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第21話

「ネットで見つけた地元料理のお店、よさそうなんだけど、ちょっと遠くてね。遅くなると並ばなきゃいけなくてさ!」


ここ数年、小早川城の側にいる桜庭凛子が接してきたのは、老獪な策士か道楽息子ばかりだった。


九条曜のように、こんなにも無邪気で明るい人間は、本当に久しぶりだった。


時折、ふとした瞬間に。


あの出来事の前の自分が、ちらりと重なって見えることもあった。


あの、無邪気で明るかった頃の自分が。


「わかったわ、ご馳走するって言ったものね。場所は任せるよ」


桜庭は根気強くうなずいた。まるで子供をなだめるような感じで。


九条はご機嫌だった。


桜庭がバッグを手に取ると、二人はホテルを出た。


札幌の秋。通りは黄葉に染まり、なかなか風情があった。


桜庭が助手席に座り、九条が通り過ぎる景色を熱心に説明するのを聞いている。


彼、結構下調べしてきたんだな。


桜庭はだるそうに相槌を打つばかりで、特に熱心に返すわけでもなかった。


だが、九条の目には、それがかえって何とも言えず艶やかな、だらりとした魅力に映った。


「この先の交差点を過ぎると渋滞するんだよな」九条がそう言うと、道端の空き駐車スペースを見つけ、ゆっくりと車を寄せた。


「凛子さん、ちょっと歩かない?」


「ええ」桜庭も車の中に閉じこもっているのは気分が悪く、吐き気が込み上げてきていた。


ドアを開けると、冷たく澄んだ空気が寒さを伴って流れ込んできた。


たちまち、あのムカムカする感じがおさまった。


お腹の子、結構気を遣ってくれるんだな。


感情が高ぶった時以外は吐き気をもよおすこともなく、普段はほとんど自覚症状もなかった。


九条が大きく足を伸ばして桜庭の側へと回り込む。


肩を並べてレストランへ向かう。


二人は知らなかった。


後ろから、常に一定の距離を保って誰かがついてきていることを。


九条は事前に席を予約していた。


少し待つだけで案内された。


この店の名物は牛や羊の肉料理。


火照るような味わいだ。


桜庭はあまり食欲がなかった。


少ししか食べなかった。


一方の九条は、まるでお坊ちゃまのように、楽しそうにぺろりと平らげた。


楽しい昼食を終え、二人は駐車した車を探しながらぶらぶらと歩いた。


途中、桜庭が仕事の電話を二本受けた。


二本目はまったくもって非常識なものだった。


相手は倍栄キャピタルの子会社の総経理。


いきなりこう切り出した。


「桜庭秘書、小早川社長と連絡が取れずにいるのですが…」


桜庭は冷たく遮った。


「恐れ入りますが、直接社長室にお問い合わせください。私はもう小早川社長の秘書ではありません」


相手は一瞬言葉に詰まった。


慌てて返事をすると、電話を切った。


九条が桜庭の顔をチラリと見る。


口を滑らせてしまった。


「凛子さん、あの時だよ、埠頭で妙な女が、君のことをさんざん噂してたんだ!」


桜庭は彼を一瞥した。


視線を遠くへと向ける。


秋風が地面の落ち葉を巻き上げる。


「何て言ってたの?」彼女が尋ねた。


「やめとくよ、今さら言うことじゃない」九条は自分を殴りたくなった。


なんでついさっきの「小早川社長」という言葉に反応してしまったんだ?


「聞きたいのは、私と小早川城がどんな関係だったかってことでしょう?」


九条はぎょっとした。


「凛子さん、俺は…」彼は少し慌てた。


どう言っても、これはプライバシーへの詮索に他ならない。


「確かに、私は小早川城の側に五年いました」桜庭は九条をまっすぐに見つめ、その眼差しは澄み切っていた。


九条の体が一瞬固まった。


桜庭は少しも驚かなかった。


彼女は何もかもわかっていない純粋無垢な女なんかじゃない。


九条がこんなにべったりしてくるのは、友達でいたいだけのわけがない。


ましてや、今彼女は腹に子を宿している。


パートナーを探すつもりなど、毛頭なかった。


豪門の世界は深い。


小早川城の側にいた五年間、悲劇を数えきれないほど見てきた。


わざわざその火の中に飛び込む気はさらさらない。


「ご飯も食べたことだし、そろそろ戻りましょうか」


彼女はさりげなく話題を変えた。


そう言うと、歩き出そうとした。


足を踏み出したその瞬間、九条が彼女の腕を掴んだ。


桜庭は驚いた。


振り返って彼を見る。


「過去は過去だ」九条は真剣な表情を浮かべた。


「俺が欲しいのは、これからの君だ」


桜庭は仰天した。


慌てて腕を引っ込めた。


「九条くん、現実を見てよ!私たち、釣り合わないわ!」


「どこが?俺はどこだって完璧に釣り合ってると思うけどな!」九条は頑なに言い張る。


桜庭は頭を抱えた。


「私はあなたより年上だし、あなたの世界にいる多くの人は私と小早川城のことを知ってる…」


「俺は気にしない!」


「私は気にするの!」桜庭は口調を強めた。


「九条くん、あなた、本当にわかってるの?あなたの結婚なんて、自分で決められることじゃないでしょうが」


九条は言葉を失った。


「私が小早川城の側にいたのは、仕方なかったの。今、彼が結婚して私は去った。どれだけの人が私を嘲笑ってるか…?こんな目にもう二度と遭いたくないわ」


「俺はあんな風にはしない…」九条は慌てて言い訳した。


その時、桜庭が突然前方を見て、眉をひそめた。


「あれ、九条くんの車じゃない?」


九条も視線を向ける。


彼も眉をひそめた。


二人は急いで車の元へと駆け寄った。


シルバーのSUVは、窓ガラスがことごとく叩き割られ、ボディにはいくつもへこみがついている。


「一体誰が…?」


九条はこんな経験は初めてだった。


しかし桜庭は、割れたフロントガラスに一枚のA4用紙が貼られているのに気づいた。


冷たい表情で近づき、それを剥がし取る。


【桜庭様。まずはほんの気持ちです。札幌での楽しいデート、お楽しみくださいな。だし、余計なお節介はお控えあれ。我々の稼ぎを奪うなら、命はないと思え】


「命の警告か…?」九条の表情が険しくなった。


「ええ、私への警告ね。巻き込んでごめんなさい」桜庭はため息をついた。


「修理代は私が払うわ」


「被害者は君だろうが!何を賠償するんだよ!」九条は初めてこれほど厳しい口調を出した。


「怖がるな、俺がちゃんと始末をつけてやる!」


「倍栄キャピタルのここのプロジェクトを狙ったものだと思う。巻き込まれないよう、手を出すんじゃない。会社に処理させるわ」


「小早川城が?」九条は思わず口に出た。


桜庭はどこか酸っぱい匂いを感じた。


「小早川社長がこんな小さなことに関わるわけないでしょう?」桜庭は呆れたように言った。


「まずは警察に通報よ」


桜庭の予想通りだった。


通報し、防犯カメラを調べたが、当該区間のカメラは故障しており、何も映っていなかった。


温室育ちの九条の若様は烈火のごとく怒った。


二人があれこれ手続きを終え、ホテルに戻り着いたのは、もうすぐ午後4時という頃だった。


途中、桜庭は佐藤ケンに電話を入れ、午後の会議を翌日に延期してもらうよう手配した。


九条は心配で、桜庭を部屋のドア前まで見送った。


「誰が来ても簡単にドアを開けるなよ」と何度も念を押すと、彼はすぐさまロビーへと向かった。


桜庭の部屋の近くに自分の部屋を変えてもらうためだ。


彼が去ったかと思いきや、すぐに桜庭の部屋のドアベルが鳴った。


まだ何か言い忘れたのかと思い、


仕方なくドアを開けた。


「九条様、そんなにご心配なら耳が…」


言い終わらないうちに。


桜庭はドアの外に立つ人物を見て、驚いて目を見開いた。


「どうしてここに…?」

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