目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第8話 歓喜に歪む鬼神の面

 真弥から、こってりとお説教を喰らった翌朝。

 一応は、しゃんとした顔で、倉科家の客間に揃っていた。壱武と千弥の間に流れる空気は、どこかギクシャクしているが。


「おれ、悪くねえもん」

「だって、コイツが……」

「おだまりっ! 男どもっ!」


 真弥が叱りつけて黙らせてから、案件を進める。


「皆様、昨日はお楽しみいただけましたでしょうか。準備が整いましたので、御神体の元へ、ご案内いたします」


 現れたのは、やはり真っ青な着物に身を包んだ、倉科 由良だった。市松人形のような容姿に、控えめで奥ゆかしい微笑が湛えられている。


「村長はいないのか?」

「案内はわたくしが相応しいかと。仮面を取り扱うお役目は、もはやわたくしが担っております」

「へー。由良ちゃん、まだ若いのにすごいんだね」

「それほどでもございませんのよ、どうぞこちらへ」


 屋敷は、複雑に入り組んでいた。

 客間から続く廊下から、さらに足を踏み入れる。歩くたびに、磨き上げられた檜の床板が、重みを確かめるように心地よく軋んだ。


「奇妙な間取りだな」

「気の流れが変だね。あ~、怪異を惑わせる構成なのか」

「ご明察です、千弥様。あまり風水的には、よろしくないのでしょうけれど」

「屋敷のこちら側が、疑似的な異界になってるの面白いね」


 さらっと直感めいた洞察で、千弥は看破する。培われた鋭敏な感性は、容易く違和感を知識によって裏付けする。

 さすがに一行は、感心の声を漏らした。


「言われてみれば、確かに。兄貴の言う通りだわ」

「さすがは薬子の長子、千弥様でございます」


 区画に張り巡らされているのは、建築の観点から、人ならざるものを惑わせる術法。重ねて張られた結界は、人の立ち入りを拒むのではなく、内にある何かを封じるための術理。


 終着点は、異質なほどに重厚な造りだった。扉には幾重にも呪符が貼られ、意匠の施された威圧的なかんぬきが掛けられていた。


「ここが、神蔵でございます。……開けなさい」


 使用人たちが厳かに閂を外していく。ギィィ、という悲鳴に似た音と共に、冷気が溢れ出してきた。

 蔵は、外光が一切届かない、伽藍とした闇。由良が燭台に火を灯すと、ようやく姿を現す。


 中央に一つだけ置かれた、白木の台座。


 ――そこに『歓喜の相』が鎮座していた。


 見る者がつられて笑ってしまいそうなほど、満面の笑みをたたえていた。目尻は下がり、口角は大きく上がっている。まさに歓喜の相。


 その木彫りの面が、こちらを見据えている。待ち構えていたかのように。


「気色の悪りぃ面だな」


 壱武が、腕を組んで吐き捨てる。

 八面大王の仮面。卜部の祖先『坂上田村麻呂』が成敗した稀代の政敵、その怨念の化身。


「油断しないで、カズくん。八面大王は、薬子の源流にある『大嶽丸おおたけまる様』と並ぶほどの神格よ」

「言われるまでもない、奴と同格なんて油断するわけねえだろ」


 まず、真弥は小型の霊気計測器をかざし、数値を読み取った。


「封印の術式に異常はなし。霊気数値も……安定はしてる」

「安定、ね。人の念が神にまで至った残滓。爆弾が爆発してないだけの状態を、安定とは言わねぇよ」

「でも、少なくとも、倉科の鎮魂の儀は機能してたのでしょうね。祭りは行われるべきよ」

「……神蔵の構造はさすがだな。確かに長年封ずるには、この規模がいるか」


 二人の分析を背に、千弥だけはじっと仮面に魅入っていた。

 やはり、眼に知性が宿る。何かを確かめるように、ゆっくりと一歩、台座に近づく。


「すごい静かなのに、底知れない圧がある。……これが人の念が産んだ、呪物の極地」


 千弥の純朴な感想、しんと静まり返った神蔵に響く。

 全員の視線が、彼に注がれた。


「なんだろう、このお面。本当に、ずーっと心の底から喜んでるみたいだ。この時を待ちわびていたみたいに。でも、寂しいって言ってる」


 ――寂しい。


 聞いて、壱武と真弥は互いに視線で確認した。

 八面大王の逸話には、このようなものがある。曰く、八面大王とは……八人の首領であったのだ、とか。

 あえて、口にしはしなかったが、想像したくないことだった。


(このレベルの呪物が、あと七枚あるだと? 仮に、だとすれば面倒なことになる)


 千弥は導かれるように、さらに仮面に近づいていく。


「兄貴、それ以上はっ!」

「一体、何をそんなに喜んでいるの? ……何をそんなに、悲しんでいるの?」


 千弥がほとんど無意識に、そう問いかけた刹那。


 ぞわり、と。

 神蔵の空気が、質量を持ったかのように重くなった。

 仮面自体に物理的な変化はない。だが、存在感、放つ気の密度が、明らかに一段階深まったのを、場にいた術師全員が肌で感じ取った。


『――アソボウ?』

「う、ぁ……ッ!?」


 脳髄を直接掴まれたような衝撃に、千弥の膝ががくりと折れた。視界が白く染まり、耳奥で甲高く鳴り響く。


「おい、どうした! 千弥!」


 壱武が駆け寄り、肩を強く掴んだ瞬間、千弥はハッと我に返った。


「え? あ、あれ?」

「大丈夫か、顔が真っ青だぞ」

「う、うん。なんか、今、一瞬だけ……すごい、楽しそうな声が」


 千弥の声が、明らかに震えていた。


「あの、皆様。調査の結論が出たのでしたら、すぐにここを出ましょう。差し出がましいとは思いますが、千弥様のお身体に障ります」


 贄川は、千弥の身を慮った。

 確かに、長居するべきではない。ここにいるだけで、妙な影響を受けかねないと誰もが思った。


 帰り際、由良は穏やかに言った。


「薬子様は……いえ、千弥様は誠にお優しい方なのですね」


 やはり、由良の浮かべる微笑は奥ゆかしい。


「八面大王様も、きっとお喜びでしょう。千弥様のように、ご自身の心を理解してくださる方が現れたことを。今年の祭りは、きっと素晴らしいものになりますわ」

「そうかな。だったら、嬉しいな。すこしでも心安らかになってほしい」


 青ざめた千弥は、壱武に身体を支えられながらも、掛けられた言葉に同調した。


 しかし、なぜだろう。壱武は「素晴らしい祭り」と言う言葉に。

 奇妙にも、不吉な予感を感じてしまった。


 ――にぃっ。


 人知れず、閉ざされた扉の向こう側で、満面の笑みをたたえていた木彫りの仮面の口角が、ほんの僅かに吊り上がった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?