「フフ、我が戯れるには、役者が不足しておるな」
鼻で嗤うような、尊大な息遣い。
それは、もはや千弥のものではなかった。
全身から立ち上る霊気の質が、まるで違う。先ほどまでの陽は鳴りを潜め、万物を睥睨する昏き王者の気配に満ちる。
「あ、兄貴……? まさか、またアイツになっちゃったの?」
真弥が震える。
赤く、爛々と輝く瞳。普段の優しげな面影はどこにもない。口元には、現世の一切合切を嘲笑うかのような、妖艶な笑みが浮かんでいた。
「キヒ……ヒ、なんだ、オマエ。ワレと同じニオイがするゾ? ドウホウカ? ドウホウ、ナノカ? アソブカ?」
歓喜の悪鬼は、本能で感じ取っていた。
目の前の小僧が、自分と同質、あるいはそれ以上の『ナニカ』に変貌したことを。
問いに“千弥”は、くつり、と喉奥を鳴らした。
「同胞、だと? 痴れ者が。貴様のような、矮小なる紛い物と、我を一緒にするでないわ。偽りの器に、不完全な化身。見るに堪えん」
優美で、残酷な響きを持って裁定する。
「我は、まつろわぬ者たちの王。――
大嶽丸の姿が、掻き消えた。
いや、消えたのではない。到底捉えきれない疾さで、歩いた、のだ。
「……オ?」
視えたのは結果のみ。華奢なはずの細腕が、巨大な悪鬼の胴に深々と突き刺さっている。
「脆弱にして、無様」
そのまま、悪鬼の体内で何かを掴み、力任せに引きずり出した。
胸に刺さったままだった破魔の杭と、それに絡みついた、どす黒い怨念の塊……核となる心臓だった。
「こんな玩具で、随分と我が器を痛めつけてくれたものよな。腹立たしい」
ぎりり、と怨念の塊を握り潰す。
断末魔の叫びと共に、悪鬼の肉体が、まるで砂城が崩れるように、ボロボロと崩壊を始めた。
「ギャアアアアッ!? ワレのチカラガ、ヨロコビガ、キエテイクゥウウ!」
「元より、貴様の力ではないだろうが。借り物を、さも己のもののように囀るな、戯けめ」
大嶽丸は、崩れゆく悪鬼に一瞥もくれず、抜け落ちた【歓喜の相】を、汚いものでも払うかのように、無造作に蹴り飛ばした。
「カ、カズくん……お願い、早く来て!」
あまりにも圧倒的な、蹂躙。
真弥は、これが自分の兄の姿だとは、到底信じられなかった。あれは、まさしく伝説に聞く、まつろわぬ鬼神そのもの。
真弥は、兄を守るためではなく。いつか、兄を『祓う』ための最終手段として懐に忍ばせていた、卜部家特製の『自爆符』を震える手で握りしめた。
「フン、小賢しいことを」
大嶽丸の赤い瞳が、ちらりと真弥に向けられる。ただの視線。それだけで真弥は呼吸すらままならなくなった。
「……あ、ああ」
「妹、という生き物は――なぜこうなのじゃろう、な」
だが、意外にも大嶽丸はそれ以上、何もしなかった。身動きできぬ、真弥を通り過ぎていく。
代わりに、ゆっくりと、未だに岩陰に
「ひぃっ!」
由良は、腰を抜かして後ずさった。
大嶽丸は、その美しい顔を眼前に近づけると、甘く冷たい息を吐いて、囁いた。
「――由良と言ったな。お主の企み、実に愉しかったぞ」
「な……何をっ」
「祖父を使い、痴れ者どもを煽り、絶望をちらつかせる。さすれば、この心優しき愚かな器は、必ずや限界を超えて我を呼び覚ます。……そうであろう?」
由良の顔から、血の気が引いていく。
「褒めてつかわす。その狡猾さと、度胸。気に入った。……使ってやってもいい。見目も悪くはないのう」
「あ……あ……っ」
「だが、一つ気に入らぬことがある」
優美な指先が、顎をくい、と持ち上げる。
赤い瞳が、射殺すように由良を射抜いた。
「――我が器を弄び、気安く触れたな」
ひやり、とした殺気。
大嶽丸は落ちていた太刀を拾い上げ、刃先を由良の喉元に突きつけた。はらはらと、刃に触れた髪が落とされる。
「さて。どう詫びる? 我を愉しませた褒美と、我が物を弄んだ罰。どちらもくれてやらねば、公平ではあるまい? なあ?」
気まぐれと理性が同居した、絶対王者の戯れ。
恐怖と、抗いがたい魔性の王気に、完全に支配されていた。
「そこまでだ、外道が」
洞窟の入り口に、蒼い影が立つ。
月光を背負い、息は乱れているが、瞳に揺らぎはない。
卜部 壱武――見参。