「アハ、ハハハッ! 素晴ラシイ、素晴ラシイゾッ! 皆、我ヲ祝エ! 喜ベ! 踊レ! 遊ベッ!」
骨と肉が歪み、人のものとは思えぬ巨躯へと変貌した怪物。甲高く、脳髄を掻き乱すように、声帯から狂気を木霊させる。
顔には、満面の笑みをたたえた【歓喜の相】が、根を張るように癒着していた。
「な……なんてものを、呼び起こしてくれたのよ。 みんな、気をしっかり持って! 耳を塞ぎなさい!」
真弥が、奥歯を噛みしめる。
霊気計測器は、けたたましい警告を鳴らし続け、振り切れた針がカタカタと震えていた。
「
真弥が咄嗟に祝詞を唱え、結界を張る。が、『歓喜』の波動はあまりにも強く、みしみしと障壁が悲鳴を上げた。
度が過ぎた感情エネルギーは、もはや人間を壊す劇薬。
正気を失った鬼士たちは共鳴し、ケラケラと笑いながら同士討ちを始めている。洞窟内は、阿鼻叫喚の地獄絵図。
「真弥様、危ないっ!」
「きゃっ!」
贄川が、咄嗟に真弥と由良を庇い、地面に伏せる。
そこを通過したのは、乱暴に振り回された怪物の大腕。
千弥は、飛び散る岩片を紙一重でかわしながら、鋭く叫んだ。
「銕郎くん! 神官さんたちを連れて、洞窟の外へ! 早く!」
「し、しかし、千弥様は!」
「いいから行け! ここは、おれたちが足止めする!」
贄川はためらうが、真弥の「行きなさい、贄川! ここはあたしたちの仕事よ!」という一喝に、唇を噛んで頷いた。
気絶している神官を担ぎ、決死の形相で洞窟の出口へと人々を誘導する。
「さて、と。アレをなんとかすんのは至難の業だなー」
残されたのは、薬子兄妹だけ。
対するは、狂喜の笑いを上げ続ける、大鬼をした異形の災厄。
「兄貴、どうするの!? アレを祓うなんて、あたしたちだけじゃ!」
「祓うんじゃない。……止めるんだよ」
「止めるって、どうやって!?」
千弥は、深く、深く息を吸い込んだ。
脳裏に蘇るのは、いつか交わした幼馴染との会話。
『万が一の時は、何としてでも止めてやるから突っ走れ。……胸を張れよ、お前は強い』
一番大事な、不器用な幼馴染が、幼い頃そう言ってくれた。
(バカだよな、壱武は。おれのこと、買いかぶりすぎなんだって。でも、だからこそ……おれは走れる)
信じて、託されたこの場で、自分が成すべきことを成す。
「真弥、援護を頼む。――ちょっと荒っぽくなるぜ」
「え……兄貴?」
千弥の瞳から、光が消えた。昏く、深淵を覗き込むかのような、冷徹さが宿る。薬子家に代々伝わる、霊力を身体能力に転化させる秘術――『神降ろし』を応用した荒業。
本来は、身体を酷使する禁じ手。
「ヒャハハ、ソコノムスメ! アソボウッ! アソボウヨォッ!」
怪物が、真弥を目掛けて巨大な腕を振り下ろす!
風を切り裂く、死の一撃。
「――させっかよ!」
千弥は、地面を蹴った。
いや、蹴ったというよりは、地面が爆ぜた、と言った方が正しい。
常人では目で追えないほどの速度で、怪物の腕の下に滑り込み、その体重を全身で受け止める!
「なっ!?」
真弥が息をのむ。
華奢なはずの兄の身体が、巨大な腕を、ぴたりと、その場で受け止めていた。ミシリ、と千弥の足元に亀裂が走る。
「グ……ゥウウウッ!」
「『歓び』とやら……あんたが抱えてきた全部。おれが、受け止めてやるよ!」
雄叫びを上げながら、千弥は怪物の腕を、力任せに跳ね上げた!
巨体がバランスを崩し、大きくよろめく。
「今よ、兄貴!」
好機を、真弥は見逃さない。
指先に挟んだ呪符が、数十もの光の矢となって怪物の全身に突き刺さる!
「グギッ!? ギャアアアアアッ!」
破邪の光矢が、穢れた肉を焼く。怪物は苦悶の叫びを上げた。
が、すぐに再生を始める。顔の『歓喜の相』が、禍々しく煌めくと、傷を癒していく。
「ダメだ、再生能力が高すぎるわ。……いっそ洞窟を崩して封ずるか」
「いや、ありゃ肉体を得てるのが不味いなー。たぶん出てくる。だからまず、気の流れを減退させなきゃ」
千弥は、鬼面衆たちが持っていた刀剣と呪具を、拾うと駆け出す。
「薬子流・体術――『鬼喰い』!」
周囲にある、あらゆるものを使って全力で抵抗を試みた。
再び地を蹴る。悪鬼の中心、心臓を目掛けて一直線に。振るわれる拳をすり抜け、一閃。武器を使い捨てては、切り込むを繰り返す。
真弥が再び、光の矢束を解き放ち、援護する。そのまま渾身の力を込めて。
ついには、悪鬼の心臓に破魔の杭を突き立てる。
「うぉぉぉおおおおッ!!」
ズブリ、と。
杭が、肉を抉り、骨を砕き、その中心に深く突き刺さる。
「ガ……ア……アアアアアアア……」
怪物の動きが、ぴたりと止まった。
顔の仮面から、黒い煙が上がり、亀裂が走る。
「やった……の?」
真弥が、息を飲んで見守る。
「……アハ」
ぽつりと、怪物の口から、声が漏れた。
「ギャハハハッ、ヒャハハハッ!!! マダ、アソボウ! アソボウヨ!」
先ほどよりも、さらに躍動と狂気に満ちた哄笑。
「なっ、ウソでしょ、これも効いてない!?」
「純粋に、ここにある呪具じゃキャパが足りてないなぁ。……歴史と念が浅すぎる」
――せめて、本家に保管される一品でもあれば。
悪鬼は、胸に杭が突き刺さったまま、恍惚とした表情で、ゆっくりと千弥に手を伸ばしてきた。
「モット、モットダ! モットワレヲ、ヨロコバセロォォォオオオ!」
万事休す。千弥はもう動けなかった。『神降ろし』の反動で、全身が悲鳴を上げている。
(ここまで、か。ごめん、壱武。でも、せめて、なんとか真弥だけでも守りてぇよ)
諦めかけた、その時。
『――最期の望みは妹、か。よかろう』
唐突に、脳内に響いた。
傲岸不遜で、聞き覚えのないはずの声。全く知らないはずのその誰かは、なぜかひどく懐かしかった。
「陳腐な紛い物に、我が本物の鬼というものを教えてやる」
千弥の瞳が、ギラリと、赤く――染まった。