失血と疲労で、桜庭凛子は縫合後に点滴を受けることになった。
輸液の内容を確認し、問題ないとわかってようやく頷いた。
[秋冬の季節、風邪が流行っている]
桜庭は隅っこに身を縮めて座った。
失血と疲れで頭がぼんやりする。
うとうとし始めた頃、半日ほど席を外していた山本彩が慌ただしく戻ってきた。
どこからか温かいスープを調達してきていた。
「桜庭さん、温かいうちに飲んで!栄養補給に!」
桜庭は苦笑した。
「本当に大丈夫ですから、会社に戻ってください」
「戻るわけないでしょ!華麒麟の案件の歩合だけで半年は遊んでられるわ!」山本は一瞬ためらい、「あの時は...誤解してごめん」
桜庭は黙って首を振った。
「大丈夫」とは言えなかった。
山本も理解していた。
謝罪は自分の義務、許すかどうかは相手の自由だ。
ほどなくして、山本は仕事の電話で呼び出された。
担当プロジェクトでトラブルが発生し、現場対応が必要だという。
帰り際、無理やり桜庭のLINEを登録していった。
LINEの未読メッセージは山ほどたまっていた。
目がしょぼしょぼする桜庭はちらっと見ただけでスマホを置いた。
ふと、誰かが近づいてくる気配を感じた。
瞼が重くて開けられない。
しばらくして、温もりのある上着がかけられ、懐かしい清涼感のある香りに包まれた。
誰のものかすぐには思い出せなかったが、なぜか安心し、深い眠りに落ちた。
向かいの席には小早川城が座っていた。
彼の視線は、桜庭の険しく眉間に釘付けになっていた。
今日はアリス・カンベルを空港へ迎えに行き、そのまま小早川家の本邸へ向かう予定だった。
しかしなぜか彼はアリスを会社に連れて行った。
そして経済犯罪捜査官が営業一課を訪れたと聞くと、アリスも一緒に連れて行った。
桜庭凛子が取り乱す姿を見られると思ったが、実際に見たのは血まみれの彼女だった。
しばらく見つめているうちに、輸液袋が空に近づいた。
小早川は看護師を呼んだ。
長身のイケメンを見て、看護師の目が輝いた。
「手際よくお願い。痛がりなんで」
看護師の手際が雑なのに気づき、小早川は眉をひそめて注意した。
看護師は驚いた。
「縫合もガラス片除去も麻酔なしで耐えた人ですよ?痛がりなんですか?」
「...何だって?」小早川は聞き返すように言った。
「彼女...自分から麻酔なしでいいって...」
看護師は彼の眼光に圧倒された。
麻酔なし?
なぜ?
小早川の胸が締め付けられるような痛みを感じた。
あの痛みに最も弱い桜庭凛子が...
その時、桜庭の携帯が鳴った。
看護師はその隙に逃げるように去った。
まだ朦朧としている桜庭は、見もせずに電話に出た。
寝ぼけた声は甘く柔らかかった。
「みお?目が覚めた?」
小早川は雷に打たれたように凍りついた。
みお?
誰のことをみおと呼んでいる?
桜庭凛子の交友関係は極めて狭く、この5年間は彼を中心に回っていた。
そんな呼び名がどこから出てきた?
九条曜か?それともGクラスを乗り回すあの男か?
電話の向こうでは、小林美桜が二日酔いの頭痛をわめきながら、「もう飲むもんか」と誓っていた。
桜庭はくすりと笑った。
ふと目を上げ、笑みが顔から消えた。
「今ちょっと用事があるから、また後で」
彼女は急いで電話を切った。
「話せばいいだろう、なぜ切る?」
小早川の声は冷え切っていた。
「小早川社長、なぜここに?」
桜庭は顔色一つ変えず、青白い顔で平静に尋ねた。
頬のガラス傷もまだ赤い。
小早川の心にあったわずかな憐れみは、すっかり消えていた。
「アリス・カンベルが心配して、見に来いと言った」
彼の口調は冷たかった。
桜庭の指先が微かに震えた。
やはり。
アリス・カンベルさんは、美しくて心優しい方なのだ。
彼女は俯いて頷いた。
「ご覧の通り無事です。報告すればお役目は果たせます」
小早川の顔が険しくなった。
立ち上がると、 「桜庭凛子、お前は本当に恩知らずだ」 捨て台詞を残し、振り向いて歩き出した。
しかし何か思い出したように、立ち止まって振り返り、上から見下ろすように彼女を睨んだ。
「さっきの電話、まさか藤原裕のクソ野郎じゃないだろうな?」
桜庭の胸が高鳴った。
藤原裕...?
何年も聞かなかった名前...
「社長と何の関係が?」
桜庭の声は冷たくなった。
「小早川社長、私はもうあなたの籠の鳥じゃありません。どこへ飛ぼうと私の自由。干渉しないでください」
小早川は額に手を当てて笑った。
「桜庭凛子、早乙女亜月もアリス・カンベルもお前を揺るがせなかったのに、藤原裕か?」
彼の目は刃のようで、桜庭を切り裂かんばかりだった。
桜庭は歯を食いしばった。
説明すべきだった。
藤原裕は単なる元先輩で、昔少し好意を持たれていただけだ。
返事をしようとした頃、祖母の病気と借金が押し寄せた。
その後藤原が醜く騒ぎ、小早川がその名を覚えた。
彼がまだ藤原を気にしているなら、どう思おうと勝手だ。
沈黙する桜庭を見て、小早川はそれを認めたと思った。
笑みがさらに嘲笑に変わった。
「俺の前では千金にも代えがたい意地を見せるくせに、藤原裕にお前がどんな辱めを受けたか忘れたのか?」
桜庭は依然として黙っていた。
しかし頭には、あの紳士的な先輩が狂乱する姿が浮かんだ。
「桜庭凛子、俺は目が曇っていた!お前は金で体を売る女だったのか!下劣だ!汚らわしい!」
小早川はそんな彼女の態度が心底嫌だった。
大声で罵ってくれる方がまだましだ。
この無関心な態度ほど腹立たしいものはなかった。
「桜庭凛子、お前のその意地、所詮その程度のものだ」
小早川は振り返らずに去った。
桜庭はしばらく呆然とし、膝から滑り落ちそうな上着に気づいた。
小早川の消えた方向を見つめ、 「上着...忘れてます...」と呟いた。
病院を出たのは23時近くだった。
外は小雨が降っていた。
桜庭は玄関でタクシーを呼ぼうとした。
近くのバー街が賑わい始め、なかなか車がつかまらない。
7、8分待ってもドライバーが現れない。
路上で流しのタクシーを拾おうとした時、黒いマイバッハがゆっくりと目の前に停まった。
人が降りるのかと思い、桜庭は一歩下がった。
助手席の窓が開いた。
「桜庭さん!」