「大丈夫だ」小早川は淡々と、背後に隠れた早乙女亜月をなだめた。
亜月は彼の後ろでおずおずと、桜庭凛子を見つめている。
……
「亜月がお前を告発できなくても」小早川の声は冷たい氷のようだった。
「俺にはできるんだぞ?」凛子は一瞬、目を見開いた。
目尻が急に熱くなった。
彼は自分を信じていない。
小早川は書類の山から数枚のデータシートを抜き取り、彼女の前に叩きつけた。
「データが誰かに改ざんされたとしても、このサインはお前のだろう?」
「ええ」凛子は応じた。
「なら責任は逃れられん」小早川は結論を下した。
「三日だ。この件を処理しろ。さもなくば、会社が警察に通報する」
凛子は彼を一瞥した。わずかな悔しさが込み上げてきたが、すぐに押し殺した。
この件が自分に関係あるかどうか、彼は百も承知だ。
失望も何もない。
小早川という男は、そもそも些細なことでも必ず仕返しをするタイプだ。
自分から去り、引き留めも強硬に拒んだのだから、彼がとどめを刺さなかっただけでも慈悲というものだろう。
だが……自分のせいでない汚名は、絶対に着せられない。
「分かりました」凛子は少しも怯まずに小早川を見据えた。
小早川の瞳が一瞬、険しく曇った。
彼女のその頑なで恐れを知らない様子が、なぜか彼を苛立たせた。
小早川はそれ以上何も言わず、振り返って執務室へ戻っていった。
亜月がぴたりと後を追い、振り返って凛子を一瞥した目には、勝利者の得意げな色が満ちていた。
間もなく、桜庭凛子が「会社を裏切った」という噂が倍栄キャピタル中に広まった。
彼女はオフィスを追われ、ノートパソコンを抱えて会社の図書室に移った。
佐藤健チームの企画案は、彼女が全工程をフォローした、完璧なプランだったはずだ。
華麒麟のニーズ調査も彼女自らが行い、データに不備さえなければ、華麒麟が100%採用するはずだった。
なんて勿体ない!
昼、凛子はおにぎりを買い、人気のない隅を見つけて腰を下ろし、食べながら小林美桜からのメッセージに返信していた。
美桜は話を聞くとすぐに電話をかけてきた。
「調べなきゃ!あのクソ野郎を絶対に暴いてやる!協力者、見つけてあげる!」
「暴いて、どうするの?」凛子が尋ねた。
「あなたの冤罪を晴らすのよ!」美桜は即答した。
「それから、半殺しにしてやる!」
「でも、この案件は結局流れてしまったの」凛子は声を潜めた。
「みんなの努力が、こんな結末で終わるべきじゃない」
「凛子、何か考えがあるの?」美桜はその口調に気づいた。
「犯人も捕まえる。案件も、奪い返す!」凛子の口調は断固としていた。
彼女はトラブルを起こさないが、理不尽な仕打ちだけは絶対に受け入れない!
「私に何ができる?」美桜は即座に尋ねた。
「明日の夜、クルーザーでのパーティがある。華麒麟の社長、神谷一郎氏も出席する予定よ。修正した企画案を持って、直接会いに行くつもり」
「あのパーティ、知ってる。招待状は何とか手に入れられるわ。でもね…父から神谷社長の話を聞いたことがあるの。超がつくほどの厳格な人らしいわよ。あなたたちのプランは既に不備があったんだから…」美桜は言葉を濁した。
相手が話す機会すら与えない可能性をほのめかして。
「試さなければ、わからないでしょ?」
「わかった!姉妹として全力でサポートするわ!」
「この件が片付いたら、ごちそうするよ!」
「もちろんよ!」美桜は声を弾ませた。
「そうだ、ドレスは手抜きしちゃダメよ!待ってて、今すぐ迎えに行くからショッピングに行こう!」
彼女は我慢ならず、電話口で凛子のこれまでの控えめな服装をこき下ろした。
「凛子!あなたは元々、高嶺の花なんだから、これ以上清楚系ぶるのはやめてくれない?」凛子は笑いながら応じた。
「うん」彼女はそもそも、もう演じるつもりはなかったのだ。
図書室の三階、フロアトゥーシーリングの窓辺。
小早川が長身を立てかけ、視線は階下の隅、携帯電話に向かって優しく微笑む桜庭凛子へと向けられていた。
彼女は自分に、こんな笑顔を見せたことがあったか? いや、ない。
無名の怒りが突然込み上げてきた。
「なあ、城」高橋修の声が背後からした。
彼は小早川の視線の先を見た。
「営業部の件、少しやりすぎじゃないか? あのミスが桜庭秘書の手によるものだなんて、他人は知らなくても、お前は知ってるだろ?」彼は舌打ちした。
「ほら、小さな体であの寒風の中でおにぎりを頬張ってる、あの可哀そうな様子を見ろよ!」
小早川の周囲には冷気が漂っていた。
「俺の庇護から離れたいと言ったのは、彼女の方だ」階下の凛子を見つめながら、彼は冷淡な口調で言った。
「可哀そう? 自業自得だ」修は言いかけてやめた。
その時、一台の黒いGクラスが路肩に停まった。
凛子は笑顔で立ち上がり、軽やかな足取りで走り寄っていく。
修は驚きの表情を見せた――彼が桜庭秘書のそんな活き活きとした少女のような姿を見たことなど、一度もなかった! 車を見、そして小早川の険しい顔を見比べて、わざと大げさに言った。
「おおっ! これはどういうことだ? 桜庭秘書、まさか彼氏ができたんじゃないだろうな? だからこそ、お前と絶縁するって決心したのか?」小早川の顔は霜を被ったように冷たく、一言も発さずに、背を向けて立ち去った。
翌日、夕暮れ時。華やかなネオンが灯り始める頃。
豪華客船が横浜港埠頭に停泊し、宝石を散りばめたような富豪や名士、セレブリティたちが次々と乗船していく。
桜庭凛子と小林美桜はもっと早く船に乗り込んでいた――彼女たちが持っていたのは招待状ではなく、スタッフ証だった。
「パーティがすごく人気で、都内の顔役たちがこぞって押し寄せてきてて、招待状がどうしても手に入らなくて。スタッフに混じるしかなかったの」美桜は少し申し訳なさそうに言った。
「船に乗れればそれで十分よ」凛子は手にした、修正を終えたばかりの企画書を再確認した。
「パーティが始まったら、すぐにドレスに着替えて神谷さんを探しに行くのよ」美桜は傍らに置いた、ドレスを入れたバッグをポンと叩いた。
「凛子、あなたの美貌が表に出れば、絶対に場を驚かせるわ! 今夜は神谷さんの案件を落とすだけでなく、いいお金持ちの旦那様もゲットしちゃおう!」凛子は苦笑した。
どんな金持ちが進んで父親役を買って出るというのだろう? 彼女の腹には今、一つ、子を宿しているのだ。
パーティが始まって間もなく。
凛子はドレスに着替え、目立たない低い窓から船室を抜け出した。
着地してハイヒールを履き終えたその時、背後からクスクスと笑う声が聞こえた。眉をひそめて振り返る。
そこには、ふんわりとしたウールのような巻き毛のハーフのイケメンがシャンパングラスを手に、彼女をまっすぐに見つめ、ぼんやりとしていた。
「お客様? 何かお困りですか?」凛子は戸惑いながら尋ねた。
「あなた…」ハーフのイケメンは低い窓を見、そして彼女を見て、信じられないという表情を浮かべた。
凛子はついていない、出たばかりで捕まってしまった、と内心で嘆き、言い訳をどうこしらえようか考えていた。
しかしハーフのイケメンは、ぼんやりとした口調で口を開いた。「きれいだね…まるでおとぎ話から抜け出したお姫様みたい!」
桜庭凛子:「???」彼女は煌びやかな金色のフィッシュテールのストラップドレスを身にまとい、ウェーブのかかった長い髪が海藻のように肩に広がっている。
つややかな肌が月明かりに柔らかい光を放ち、完璧なメイクがその端整な顔立ちを一層際立たせていた。
潮風が吹き抜け、彼女の頬にかかった前髪を乱した。
その振り返った一瞬が、ハーフのイケメンの目には、息をのむほど美しく映った。