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第4話 ワカネ、初めて家族と出会う朝

まだ夜とも朝ともつかぬ微かな明かりの中で、ワカネは静かに目を覚ました。


耳の先にひっかかるような、どこかの風音。

石の壁にやさしくぶつかって流れる、乾いた音。


──ああ、そうだった。

ここは父・ワカギの寝所。

昨夜のうちに、産屋からここへ運ばれてきたのだった。


身を横たえていた藍布の下から、ほのかにお日様の匂いと、もう一つ。

橘の皮をむいた時のような、すこし苦くて甘い香りが鼻先をくすぐる。


思わず、ワカネは小さな鼻をその方向へと近づけた。


その瞬間、額から後頭部にかけて大きな手がそっと撫でる。

そして、耳の後ろをやさしくカリカリと掻いてくれる感触。


「……まだ、早いよ。もう少し……寝てなさい」


眠たげな声。低く、けれど響きの柔らかい、父の声。

ワカネは安心したように「きゅ……」と小さく鳴いた。

体が温もりに沈み、まぶたがまた重くなる。


──静寂がまた、戻ってきた。


再び目覚めた時、空はかすかに白んでいた。

けれど部屋の奥はまだ影に沈み、風の音だけが近くを通る。


ふと気配を感じて顔を上げると、そこにひとり、立っていた。


自分よりもはるかに大きいが、父ほどではない。

黒髪にうっすら藍の筋。銀の瞳。

その人は、まっすぐこちらを見ていた。


「……なんだ?」


ワカネは動けなかった。

その目が、まるで凪いだ湖面のようで――息を呑んだまま、ぴたりと固まる。


その人物は、ふん、と小さく鼻を鳴らしながら、しゃがみ込んでワカネに近づくと、くんくんと匂いを嗅いだ。


そして、ためらいなく抱き上げた。


「軽……おまえ、何だ?」


まだ幼い彼にとっても、これは明らかに「普通の赤子」ではなかった。

龍のようで、龍ではない。

鱗のような光沢のある毛並みに、揺れる尾。


けれど、確かに赤子であり、たしかに女児のようだとわかる。


「……うちの子か? いや、違うな……」


疑問を口にしながら、ワカネを抱いて廊下へ出た。


行き着いた先は、朝餉の支度が進む、居間だった。


すでに幾人かの兄たちがそこにおり、香ばしい海藻の焼ける香りと、干物を炙る煙が空間に漂っていた。


そして――


ワカネを抱いたまま入ってきた末の弟ワツナギを、兄たちが一斉に見た。

そしてその腕の中の、小さな不思議を見た。


「……それ、なに?」


「わからない。でも……父さんが連れてきた」


一瞬、空気が止まった。

だがその静寂を破ったのは、三男・ワミツキだった。


「……この子、同じ匂いがする」


ふんふんと鼻を寄せ、嬉しそうに笑う。


「ぼくたちと、同じ。ワの匂い!」


その言葉に、皆が順にワカネへ鼻を近づけた。


「……たしかに。血の匂いだ」


「でも雌みたいだな?」


そして、ぴぃぃぃ……と

ワカネが、ついに泣いた。


そこへ慌てて駆けつけてきたワカギが、兄たちの視線を受けつつも、そっと息子からワカネを抱き上げてその背を撫でた。


兄たちはしばし、言葉もなく見つめた。


けれどその目に、怯えはなかった。


不思議さと、まだ知らぬ家族への――淡い好奇心だけがあった。

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