公には一切口外しなかった。
その為だろうか、ヴィオレシアが処刑人の屋敷に囚われ、奴隷のように扱われているだの、陵辱を受けているのではないかだのといった、心無い噂が蔓延っているらしい。
拷問も辞さぬ恐怖の処刑人。――彼の手にかかった以上、もうこの世には居ないのではないか、などと。
アゼルはその旨を苦しげに語る。
「それで、君のご両親が牢に繋がれた理由は……その、君の事が原因で……」
言いかけて、アゼルはこめかみに手を当て、苦しげに眉をひそめた。
その面輪を見るだけで、なんとなく察せてしまう。
彼がどれだけ怒り、そして胸を痛めているか。
「教えてちょうだい」
私が促すと、彼は静かに口を開いた。
「君という“希代の悪女”を育てた家として、マラスピーナ侯爵家は爵位を剥奪され、財産も全て差し押さえられた。婚約破棄からわずか数日後、ラルヴェン王子が直々にそう命じたみたい。……それから、ロズミアの配送機関にも問い合わせたが、君が出した手紙はどうやら処分されたらしい。王族の命で、侯爵家宛の手紙だのは全て廃棄されていた」
「なんですって……」
私は思わず息を呑み、両手をぎゅっと握り締めた。
確かに、両親はマルガレータの出生の件で多くの過ちを犯した。
けれど、そこまでの罰を受けるような人間ではない。
「そんな! それで、マルちゃん……ううん、マルガレータは?!」
私がアゼルにしがみつく勢いで縋るように訊くと、彼は少しだけ驚いた顔をするものの、すぐに首を横に振るう。
「分からない。けれど、良くない噂ばかり耳にする。君が追放された後、彼女は新たな婚約者として王宮に入ったらしいが、そこから……一週間も経たぬうちに、見る影もないほどに痩せ細ってしまったそうだ。そして……夜になると妃の離宮から、悲鳴が聞こえるようになったらしい」
ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。
……考えうる可能性は、ひとつ。
虐待だ。
私は拳を震わせた。創作と現実は違う。
猟奇や陵辱の妄想を描いてきたが、現実に女の子を傷付ける男は、最低以下のゴミだと私は思っている。
「やっぱり……私の目に狂いはなかった」
あの男は、間違いなくこの世界の住人ではない。
きっと私と同じ。別の世界から、この“物語”に入り込んだ異物だ。
この世界に生きる血縁者たち。
そして、何も知らずに踏みにじられたマルガレータ。私には、助ける責任がある。
そんな思考の渦の中で、ふとアゼルが私の肩に手を置いた。
彼は屈んで、私と視線を合わせて、やんわりと笑んだ。
そうして肩を摩られると、落ちつけとでも言いたいような。そんな風に感じられる。
「ねぇ、ヴィオたん。俺はね、王族の処刑権限を持つ“日陰者”だ。法の下裁かれれば、王さえ処刑できる立場にある。……そして、この“日陰者”たちは互いに繋がっている。宮察省――王宮の不正を暴く、秘密裏の調査機関とも繋がりがあるんだ。実は、今回の情報も、そこの職員から聞いたんだ」
ロズミア王国は君主制国家。その政が正しく行われているか探る機関があるとは聞いた事があったが、まさかそこと繋がりがあるだなんて。
驚いて私が目をしばたたくと、アゼルはやんわりと微笑んだ。
「君がご家族を助けたいと願うなら、俺は全力で協力する。宮察省の奴らは、魔法や魔導技術のプロだ。王宮内でも魔力の探知にかからない手段で潜入もできる。必ず救える手段がある」
──ヴィオたんはどうしたい?
そう訊くアゼルを私は、真っ直ぐに見つめた。
もう答えなんて、決まっている。
***
それから数日後。
アゼルと懇意にしているという宮察省の職員が、二人ほど屋敷を訪れた。
調査の結果は、真っ黒だった。
ラルヴェン王子は――やはり、私と同じく“異世界の住人”に違いなかった。
『何で、よりによってこんなクソ小説世界に転生してんだよ!』
空間に映し出された映像の彼。その顔は、いつもの端整で気品ある王子とはかけ離れた、醜悪な男の顔だった。
――あの新人賞、俺の作品の方が良かった。
あんな小説が通るとか、マジでありえねぇ。
悪役令嬢? ヒロイン? なにあのテンプレ。馬鹿みたい。
こんなの、女引っかけて遊んでた方がマシじゃん。
譫言のように言った彼の目の前にはマルガレータが怯えた面輪で震えていた。
その姿は、裸同然の恰好で、体中痣だらけで顔は涙でぐしゃぐしゃ。
相変わらずマルちゃんは泣き顔が可愛すぎる。けれど、今の私は、怒りしか感じなかった。
「いったい王太子殿下は何を言ってるのでしょう……」
隣で映像を見る、職員の呟きに私は首を振る。
……ああ、彼は、とんでもなく無様な“作家さん”でしたわ。
私はその正体を一瞬で暴いた。
考えずとも、彼がどんな人物なのか、想像できる。
だって、形違えど……同じく創る者“クリエイター”だから。
こうして、実績を得た他人を否定して、非難ばかりする人間こそ、口ばかり達者で実力はいつまで経っても伴わない。
他人をコケにして笑う事で悦に浸る、最低な自慰行為野郎……。
絵師でも作家でもこのタイプは関わらないに方が良い。そんな存在だろう。
だけど、自分だって転生前の記憶があるのだ。こういう事は、話さない方がいいに決まってる。
「分かりませんわ。恐らく前世の記憶とかでしょうか、気が触れてるのですわ」
私は目を細め首を振るしかできなかった。
そして、マラスピーナ侯爵家救出の為の、準備が着々と進んでいた。
私は追放された立場だが、その魔力量と技術力から作戦への参加を求められた。
そして、私が作りたい……と材料だけ集めて設計図だけ描いて放置していた魔導式の液タブ、これこそ使えるだろうと着目されたのだ。
宮察省の職員の知恵もあって、魔導液タブは早々と完成した。
私の憶測では半年から一年かかるだろうと思ったものを、たったの三日足らずで創り上げたのだ。それも、私の想像を遙か超える程の高性能を……。
液タブというより……沢山のアプリを入れたので、普通のタブレットに近いが、それでも機能性が抜群だった。
お絵描きソフトは──私の記憶の中の*lipStudioP*oをそのまま反映させたもの。
魔法とはイマジネーション。もはや再現度がかなり高く、そのままだった。
だが、どうにも、中世風世界観な事もあって、縁取りは無駄にラグジュアリー。金の蔓薔薇が絡んでいる。まぁ可愛いので良しとしましょう。
だが、ただの液タブと違うのは……。
私はサラサラと液晶にペンを走らせて絵を描くとペンに付いた魔法石に念じる。
「この絵に命を吹き込む、出てきなさい──“
ペンに込めた魔力とともに召喚されたのは、モザイク不可避な触手の群れ。
どろりとした白濁の粘液を吐き出し、私の後ろでネチネチと音を上げて蠢く。
そう、この魔導具は持ち主の私が絵に描いたものを呼び出し、使役できるのだ。
まぁ……本当に“悪役”みたいな魔法だけど、まぁいいでしょう。
できる事なら、王太子の腹を裂いて
生かしてても、止血魔法してもダメかと訊いたが、ダメらしい。
なので、別の方向でいく事にする。
だが、それもまた愉快なアイデアが浮かんでしまった。
これぞ、屈辱とトラウマの最高峰。
王子には、婚約破棄の“三千倍”の屈辱を味わって貰いましょう。
(私たち業界では、よく言うわ“感度三千倍”って。ふふ……死にたくなるほどの“屈辱三千倍”でいきましょう。ふふふふ…キヒッ)
私は心の底からほくそ笑んだ。