彼女の目には涙がたまっていた。
身体もわずかに震えている。
小早川城はそれを見て、まるで胸の中を紙やすりで擦られているような気持ちになった。
彼女がこんなにも拒み、恐れるように彼の接近を嫌がったのは、最初の頃を除いてなかった。
いつもは百方手を尽くして応じるのに。
小早川は桜庭凛子をじっと見つめ、見れば見るほど彼女が別人のように思えた。
まるでこの五年間の密やかな日々が、全て彼の見た夢であったかのようだ。
一体全体、何様のつもりだ?!
怒りがさらに沸き上がり、小早川城は彼女の顎をつかんで冷笑した。
「桜庭凛子、ここのところのあんたはこんな態度じゃなかったはずだ。今さら弱々しいふりか? 俺にそんなものを見せても、効果があると本気で思ってるのか?」
ビリッ―――
ドレスの裾が無理やり裂かれ、白く長い脚が露わになった。
「小早川城!」桜庭凛子は悲鳴を上げ、脚を縮めて彼を突き飛ばそうとした。
しかし、彼女のその程度の力は全く歯が立たず、脚は再びぐいと押さえつけられた。
小早川は彼女の頬を両手で押さえ、逃げられないようにしながら、再び口づけを迫った。
桜庭は思い切り彼を噛んだ。
口の中にたちまち鉄の味が広がる。だが、彼は止める気配すら見せなかった。
桜庭の視界の端には、固まって立つ早乙女亜月の姿がまだ映っていた。
その目には驚愕と憎悪が満ちている。
巨大な屈辱感が彼女を飲み込んだ。
彼女は自分が小早川城のことを理解していると思っていた。
今になって初めて気づいた。彼の根っこの部分にある卑劣さを、彼女は何一つ知らなかったのだ。
恥辱が人を殺せるなら、彼女はとっくに何百万回も死んでいるはずだった。
涙が制御できず、目尻からこぼれ落ちた。
桜庭凛子が絶望したその時、小早川城の動きが突然止まった。
彼は彼女の唇から離れ、わずかに頭を上げた。
その瞳には恐ろしいほどの陰翳が浮かび、奥底には天地を滅ぼさんばかりの嵐が渦巻いているようだった。
彼の掌が彼女の頬に触れていた部分は、濡れていた。
桜庭は彼を見上げた。
唇には彼の血がつき、肩は微かに震え、鼻先は真っ赤だった。
彼女は泣いていた。
これまで彼に弄ばれて泣くのとは違う、本当の悲しみと絶望からの涙だった。
小早川は何かに強く胸を殴られたような衝撃を覚えた。
渦巻いていた怒り、嫉妬、悔しさといった感情が、一瞬で制御不能な彼の心から崩れ去った。
しばらくして、彼はばたりと立ち上がった。
「出て行け!」
「さっさと出て行け!」
桜庭凛子は我に返り、慌てて立ち上がると、よろめきながら1899号室から逃げ出した。
小早川城は気まぐれで、どうなるかわからない。
彼女は気を利かせて、ドアを出る際に勢いよく閉めた。
ドンという大きな音が響いた。
部屋の中、早乙女亜月の顔から血の気が引いていた。
いつもは優雅で落ち着き払い、几帳面な小早川城のシャツは乱れ、胸元は半分開いていた。
目の前で他の女を犯しかけられたのは不愉快だが…彼が満たされなかったということは、自分にとっては好機なのでは。
「城さま、桜庭さんが身の程知らずなだけです。そんなに怒ってお体を壊されませんよう…」彼女はゆっくりと近づき、柔らかな手を彼の胸へと差し伸べた。
「あなたは素晴らしい方です。他の人が大切にしなくても、私が大切にします。
もしあなたが望むなら、私に差し出せるものは全て…」
手が触れようとした瞬間、小早川城はよろりと身をかわし、そのまま浴室へと歩いていった。
「興ざめだ。自分の部屋に戻れ」
早乙女は手を宙に浮かせたまま固まった。
何を言う? 自分が桜庭凛子のどこに劣るというのか? 小早川城が自分にまったく興味を持たないなんて? ありえない!
彼を怒らせるかもなどということはもう構っていられなかった。
早乙女は一歩前に踏み出し、後ろから必死に彼を抱きしめた。
「城さま、私はきっと彼女より優れているはずです!」
早乙女の言葉が終わらないうちに、小早川城は激しく彼女を押しのけた。
その力はあまりに強く、彼女はソファに直接投げ出された。
「何をする!」小早川城が怒鳴った。
その嫌悪に満ちた表情は、まるで触れてきたものが何か汚らわしい物であるかのようだった。
「城さま、私はただあなたを助けたかっただけです…あなたの苦しみを見たくなくて…」早乙女は恐怖で震え上がった。
小早川城は彼女に対し、いつも冷たくよそよそしい。時折見せる優しさも、上っ面だけのものだった。彼が彼女に向かって怒鳴るのは初めてで、しかもこれほど恐ろしいものとは。
「お前にはふさわしくない。出て行け!」小早川城は冷ややかにそう言い捨てると、振り返りもせず浴室に入っていった。
早乙女は虚脱したように座り込んだ。
足元に一粒の真珠のイヤリングが落ちているのを視界の端で捉えた――桜庭凛子の忘れ物だ。
彼女はそれを拾うと、壁の隅へと力いっぱい叩きつけた。
全て桜庭凛子のせいだ! 彼女が邪魔をしなければ、今夜小早川城が求める相手は、本来なら自分だったのだ!
* * *
桜庭凛子はエレベーター前まで走り、小早川城が追って来ないことを確認すると、足がガクッと力なくなり、壁に手をついて床へと滑り落ちた。
その時、エレベーターがキーンと音を立てて開いた。
彼女は思わず顔を上げ、眉をひそめた。
エレベーターの中にいた人物は、彼女を見て呆然とした。
髪は乱れ、美しい目は涙で濡れて赤く染まり、唇は少し腫れていた。
高橋修は一瞬見とれたが、彼女の膝上まで裂けたスカートに気づくと、慌ててエレベーターから出て、自分の上着を彼女の脚にかけた。
「桜庭さん、一体誰がそんなことを…?」
桜庭凛子はすでに冷静さを取り戻し、彼の上着をはらい、破れたスカートを無理やり引っ張って脚を隠すと、立ち上がった。
「小早川城よ」彼女は横目で彼を見ると、冷たい目つきで言った。
「正義の高橋様、私のためにお取り計らいしてくれるのかい?」
高橋修は目を見開いた。「小早川…小早川城だって?」
桜庭は無言のまま、エレベーターの扉が閉まる前に中へと入っていった。
高橋はその場に立ち尽くした。
小早川城が桜庭凛子に無理強い? そんなことが誰に信じられる? あの小早川城が? あれほど高慢な男が?
あの時、詩織が去る時でさえ、彼は追いかけもせず、替え玉を探す道を選んだ。引き止めの一言すらなかった。
そんな男が無理強いなどするか?
そう考えながら、高橋は大股で小早川城の部屋へ向かおうとした。
このことをはっきりさせたかった。
途中で、放心状態の早乙女亜月に出くわした。
「早乙女さん、さっき何があったんだ?」高橋は慌てて尋ねた。
早乙女は目を真っ赤にし、ひどく悔しそうな顔をしていた。
彼女の姿を見て、高橋はふと、さっき桜庭が顔を上げて一瞬見せた表情を思い出した。
「高橋様、桜庭凛子って女、小早川さまを抱えながらも欲張って、こんな真夜中に城さまを誘惑しに来たんですよ! そのせいで城さまはひどくお怒りになって、私まで怒鳴られてしまいました!」
まさか?!
桜庭凛子がさっき確かに小早川城の部屋にいたのか?