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第15話

私の「仕事場」は、相変わらず人通りの多い廊下の奥にあった。


職場に戻った私に向けられた周囲の視線は、一瞬だけ止まり、すぐに冷ややかな嘲りや無関心へと変わる。


誰もが私の星野グループでの立場を知っている――

星野家に飼われている一匹の仕事犬にすぎない。


表向きの礼儀など、体裁を保つための飾りに過ぎないのだ。


書類の処理を終えた頃には、窓の外はすっかり夜の闇に包まれていた。

心の中で日数を数え、今日も何とか無事に一日を乗り切ったことを確認する。ゴールまで、あと十九日。


席を立ち帰ろうとしたその時、スマートフォンの画面が光り、星野黎子の名前が強烈に浮かび上がった。


指が一瞬ためらうが、結局通話を取る。


「このクソ野郎!今すぐ……迎えに来い!」

耳をつんざくような酒臭い声が、スピーカー越しに響いてきた。


車を賑やかなクラブの前で停めると、爆音の音楽とタバコと酒の匂いが一気に押し寄せる。


ダンスフロアの中央で、黎子は無我夢中で身体を揺らし、カラフルなライトが彼女に乱舞していた。

周囲には解放感に酔いしれる男女がひしめきあい、ストレスを発散している。


私は隅の席に腰を下ろし、黙って待った。


今日は珍しく、彼女の周りに見慣れたモデルの顔はなかった。

だが、それでも彼女の周りには、いつでも狙っているような男たちが群がっている。


薄暗い照明の下、何本もの手が彼女の腰や腕を自由に這い回る。

だが黎子は、そうした視線や触れ合いに、むしろより陶酔しているようだった。


私は無表情でその様子を眺めていた。まるで自分には無関係な茶番劇を見ているかのように。


やがて、彼女は酒の匂いをまとい、ふらつきながらこちらのテーブルにやってきた。


「部屋まで運びなさい!」

命令は相変わらずぶっきらぼうだった。


私は黙って彼女を支え、騒然とした人混みを抜けて、すでに手配してあった上階のスイートルームへと向かった。


ソファに彼女を座らせ、部屋を出ようとした瞬間――


手首を強く掴まれた。


黎子は顔を上げ、酔いで霞んだその目に、どこか狂気じみた執着を宿していた。

「森川健太、今夜は……ここにいなさい」


私は一瞬動きを止め、深く眉をしかめる。


彼女が私を嫌っているのは明らかなのに、今さら自分から肌を求めてくるとは。

酒のせいか、それとも何かもっと悪意のある試しか――


私の彼女に対する嫌悪は、骨の髄まで染みついている。

顔を見るだけでも吐き気を覚えるのに、ましてや触れるなどあり得ない。


「専務、飲みすぎですよ」

私は手を引き抜こうとした。


「バカ野郎ッ!」

鋭い平手打ちが頬を打ち、ヒリヒリとした痛みが走る。


「このクズ!私が声をかけてやってるんだから、ありがたく思いなさい!偉そうに断るな!」


彼女はソファに手をつきながら立ち上がり、体を揺らしつつも、目には軽蔑の色が宿っている。


「森川健太、私は一番あんたみたいな偽善者が嫌いなのよ!いい子ぶって気取ってるけど、星野家にしがみついて、父に媚びへつらってるくせに、結局は私目当てでしょ?今、チャンスをやってるのに、何をためらってるの?役立たず!ゴミ!」


胃の奥がむかつく。

この三年、彼女の侮辱にはいくらでも耐えてきた。


だが、この一点だけは、まるで毒針のように神経を刺し続ける――

なぜ彼女は私が自分を狙っていると信じて疑わないのか。


ここにいるのは、契約で定められた報酬のためでしかない。

彼女の身勝手な自信は、どこから来るのか理解できなかった。


「専務」

私は込み上げる吐き気を押し殺し、冷たく言った。


「私と会長の契約書には、会社業務と日常サポートが明記されています。今あなたが求めているような……“サービス”は、一切含まれていません」


彼女をまっすぐ見つめて――

「申し訳ありません」


黎子はまるで大笑いしたいかのように、口元を歪めた。


「なるほど、金が足りないってこと? いいわよ!」


突然、彼女はバッグからキャッシュカードを取り出し、私の顔に叩きつけた。


固いプラスチックの角が肌をかすめ、チクリとした痛みが走る。


「十万よ!それで一晩、犬みたいに尻尾を振れる?それとも足りない?」


カードは床に落ちた。


私は、顔が引きつるのを感じた。


これは取引ではなく、何度も繰り返される露骨な人格否定だ。


「森川健太、そんなに清廉ぶるな!」


彼女は酒臭い息を吐きながら、よろめきつつ私に詰め寄る。


「私のベッドに乗りたがる男なんて、ここからパリまで列ができるわよ!私が金を払ってあんたを抱くなんて、家族も墓の下で喜んでるでしょ?分かった?」


……ふっ。


彼女の言うことも、あながち間違いではないのかもしれない。

星野家の令嬢で、見た目も悪くない。言い寄ってくる男は後を絶たないだろう。


ただ――


私は、彼女を汚らわしいとしか思えなかった。


「専務、おやすみなさい」


私は再び伸ばしてきた彼女の手を振りほどき、何の感情も込めずに言った。


背を向け、扉を開け、そのまま振り返らずに歩き去る。


背後では、黎子のヒステリックな絶叫だけが、豪華な廊下に虚しく響いていた。

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