「だが、鎮魂か」
壱武は、長閑な景色に目をやったまま口にした。
「ま、眉唾モンだな。そもそも、神にまで昇った怨念なんざ、人がそう易々と御せるもんじゃねぇ」
「あら、カズくんは手厳しいわね。でも、出来事を伝承して、怒りや悲しみを鎮めようと努めてきた想いは、尊いものじゃないかしら」
「想い、ね。想いだけでどうにかなるなら、俺たちの仕事なんざとっくに無くなってる」
真弥の
千弥は漂う空気に入れず、後部座席で黙りこくっていた。さっきまでの浮かれた気分は、すっかり萎んでしまっている。
(なんか、とんでもない任務に来ちゃったんじゃないか、おれ)
やがて、村でもひときわ立派な門構えの屋敷に停車した。
ここが面を守護してきた一族、古くは地頭の役目を担っていたという倉科家の屋敷。
降りると、使用人と並び初老の男が出迎えた。白髪の混じった髪をきっちりと撫でつけた、身なりの良い人物が深々と頭を下げている。
男は倉科家の現当主であり、村長。
しかしながら、取り仕切ったのは意外にも、孫娘を名乗る年端も行かぬ少女だった。
「ようこそお越しくださいました。卜部様、薬子様。このような辺鄙な村へ、足を運びくださいまして感謝に堪えません。わたくし、
由良は前髪を切りそろえた、市松人形に似た風貌の少女で、真っ青な着物を身につけていた。物腰は丁寧。端々から一行への敬意と、歓迎の念が感じられる。
「足元に、お気を付け下さいましね」
案内された屋敷は、磨き上げられた廊下がひんやりと心地よい。生けられたシャクヤクが、趣きある彩りを添えている。
客間に通されると、上等な茶と、名産の和菓子が運ばれてきた。
「なんというか。すごく歓迎されてるね、おれたち」
千弥がぽつりと呟くと、贄川が応える。
「それは当然です。八面大王の御霊を鎮めることは、安曇の民にとって重要な事柄。協力する薬子家もまた、村を挙げてお迎えして然るべき存在です」
「さすがに、それは偉そうじゃない?」
贄川は薬子分家という立場から、口にする。彼は土地に縁ある者だが、一行が受ける待遇を当たり前と思っているようだ。
壱武は茶器に口をつけずに、鋭い視線を倉科 由良に向けていた。
「して。倉科 由良と言ったな。今までも、例の仮面を保管してきたのか?」
「その通りでございます。これは代々の使命ですから」
「ではなぜ、今さら政府に接触して来た? いや、どうして仮面の秘匿を解いた」
村における祭事の真意を、今の今まで発見しえなかったのは、隠して来たからではないのか。そう尋ねた。
「……そうでございますね、確かに。我らは八面大王様をお守りするため、祭りの真意。御神体を秘して参りました」
しかしながらと、由良は続ける。
「それは時の政府が、御神体を排除しないか危惧してのこと。なにせ、大王様はまつろわぬもの、朝敵に御座います故に」
「今ならば、安全と見越したと?」
「ええ、現代においては、きちんとこちらが誠意をお伝えすれば、わかりあえるのではないか、と思った次第です」
一行に与えられた任は、為される儀式が安全なものかどうか見定め、必要であれば支援を行うこと。
閉鎖的であった異能者の一族が、現在の体制に合流する前例は多ければ多いほど良い。そんな政治的なものだった。
(じいさん方も、随分と面倒な仕事を押し付けてくれる)
事前調査では、限りなく白に近いグレー。こちらから、関係に亀裂を入れるわけにはいかない。
「ならば早速だが、本題に入らせてもらう。八面大王の仮面……『歓喜の相』は、今どこに?」
「御神体は、屋敷奥にある神蔵にて、厳重に保管しております。封を解くのは、祭りの前である今時期だけ。しばし準備にお時間をいただきたく」
厳重に扱われているのは、確かなようだ。目くばせすると、他のメンバーも頷く。
「薬子としても問題ないわ、気軽に確認できる品ではないことに納得できる。ねえ、兄貴」
「うぇ? あー、おう! そうだな!」
「……話、きいてた?」
ジト目で、兄を睨みつける真弥。明らかに、千弥は茶菓子に夢中だった。
「ではまずは、ごゆるりと旅の疲れを癒してください。明日にでも、改めて案内いたしましょう」
由良は穏やかにそう言うと、後のことは使用人に任せ、部屋を辞していった。一行はヒソヒソと語り合う。
「で、贄川。あの娘は、信用できるの?」
「そう、ですね。実のところ経歴上、不審な点はないのです。村長も生まれも育ちもこの村で……遠い先祖を辿れば、例の凶事を為した地頭に行きつくとは思いますが」
「なら、償いの気持ちなのかしら」
「さあ? しかし、贄川としましては、村の者たちが怪しければ、処罰して仮面を奪っても良いと思っておりますが」
「はあ。容易くそんなことをしたら、誰もあたしたちを信用しなくなるでしょ」
贄川は、あくまで薬子家至上で物を言う。忠誠心が高いのは有難いが、悩みの種になりそうだ。
そこに、ぼんやりと千弥も反応した。
「償いか。でも、それも可哀想だな。やった本人たちじゃないのに」
そんなやりとりを、壱武はなにも言わずに見守っていた。
さあ、まず受けたもてなしは豪華な夕餉だった。
香ばしい岩魚の塩焼き、じゅうじゅうと音立てる信州牛の朴葉味噌焼き、肉が引き締まった軍鶏鍋。
瑞々しい採れたての山菜が、さっくりとした天ぷらになっており、蓋を開けた瞬間、芳醇な薫り立ち上る松茸の土瓶蒸しと隙が無い。
どれもこれも帝都ではそう味わえない、絶品ばかり。
「んん~~! しあわせ~! お肉、口の中でとろけるんだけど!?」
「兄貴、はしたない。でも、この軍鶏鍋は出汁が利いてるわぁ」
「うまいものはうまいんだからしょーがねーよな! あ、壱武! その天ぷら残すならおれが貰う!」
「誰が残すか、バカ。大体、食いすぎだお前は」
壱武は文句を言いながらも、皿にあった舞茸の天ぷらを、ひょいと移してやる。千弥は「やった!サンキュー!」と、満面の笑みで食いついた。
「ああ、また甘やかしてるし」
「いつも、ああでござますか?」
「いつも、ああなのよ」
のほほんと贄川が給仕するなか、真弥は冷ややかな態度だ。もう何年もこの二人を見守っているが、いつまでこうなのやら。
既に男性陣は、日本酒にまで手を付けているが、そんな彼女が飲むのはお茶。
「はあ、にしても大人はズルいわねえ。数年しか変わらないのに」
「え? ああ、真弥様は未成年でしたね」
「花の女子高生ですけど! なによ、あたしが老けてるとでも言うのっ!」
「い、いえ。その、落ち着いてるなあ、と」
とはいえ真弥とて、同年代比べて浮いてる自覚はある。不承不承、淹れたてのお茶に口をつけつつ軍鶏を食む。
「はあ、弱かったらねえ……乙女なんかやれないのよ」
真弥は、不肖の兄と幼馴染が戯れる姿を眺めながら、やはり年齢に似合わないため息をついた。