噴水の周りでは、学生たちが思い思いに過ごしている。
その一角で、ひときわ明るい笑い声が響いていた。
輪の中心にいるのは、
「あはは、マジかよ! それって完全にアレじゃん、単位落とすやつじゃん! なんだ、お前バッカでぇ~、ウケるー!」
ただただ子犬のように無邪気で、見る者の心を和ませる。
太陽を浴び、キラキラと輝く淡い栗色の髪は、柔らかそうに風に揺れる。色素の薄い瞳は好奇心いっぱいにきょろきょろと動いていた。
その人なつっこい動きが、ふと止まる。見つけたのは、幼馴染の卜部 壱武だった。
「あれ、壱武じゃーん! おっはよー!」
千弥は、今までしていた会話もそっちのけ。ブンブンと手を振る。
隣で友人たちが、「おい、話の途中だぞ」と苦笑しているのも気付かない。
そんな様子に壱武は、苦虫を嚙み潰した顔で向かって来た。
「うっわ、いっけないんだー。壱武さ、午前の講義、ブッチしたでしょ? ダメじゃん、そーいうのちゃんとしなきゃー! 山田教授、意外と出席見てっからなー、後で泣きついても知らねーぞー?」
人の気も知らないで、と壱武は心中で毒づく。
一体誰のせいで、あんな目に遭い、二日酔いにも似た強烈な倦怠感と共に目覚める羽目になったと思っているのか。この状況で講義に出られるわけがないだろう。
壱武は、首筋に残る疼きを、手のひらで抑え込んだ。
「チッ、この脳内お花畑が」
「え? 何か言った? っていうか壱武、なんか顔色悪くない? 大丈夫? 夜更かしでもしたの? 」
心配そうに首を傾げる千弥の、悪意のない言葉が、神経を逆撫でする。壱武は何も答えず、その隣にドカッと大股で腰を下ろした。
そして、鬱憤を晴らすかのように、柔らかそうな頬を力いっぱい、むにゅーっと引っ張る。指先からは、予想通りのマシュマロのような感触。
「うぎゃーっ! いひゃい! いひゃいよ、かずひゃーっ! なにふんだよ、いひなりー!」
「お前がそうやって能天気にヘラヘラ笑ってるから、こっちがどれだけ迷惑してると思ってんだ……すこしは反省しろっ!」
「な、なにおう!? おえがなにしたっていおのさー! ……うう、ひどい濡れ衣だー!」
千弥が涙目で抗議の声を上げるが、壱武は一切緩める気配がない。
様子を見ていた友人たちは、もはや日常茶飯事と囁き合う。
「あーあ、また始まったよ、卜部の千弥いじり。今日の千弥は何をやらかしたんだか」
「いや、今回はさすがに……卜部が一方的に絡んでるだけだろ。てか、ホント仲いいよな、お前ら。見てて飽きないわ」
千弥は頬を赤く腫らしながらも、けろりと、むしろどこか嬉しそうにする。
「えー! そお? 仲良しに見える? やった! でも、壱武って機嫌悪いとおれのこといじめてくんだよな、めっちゃムカつく。でも、これも人助けだよね」
「人助けだと? どの口がそんな寝言を」
壱武の眉間の皺が、さらに深くなる。底抜けのポジティブさは、ある種の才能なのかもしれないが、いちいちカンに障った。
と、そこに、きゃいきゃいと女子グループが駆け寄ってきた。
「あっ、卜部くんだー! ねえねえ、昨日の特殊使役のレポート終わった? もしよかったら、ちょっと参考にさせてほしいんだけど。お礼、するからさ! ほら、駅前にできた新しいカフェ、一緒に行かない?」
「ってか、卜部くん、今週の金曜の夜、空いてたりする? 新歓コンパなんだけど、卜部くんも来ないかなーって話してて。イケメンいると盛り上がるじゃん?」
壱武は、その近寄りがたいオーラとぶっきらぼうな態度にも関わらず、学内ではいわゆる隠れファンが多いタイプだった。
整った顔立ち、どこか影のあるミステリアスな雰囲気。そして、何よりも名家『卜部』の跡取りという肩書き。
普段はクールなくせに、たまに見せる不器用な優しさのギャップ。
よって、クールな眼差しに射抜かれたい女子は、後を絶たなかった。
「はあ……悪いが、どっちも興味ない。レポートは自分でやれ。俺は騒がしい場所は好かんし、そもそも鍛錬があるからな」
華やかな誘いを、壱武はバッサリと切り捨てる。
女子たちは一瞬気まずそうな顔をしたが、すぐに「そっかー、残念」「また誘うね!」と去っていった。
一部始終を目の当たりにした千弥は、「ぐぎぎぎっ!」と地団駄を踏み始めた。
「きーーっ! なんで壱武ばっかりモテるんだよー! 不公平だ、おれだって、おれだってもっと女子にチヤホヤされたい! 甘やかされたい! 毎日『千弥くーん♡』ってキャーキャー言われたーい! なんならお金持ちお嬢様に養われて、一生働かずに遊んで暮らしたい人生だったんですけどー!」
「お前には、落ち着きのある態度が足りないんだ。いいから、真面目に勉強と修行をしろ」
「むっきー! 壱武のいけずー! わからずやー! 女心の敵ー!」
壱武に呆れられ、ますますじたばたする千弥。
その抜けた奔放さが、顔が良いのに弟分的マスコットとして扱われる最大の理由なのだが。
壱武は、そんな騒がしい日常の中に身を置きながらも、これから巻き起こるであろう異変へと意識を向ける。
この帝国では、怪異の存在は決して非日常ではない。
明治に起きた『イザナミ事変』以降、目に見えない世界の力は確実に増している。
壱武の視線は、無邪気に騒ぐ千弥に、複雑な色を帯びて注がれた。
はたして、己はこの幼馴染をどこまで守れるのだろうか?