レポート用紙のざらついた端は、プリンターの残した熱を帯びており、冷えた汗に濡れた徹の掌にしっとりと馴染んでいた。
コンビニの天井灯が白く顔を照らし、引き締まった顎のラインに、先ほどの無言の電子音が差し込んだ後、かすかに異様な鋭さが宿った。
《小野理恵 好感度ポイント累計:25ポイント。現在保有ポイント:145ポイント。》
徹は目をぎゅっと閉じ、再び開くと腕時計を見た。午前四時半。
十時まで、あと五時間半。
今さら棺桶ほどの広さしかない自室に帰っても、床に丸まって朝を待つだけ。意味なんてない。
徹は迷いなく、さっきプリンターから出てきたばかりの“命綱”——丸山工業の最終分析レポートをくしゃくしゃに丸めた。
紙の玉は、コンビニの壁際に設置されたリサイクルゴミ箱へと、静かな音を立てて放られた。
そして身体の悲鳴を無視し、机に残っていた冷えきった缶コーヒーを何本も手に取り、まるで儀式のように、一気に流し込む。
喉が焼けつくように痛み、思わずむせ返るが、システムから付与された“活力増進”バフの清冽な覚醒感は、なおも静かに体内を循環していた。
冷たい鋼線に神経を括りつけられたような、不自然なハイテンション。
疲弊した肉体の内側で、無理やり注入された力が脈を打つ。
レジの夜勤店員はカウンターの向こうで突っ伏して眠っており、よだれさえ垂らしていた。
徹は荷物をつかみ、振り返ることなく重いガラス扉を押し開けた。
安っぽい匂いが染み付いた薄手の上着をぎゅっと締め、新たな目的地へ——
道路を挟んだ向かいにある、もう一軒の24時間営業コンビニ「セブン-イレブン」。
新宿駅周辺、コンビニは鉄の森に灯る夜の明かりのように、決して消えることはない。
恵比寿ガーデンプレイスの裏手、小道にあるその店は、幹線通りから少し離れており、静かだった。
——チリン。
無機質な電子チャイムが静寂を裂く。
扉を押し開けた瞬間、洗剤、関東煮、レンジ食品が混ざった“コンビニの匂い”が鼻を突く。
目的は明確だった。
徹は迷うことなく奥の窓際、比較的静かな休憩スペースへ。
電源を繋ぎ、PCを開く——あの丸めて捨てたレポートを、論理も表現も含めて、ゼロから作り直す。
システム? 好感度ポイント? 小野理恵?
頭の中を駆け巡るそれらの言葉を、徹は意志の力で押さえ込んだ。
今この瞬間、必要なのはただ一つ。
——データと、ロジックだ。
深く息を吸い込み、十本の指をキーボードの上に構えた。
——その瞬間。
視線がふと、足元の窓ガラスをかすめた。
街灯の薄暗い光の中、アニメの落書きだらけの暴走族バイクが“ギャアア”という音と共に、店の前の狭い歩道で急ブレーキをかけて停まった。
排気ガスを撒き散らしながら。
眉をひそめた。こんな時間にチンピラが現れるのは珍しくもない。
ただ、自分に関わらなければそれでいい。
再び意識を画面へと戻そうとした、——そのとき。
——ドン!
ガラスの自動ドアが外から荒々しく叩き開けられた。
その勢いに、ドア枠が軋むような音を立てる。
煙草と汗の強烈な臭いが、一気に店内に流れ込んだ。
「よぉよぉ〜、夜勤のカワイコちゃん、退屈してるんじゃねぇの?」
だみ声の笑いとともに、三人の男たちが店内へなだれ込む。
全員がどぎつい柄のシャツにボロいブーツ、革のベストには暴走族のようなマークが入っていた。
先頭の男は金髪にしており、耳には安っぽいドクロのピアスが揺れている。
まっすぐにレジカウンターへと向かっていった。
《環境スキャン警告:潜在的脅威対象(三名)を検出。脅威レベル:低。》
またしても、あの冷たい電子音が脳内を貫く。
徹の心がズシリと沈む。
レジに立っていたのは、夜勤の若い女性店員だった。
徹はその姿を一瞥して、思わず目を止めた。
彼女はおそらく十八か十九歳ほど。前髪はぱっつんの黒髪ストレート、あどけなさの残る小さな輪郭。
だが制服のシャツが胸元でピンと張っているのがわかるほど、発育は良すぎるほどよかった。
紺色のプリーツスカートは少し短く、
露出した脚は白く細く整っており、足元の白いハイソックスと黒いローファーが制服姿を完成させていた。
だが今、彼女は明らかに怯えていた。
手に持つスキャナーを強く握りしめ、指の関節が真っ白になるほど。体は微かに震え、
まるで雨に打たれる花の蕾のように、小さな顔には怯えの色しかなかった。
見開いた瞳には、彼女にじり寄る三人の影がくっきりと映っていた。
徹の視界には彼女の容姿がしっかりと映り、すぐに新たなシステム評価がオーバーレイのように現れた。
《新ターゲット検出……スキャン完了。総合評価:SSランク(極めて高い潜在性)
氏名:白石 凛(19歳)
属性:コンビニ夜勤アルバイト
初期好感度ポイント:0(有効接続未成立)》
SS……だと?
徹の瞳孔がわずかに収縮した。
栗色の巻き髪に銀縁眼鏡の彼女(Aランク)のイメージが脳裏に浮かび、比較してしまう。
天と地ほどの差——そう思わずにはいられなかった。
言葉にできない、妙な感覚が心臓をきゅっと締め付ける。
「凛ちゃーん? 凛ちゃんで合ってるよな?」
金髪の男はニヤつきながら、手にした空の缶ビールでレジのガラス面をカンカンと叩いた。
視線は彼女の身体全体を舐めるように流し、その胸元にいやらしく留まる。
「こんな時間に一人で寂しいだろ? お兄さんたちと遊ぼうよ? 今日はもう“早退”でいいじゃん?」
後ろの二人もそれに呼応するように、ゲラゲラと下品な笑い声を上げ、
そのうちの一人は舌をいやらしく唇に這わせた。
凛の体はさらに震え、目には涙が溜まり始める。
「や、やめてください……お願いです……帰って……ください……」
か細く、泣き出しそうな声。
しかしその声は男たちの騒々しい笑いにあっという間にかき消された。
彼女の脚は力を失い、思わず後ずさる。
だが、背後にあるのは冷たいドリンク用ショーケースのガラス。
——もう、どこにも逃げ場はなかった。