「ただ、事業の中心は海外取引にシフトするつもりです。特に羽田-新千歳線には、まだまだ効率化の余地があります。」私はそう付け加えた。
小林社長の目に、一瞬評価の色が浮かぶ。「独立でやるのか。なかなかの覚悟ね。その路線を選んだのは正解だと思うわ。」
「小林社長、ぜひご協力をお願いしたいです。」私は彼女を真っ直ぐ見つめ、「これまでの信頼関係を、これからも大事にしたいと思っています。」
その後の数時間は驚くほどスムーズに進んだ。
私たちは協力の枠組みを大まかに固め、いくつかの重要な路線については運営の細かいプランまで話し合った。
想像以上に和やかな雰囲気だった。
帰り支度をしようとしたその時、小林社長の携帯が鳴った。
「こっち!」澄んだ女性の声が徐々に近づき、軽やかな足音がテーブルのそばで止まる。「お母さん!」
声の方を振り返ると、私は思わず固まった。「小林美佑?」
「森川健太?!」小林美佑も同じく驚いた表情で、私と母親を見比べている。
「あなたたち……知り合いだったの?」小林社長も明らかに予想外の様子だ。
「お母さん、彼は私の大学の同級生だよ。」美佑が素早く説明し、それから私に向き直り、驚きと笑みを浮かべて言った。「まさか、お母さんの商談相手があなたとは思わなかった。」
小林社長――いや、小林さんは、すぐに驚きが理解の表情に変わり、少し意味深な視線を私たちに向けた。「世間って狭いわね。これも何かの縁でしょう。よかったら、一緒に夕食をどう?」
「ぜひ、よろしくお願いします、小林社長。」私はうなずいた。
……
小林家の別荘の裏庭は、夜の静けさに包まれていた。
私は美佑と並んでウッドデッキをゆっくり歩く。彼女の手には冷たいフルーツジュースのグラス。
「本当にびっくりした。」彼女は横顔を向け、月明かりが柔らかく輪郭を照らす。その姿に、かつてのキャンパスの木陰で見た面影が重なる。「まさか、あなたがうちの母とビジネスの話をするなんてね。」
「僕も思ってなかったよ。」私は素直に答えた。「あの頃、静かに隅に座っていた同級生が、実はすごいお嬢さまだったなんて。」
「やめてよ、そんな言い方。」美佑は少し不機嫌そうに顔をそらす。「私は星野黎子とは違うんだから。」
その名前を口にしたとき、彼女の声には微かな冷たさが混じっていた。
「そうだ。」私は足を止めて彼女を見る。「前に聞いたこと、まだ答えてないよね。どうして妹のことを知ってたの?」
美佑の指がグラスを少し強く握る。月明かりの下、頬にほんのり赤みがさした気がした。
「……なんとなく噂が耳に入ってきて。それで、自分で調べてみたの。」
「調べてみた?」そのあっさりした答えに、一瞬言葉を失う。
そうか、調べればすぐわかることだった。
でも、星野黎子はどうだろう。三年間、彼女はただの思い込みで僕を決めつけてきた。まるで、僕が打算的に近づいたと信じて疑わなかった。
彼女の上から目線の世界では、真実を確かめようとすることすらなく、みんなが自分を見上げ、合わせて当然だと思っている。
「ありがとう。」私は少し声を落とした。「今さらかもしれないけど、君がわかってくれてて嬉しい。少なくとも、僕が周りに言われているような人間じゃないって知ってくれていたから。」
美佑は静かに私を見つめ、その瞳はどこか複雑だった。
「最初から知ってたよ。」
彼女はぽつりとそう言うと、すぐに背筋を伸ばし、話題を切り替えた。「今日の午後、お母さんと話してたのって、自分で会社を立ち上げるってこと?」
「うん。星野グループでの三年間、契約に縛られていたけど、自分自身にけじめをつけたくて。」
美佑の口元に微笑みが浮かぶ。「いいじゃない。じゃあ、私も仲間に入れて。」
「仲間に?どういう意味?」
「だって、」彼女はくるりと振り返り、肩に月明かりを受けながら言う。「新しい路線を始めるのに資金がいるでしょう?どうせ投資を受けるなら、私も参加させてほしい。お母さんだって、きっと応援してくれるよ。」
突然の提案に私は戸惑い、思わず顎に手をやる。「魅力的だけど……なんだかヒモみたいじゃないか?」
「何それ!」美佑は即座に否定し、真剣な声で言い切った。「これは投資よ、森川健太。私は、あなたとあなたのやろうとしていることに価値を感じてる。お金は会社に出すもので、あなた個人に渡すんじゃない。もし成果が出なければ、いつでも手を引くからね。」
その潔い態度に、私はかえって心が落ち着いた。
行き詰まったと思った道の先に、思いがけない光が差し込んでくる――
もしかしたら、美佑がその転機なのかもしれない。
「わかった。」私は迷わず答えた。「これからもよろしくね、美佑。」
彼女は明るく笑い、瞳に期待の光がきらめいた。
ふと、私は気になって尋ねる。「でも、イギリスから戻ってきたのって、まさか僕と一緒に外資事業をやるためじゃないよね?本当は何を考えてたの?」
「それは……」美佑はいたずらっぽくウインクし、家の方へと歩き出す。「秘密!」