「森川健太! 昨晩はどこで何してたのよ!」
甲高い声がオフィスフロア全体に響き渡る。
行き交う社員たちが足を止め、一斉にこちらを見つめた。
星野黎子が自分のオフィスのドアの前に立ち、腕を組んで険しい顔をしている。
まさか、彼女がこんなに早く出社しているとは思わなかった。
「昨夜は飲み過ぎて、気を失ってしまいました。」できるだけ平静な声を心がける。
「気を失った?」
彼女は鼻で笑い、ヒールの音を響かせながら近づいてくる。「どうせ仮病で逃げただけでしょ!」
周囲からはひそひそと囁く声が、針のように刺さってくる。
僕は半歩引き下がった。「本当にトイレで倒れていました。逃げてません。」
「じゃあ、目が覚めたらすぐ戻ってくるのが普通でしょ?」彼女はほとんど目の前まで迫り、冷たい視線を向けてくる。
空気の中に残るのは、彼女の鋭い問いと周囲の無言の視線だけだった。
「星野専務、」僕は声を低くして言った。「こうやって会社で私的なことで騒ぐのは、良くありません。」
「私的なこと?」彼女はさらに声を張り上げ、耳が痛くなるほどだった。「誰があなたと私的な話なんかするのよ?父が金を出して雇ってやってるのに、酒もろくに飲めないなんて、何の役にも立たないわ!」
その言葉は、冷たい錐のように胸に突き刺さる。
「星野専務、」僕は彼女の燃えるような視線をしっかりと受け止め、一語一語はっきりと告げた。「会長に頼まれてここにいますが、あなたの酒の相手をするためじゃありません。」
そう言って、僕は背を向けて歩き出した。
背後で怒鳴り声が爆発する。「森川健太! そこで止まりなさい! もう一歩でも進んだら、今日中に辞めてもらうから!」
僕は振り返らず、足早にその場を離れた。
これ以上、彼女の理不尽な怒りに付き合う意味はない。
月末まで、もう三週間もない。時間を無駄にはできない。
星野コンツェルンを離れるということは、今の地位も人脈も失うことを意味する。
だが、これまで積み重ねてきた信頼と人脈だけが、自分に残された唯一の武器だ。
午後になり、僕は札幌市の小林社長に電話をかけた。
規模は大きくないが、今の自分にとっては最も現実的な突破口だった。
その時、オフィスの扉が勢いよく開け放たれた。
星野黎子が怒りを抑えきれない様子で入ってきて、鋭い視線を向ける。「森川健太、いい加減にしなさい! 今ここで正式に伝えるわ。あなたは解雇よ! 即刻出ていきなさい!」
僕は顔を上げ、彼女の傲慢な表情を見つめた。
この三年、彼女は常に高い場所から僕を見下し、僕の我慢を当然のことだと考えている。
三年前、妹の命を奪いかけたあの事故の原因が、彼女の身勝手な行動だったことなど一度も省みることはない。
彼女にとって、僕はただの野心家でしかないのだ。
「星野専務、」僕は静かにペンを置き、落ち着いた声で言った。「あなたが僕に不満を持っているのは分かります。ただ、会長との契約は月末までです。それまでは解雇する権限はありません。」
「いいわ、分かったわよ!」彼女は怒りを押し殺したような笑みを浮かべ、歯ぎしりしながら言う。「また父を盾にするのね? じゃあ、月末までどうやって耐えるか見ものだわ!」
怒りに任せて、彼女は僕のデスクに駆け寄り、書類を次々と掴んでは滅茶苦茶に破り始めた。
紙が裂ける音が部屋中に響き、破片が雪のように舞い散る。
息を切らしながら、最後に紙くずを床に叩きつけ、勝ち誇ったように顎を上げて言う。「昼までに、今日の予定表を全部提出して! 一つも漏らさずに!」
ドアが勢いよく閉まる。
オフィスには、静寂だけが残った。
僕はゆっくりとしゃがみ込み、散らばった破れた書類を一枚一枚拾い上げていった。
破れたグラフ、裂けたレポート、バラバラになったメモ。
まるで、この三年間の星野コンツェルンでの自分の時間そのもののようだった。
……
約束していたカフェに着いた時には、すでに五分遅れていた。
窓際の席には、上品な装いの小林社長が外の景色を眺めていた。
僕は足早に近づき、申し訳なさそうに声をかける。「小林社長、遅れてしまって申し訳ありません。急な用事が入ってしまって……」
彼女は振り返り、笑顔を浮かべて「大丈夫ですよ、私も今来たところです」と穏やかに言った。
僕は彼女の向かいに座り、気持ちを落ち着ける。「お久しぶりです、小林社長。ますますご活躍のようですね。」
「お世辞が上手ね。」
彼女は微笑みながらコーヒーを一口飲み、「で、今日は何の用?」
僕は息を整え、率直に切り出した。「小林社長、実は……近いうちに星野コンツェルンを離れることになりそうです。」