空が深い藍色に染まり、宵闇が村を呑み込む頃。
どこからともなく、腹の底から響くような、盛大なる大太鼓の音が鳴り響いた。ドン、ドン、と人々の鼓動と共鳴する。
それが待ちわびた、祝祭の始まりを告げる合図となった。
古民家も各々、軒先に赤や黄の提灯を灯し。神社へと続く道と広場が、屋台で賑わう。
一行は浴衣に着替え、祭りに参加した。
「うわああああっ! 超キレイーっ!」
「おおっ、すっげー! まるで、絵巻物の中に入り込んだみたいだ!」
長閑な昼の顔から一転、浮き出しだった熱気に包まれる。
聞けば、今の時期になれば縁者も遠方から帰って来るらしい。観光客もいるのは、ひそかに一風変わった祭りとして話題であるからとのことだ。
「そう、か。この時代だから、か」
ぼそりと千弥は、灯りを眺めつつ口にした。
「なにがだ?」
「いやさ、なぜ仮面のことを隠さなくなったのか。隠し通すの、限界だったのかもしれないなって。遅かれ早かれ、もっと広まった時に、おれたちみたいなのが調べるかもしれないでしょ」
「……ああ、そういう話か」
「うわーっ! 見て見て壱武ー、射的がある!」
「って、おい!」
真面目な話をしていた次には、もう別の話。千弥は、目を輝かせなが袖をぐいぐいと引っ張って来る。
「もー。兄貴ったら、はしゃぎすぎ。仕事だって忘れないでよね!」
「いーんだよ! やるときはやる、遊ぶときは遊ぶ! これ、社会人の基本だから! な、壱武!」
「俺を巻き込むな。ついでに、お前は大学生なので、正確には社会人ではない」
「でも、おれ働いてんじゃんっ!」
広場は、まさに喧騒の渦中。
ソースの甘じょっぱい匂い漂う、焼きそば屋台。色とりどりの水風船が浮かぶ露店。景品の並んだ輪投げコーナー。
「りんご飴! 綿あめ! あっ、チョコバナナもある!? 真弥、おれ、あれ食べたい!」
「はいはい、わかったから走らないの。まあ、たまにはこういうのも、悪くはないわね」
真弥も、普段はすましているが、根は年頃の女子高生だ。祭りの賑わいに、自然と頬が緩む。
「真弥様、千弥様。人混みにはお気を付けくださいね」
「おっけ、おっけー! 銕郎も遊べよな! あ、射的で勝負しようぜ!」
「はあ。……千弥様は仕方のないお方ですね」
贄川が気を張り巡らせるなか、三人は束の間、祭りを満喫することにした。
村人たちのなかには、笑顔の手作り面を被る者がいた。祭り囃子に合わせて輪になり、古風な舞を踊っている。
奇妙に思った壱武は、贄川に尋ねる。
「贄川、あれは?」
「福白様……つまり、一般の村人たちには、御神体は笑顔をもたらす福の神として伝わっているようでして。原型には、村を支え見守る優しい、力持ちの逸話がございますね」
「ほう、真実とかなり違うじゃないか」
「そう、ですね。一説によると、福白様は祭りの際に村人に紛れて、楽しんでいかれるのだとか」
「……ありえないだろ、アレは」
いったい、どのような変遷をたどったのか。
村に根付く祭りは、一見、八面大王とは無関係な福の神だった。後から付け加えられた解釈なのか、別の話が混ざってそうなったかは、もはや知りようもない。
福々しい翁の面、はにかんだ乙女の面、無邪気な子どもの面。誰もが一体となって、やぐらを囲い、ゆったりとした優美な舞の輪を描いていた。
そこに儚げながらも、厳かな笛の音を添えているのは、倉科 由良だった。巫女服を纏い、手足に鈴が飾られている。
袖がひるがえって、足拍子が揃うたびに、しゃん、と涼やかに鳴った。
観光客たちも村人から手渡された面をつけ、見よう見まねで輪に加わり、会場は穏やかな高揚感に包まれていた。
「ありもしない幻想を、なぜこうも楽しめるのか理解に苦しむ」
といいつつも、壱武はいつもの仏頂面を和らげている。そんな珍しい横顔を、真弥は見逃さない。
「なーに、カズくん。ちょっと見惚れちゃってんの? 実は楽しんでる?」
「フン。悪くはねぇが、人が多いのは好かん」
「はいはい。カズくんは、うちの兄貴が楽しそうにしてれば、どこでも満足だもんねー」
「黙ってろ。あの能天気が危なっかしいから、目が離せないだけだ」
壱武は憎まれ口を叩きつつも、やはり目線はしゃぐ千弥を追っていた。
「やれやれ、なんでこんなに素直じゃないんだろ」と、真弥はため息をつく。
そこに若い娘たちが数人、頬を林檎のように染めながら、もじもじとやってきた。声を掛けられたのは、壱武。
「あ、あの! 卜部様、ですよねっ? も、もし、よろしければ! 私達と一緒に、踊っていただけませんか!? 記念にっ!」
瞳は、期待に輝く。都会の打算とは違う、素朴さ。
壱武は眉間の皺をぐっと深くし、僅かに悩んだ末「俺はいい」と、いつもの調子で一蹴しようとした。だが、すかさず控えていた倉科家の者が、恭しく口上を述べる。
「卜部様。これもまた村の安寧を祈る、大切なご奉納の一つにございますれば。どうか、村民のささやかな願いを、お聞き届けくださいませ」
壱武の眉間の皺が、一層深くなった。
(断りにくい言い回ししやがって。祭りの参加要請を断ったら、立場上問題あるだろうが)
仕方なく重い腰を上げ、舞の輪へと歩みを進めた。
見様見真似の、不慣れな手つき。だが、鍛え抜かれた、しなやかな体幹を持つ壱武が動けば、それは不思議と洗練された神事の舞に見えた。
そも、舞も呪法の一種であるから、嗜みとしては備えている。
ぶっきらぼうでクールな表情。篝火に照らされて浮かび上がる、汗ばんだ首筋、力強い身体の線。
荒々しさと神聖さが入り混じったアンバランスな魅力に、娘たちはうっとりと見惚れ、周りからも感嘆のため息が漏れる。
「いいなぁ、壱武は。どこにいてもカッコよくて」
千弥は、離れた
羨望と、祭りの熱気から取り残されたような、寂しさが浮かんでいる。
「……そうか。祭りに入れない『寂しさ』ってこんな感じか」
「なによ、兄貴も誘われてくればいいじゃない。ほら、女の子たち、こっちもチラチラ見てるわよ? モテたいんでしょ」
確かに、娘たちのなかには、千弥に目を向けている者もいた。しかし、千弥は力なく笑って首を振った。
「いや、俺はいいや。なんか……見てるだけで、お腹いっぱい」
楽しげに響き渡る祭り囃子。音の隙間に、微かな不協和音が混じっている。
賑やかで楽しげな雰囲気に嘘はないのに、陽炎のように揺らめいて別の感情が垣間見える。
(なんでだろう。こんなに賑やかなのに、誰かの泣き声が聞こえるみたいだ)
微かな目眩と耳鳴りを覚え、千弥は無意識にぎゅっと胸元を押さえた。
そこに誘いをかけて来たのは、娘たちではなかった。
「千弥様、楽しんではいただけぬのですか?」
そこにいたのは、先ほどまで演奏をしていた由良だった。