目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第5話 威厳を示す

小山靖子は入り口で呆然と立ち尽くしていた。頭の中は真っ白だ。墨村慎吾の顔には見覚えがあったが、今目の前にいる、全身から凍てつくような威圧感を放ち、冷泉亮を足元に踏みつけている男は、まるで知らない他人のようだった。刑務所での三年間が、彼をここまで鋭く、狂気すら感じさせるほどに変えてしまったのか。亮を殴っただけでなく、ここまで侮辱するなんて――これは冷泉家そのものへの挑戦に他ならない。


「墨村!正気なの?亮を放しなさい!」靖子は怒りと恐怖で声を尖らせた。


慎吾は冷ややかに彼女を一瞥し、その眼差しは氷の刃のようだった。「俺が女に手を上げないからといって、できないわけじゃない。小山靖子、俺と冷泉が離婚した件で、君がどんな役割を果たしたのかは知らないが、まったく無関係だなんて、誰が信じる?」


「今、俺に関わるな。」その声は低く冷たい。「さもないと、お前にもこの手の痛みを味わわせてやる。」


靖子は全身を震わせた。慎吾は亮を打ちのめしただけでなく、今や自分にも公然と脅しをかけてきたのだ。


「私を殴るって?いいわよ、やってみなさいよ!」靖子は怒りに任せて開き直った。「墨村、結局それしかできないのね?千尋の弟に当たり散らして、男らしいこと?今日だけで済むと思ってるの?明日を考えたことある?いい?あんた、もう終わりよ!」


慎吾の口元に冷たい嘲笑が浮かぶ。「冷泉家か。立派に見せかけて、冷酷で薄情な家だ。神奈川で三年も過ごせば、こういう裏切り者も育つってわけか。だから何だ?」


「そんなものを盾に、俺の前で威張れると思うな。金と権力?それとも冷泉の冷たさと薄情さか?」


「何を頼りにしようと、俺に手を出すなら、その結果は覚悟してもらう。」


「人を連れて帰りたい?なら冷泉をここに呼べ。本人が来て説明するまで、この部屋からは誰一人出さない。」


冷泉家の名前が他の人間には脅威かもしれないが、慎吾には全く意味がなかった。自分をただの都合のいい存在として扱い、踏みにじり続けるなど、到底許せない。


しかし、靖子の目には、慎吾こそが傍若無人で無法者に映っていた。彼女にとって慎吾は運命を受け入れ、逆らわずに従うべき存在なのだ。その反抗は、まるで許しがたい裏切りだった。


怒りを抑え、靖子は皮肉な笑みを浮かべた。「墨村、結局あんたはまだ千尋を忘れられないのよ。こんな卑劣な真似をしてまで、自分がもう操られるだけの弱虫じゃないと、彼女に見せたいだけでしょう?情けないわね。今のあんたなんて、千尋の髪の毛一本にも値しないわよ!」


ひとことひとことが、慎吾の心に突き刺さる。事実を歪め、正当化しようとするその姿勢が、彼には痛ましくも滑稽に思えた。


「小山さん、もう無駄話はやめろ。」慎吾の声は平坦だった。「俺が何を企んでいようが、そう思うならそれでいい。」


「冷泉に伝えろ。弟を返してほしければ、自分でここに来い。」


どんなに言葉を尽くしても、慎吾がびくともしないのを見て、靖子はついに焦りを露わにした。床に倒れる亮を指差し、叫ぶ。


「墨村!私があんたを馬鹿にしてると思う?違う、助けてあげてるのよ!目を開けて、足元にいるのが誰なのか分かってる?この人はもう以前の子どもじゃないんだから!神奈川の裏社会じゃ“亮兄貴”って呼ばれてるのよ!その後ろ盾は万川忠!知ってるでしょう?神奈川の闇を牛耳る大親分よ。あんたみたいなの、アリ一匹潰すくらい簡単なのよ!」


「それでも怖くなければ、さらに教えてあげるわ。万川忠の背後には、神奈川の財界を動かす万川財閥の万川隆がいるのよ!今あんたがどんな相手に手を出したか、分かった?」


名だたる大物たちの名を挙げて、靖子は冷泉亮の今の力を誇示し、慎吾がとんでもないことをしでかしたと警告した。しかし、彼女は気づいていなかった。「万川忠」「万川隆」の名が出たとき、慎吾の眉がわずかに動き、目に奇妙な色がよぎったことに。


もし靖子が知っていれば――つい先日、彼女が“雲の上の存在”と称えた万川隆が、電話で慎吾に泣きつき、全財産を差し出すとまで約束したことを。もし、あの万川隆ですら頭が上がらない千葉翁が、慎吾に頭を下げ、借りを作っていると知っていれば。今の彼女の虚勢など、一瞬で崩れ去っていただろう。


「うるさい。」慎吾はうんざりしたように手を振った。「そんなに脅したいのか?分かったよ、怖くて仕方ない。だからさっさと冷泉を呼んでこい。もう一言でも余計なことを言ったら――」彼の目が鋭く光る。「本気でぶつよ。信じないなら、試してみろ。」


靖子は必死で言葉を尽くしたが、慎吾は微動だにしない。その態度に、彼女は焦燥と怒りでいっぱいになった。亮の件で自分にも責任が及ぶのは避けたかったのだ。


「墨村、恩知らず!」思わず叫んでしまった。


その瞬間、やってしまったと気づいた。


慎吾は無表情で彼女に歩み寄る。その目は、獲物に飛びかかる獣のように危険だ。


「な、何するつもりなの?墨村!やめなさいよ!私に手を出すなんて、正気なの?!」靖子は恐怖で後ずさった。


やらないとでも?


慎吾は無言で、答えを行動で示した。鋭い音とともに、彼女の手入れの行き届いた頬に強烈な平手打ちが飛んだ。真っ赤な跡が残る。


燃えるような痛みと同時に、慎吾の容赦なさに靖子は呆然とした。まさか、本当に手を上げるなんて。


「警告はしたはずだ。」慎吾の声は氷のように冷たい。「俺にとって、敵に男も女も関係ない。殴るべき時は殴る。必要なら、命も奪う。」


「今、また何か口にしたら――」彼は靖子の足元を見据え、殺気を放つ。「その脚を叩き折る。試してみたければ、どうぞ自由に。」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?