意識が闇の中から浮かび上がったとき、最初に感じたのはあたたかな黄色い灯りだった。空気にはほんのりと清潔な香りが漂っている。
下には柔らかなマットレスの感触。
部屋の中で誰かが静かに動いている足音が聞こえた。
彼女が振り返り、手にマグカップを持っている。
「目が覚めた?」ほっとしたような、嬉しそうな声。彼女は早足で近づいてきた。「体調はどう? これ、温かいものを飲んで。」
温もりのあるカップが手に押し付けられる。中身はミルクだ。
体を起こして視線を彼女の顔に向ける。
学生時代のあどけなさは消え、美しい輪郭と落ち着いた優しさを湛えた瞳。けれど、眉のあたりにどこか見覚えのある面影が残っている。
「小林美佑……?」確信が持てず、思わず名前を呼んだ。
記憶の中の彼女は矯正器具をつけ、大人しく教室の隅に座っていた。目立たない存在だった。
「私だよ。」美佑は微笑み、ミルクを飲むよう促した。「運が良かったね。もう少し遅かったら大変だったと思うよ。」
蜂蜜入りのミルクはほのかに甘く、喉を通るたびに胃のむかつきが少し和らいだ。
数口飲んで、カップを置く。
「昨夜は……迷惑かけたね。」
「気にしないで。」美佑は椅子を引き寄せてベッドのそばに座る。「でも、どんな付き合いでそんなに飲んだの? あなた、お酒は苦手だったはずだけど。」
「仕事で仕方なく。」曖昧に答えた。
大学時代はそれなりに親しかったが、妹の事件以来、昔の友人たちとの連絡を絶っていた。
まさかここで再会するとは思ってもみなかった。
「仕事?」美佑は納得していない様子だったが、深くは追及せず話題を変えた。「私はイギリスで三年ほど勉強して、ついこの前帰ってきたの。昨夜は友達とカラオケで集まってて、帰りがけにトイレの前で倒れてるあなたを見つけたんだ。」
少し怖かった、と彼女は言う。「本当に、私が見つけなかったらどうなってたか……。」
「ごめん、せっかくの集まりを邪魔してしまって。」
「もう終わってたから気にしないで。」手を振ってみせる。「それより、まだ顔色が悪いよ。もう少し休んだ方がいい。」
首を振り、布団をめくってベッドを降りた。
窓の外はまだ真っ暗だ。
「もう行かないと。」
「どこへ?」美佑は眉をひそめる。「まだ午前三時だよ。この状態でどこへ行くの?」
「会社に。」靴を探しながら答える。「早起きが習慣だから。」
「習慣?」彼女の声に戸惑いと、わずかな苛立ちが滲む。「そんなに飲んでおいて、次の日もきっちり出勤? あなたの会社、他に人いないの?」
「大丈夫。」立ち上がると、まだめまいが残っていて胃も痛む。「慣れてるから。」
この三年間、星野黎子は一度も病欠も休暇も認めてくれなかった。
昨夜も早く帰ったことで、今日はさらに厳しく当たられるだろう。
星野崇が彼女のそばに置いたのは、本来は監督のためだったが、今や彼女の不満をぶつけるための存在になってしまった。
少しでも弱みを見せれば、彼女は決して許さない。
「ソファで十分だよ。」枕を手に取る。「夏は涼しいし。」これ以上彼女の部屋に迷惑をかけたくなかった。
美佑はそれ以上何も言わず、静かに薄い毛布を渡してくれた。
寝室のドアまで歩きかけたとき、彼女の声が静かな深夜に響いた。
「健太、そこまでして星野黎子のために働く必要あるの?」
思わず足が止まり、振り返る。「知ってたのか?」
暗闇の中で、彼女の瞳だけがはっきりと光っている。
「知ってるよ。」美佑は静かに見つめてくる。「あなたが星野家にいるのは、妹さんのためなんでしょう。」
背筋を冷たいものが駆け抜けた。
妹のことは、当時極力ひっそりと処理した。職場の人間ですら家族に何かあったとしか知らないはずだ。
大学時代の友人たちには、ましてや絶対に知られていないはず。
留学していた美佑が、なぜ……
「どうして……」言葉が漏れた。
「今は休んで。」彼女はやさしく、しかし有無を言わせぬ口調で遮った。「続きはまた今度。」
しばらく彼女を見つめていたが、やがて小さくうなずいた。
もう残りの睡眠時間は四時間もなかった。
……
体は鉛のように重い。
午前五時、なんとか体を起こして冷たい水で顔を洗い、残る酔いと疲れを振り払おうとした。
鏡の中の自分は、青白い顔にひどい隈ができていた。
そっと美佑の部屋を出て、彼女を起こさないように静かに扉を閉める。
朝の空気が少しひんやりして、ようやく頭が冴えてきた。
急いで会社へ向かい、最上階のオフィスのガラス扉をくぐった瞬間、星野黎子の鋭い怒鳴り声が頭の上に叩きつけられた。