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第24話

小早川城は、よくある因縁深いタイプの社長とは少し違っていた。


両親は健在で、そこそこ仲睦まじい。


金の匙をくわえて、甘やかされて育った若様だ。


桜庭凛子が城の側にいたのは五年。


城の冷たい顔や高みの見物も、商売の場での冷酷な決断力も、すっかり見慣れていた。


早乙女詩織以外に、城の足を止められるものはなかった。

正直なところ、凛子は早乙女詩織さえも彼を止められないと思っていた。

あの時、城が交通事故に遭ったのに、詩織はさっさとヨーロッパの貴族と結婚してしまった。


城は気を紛らわせるために身代わりとしての女を探しただけで、詩織を取り戻そうとはしなかったのだ。


桜庭凛子は小早川城の様々な顔を見てきた。


だが、今目の前にあるこの図々しい態度は初めてだ。


凛子が背を向けると、城のシャツは寝癖でくしゃくしゃになっていた。


凛子を見つめながら、城の端正な顔には、凛子にとっては見慣れない得意げな表情が浮かんでいた。


「何か憑かれたの?」凛子は真剣に尋ねた。


城の顔が一瞬こわばり、また険しい表情に戻った。


「お前、あいつに俺のことをどう言ってたんだ?」城が問い詰める。


いきなり手を出してきて、それに自分が無理強いしただなんて喚いてるじゃないか!


「何も言ってないわ!」


凛子はそう言い放つと、寝室へ入り、さっとスマホを手に取った。


画面には機内モードの表示。


誰がやったかは、聞かなくてもわかる。


凛子は機内モードを解除し、少し考えてから、九条曜にメッセージを送った。


「九条さん、今日は本当にすみませんでした。怪我はありませんか? 一旦戻ってください。後で必ずお詫びに伺います。」


返信はなかった。


正直、小早川城は人をイラッとさせるのが本当に上手い。


九条曜との友人関係は、これで八割方おしまいだろう。


「話がある」城が付いてきて、凛子の向かいのソファに腰を下ろした。


「何の話?」凛子が城を見て言った。


「お前の仕事は見事だった」城は真剣な口調で言った。「倍栄キャピタルで新エネルギー事業を始める。新会社だ。お前に任せるつもりだ。」


「何て言ったの?」凛子は一瞬、言葉を失った。


「お前を新会社のトップに据えるって言ってるんだ」城ははっきりと繰り返した。


凛子は認めざるを得なかった。


これは実に美味しい餌だ。


だが…


美味しい餌ほど、その代償も大きい。


「遠慮するわ」


凛子はきっぱりと断った。


仕事はやりたかった。


しかし、今は立場が違う。


子供のために、小早川城からは遠く離れなければならない。


そうしなければ、子供のことを彼に知られたら、すべてが終わりだ。


「凛子、ムキになるなよ」城は珍しく親しい口調で呼んだ。


「分かったわ。考えておく」城がまた怒り出しそうな気配を感じて、凛子は仕方なく言い直した。


「答えはいつまで?」城が詰め寄る。


「戻ってから改めて真剣に考えるから、それまでは待ってください」凛子は適当にあしらった。


城はむしろ満足そうだった。


新エネルギー会社のトップの座。


どれほどの者が血眼になって狙っているか。


断る理由などないはずだ。


別れてからの日々、城は凛子の動きを見ていた。


城はちゃんと理解しているつもりだった。


檻の小鳥は、なかなか気位が高いのだ。


一軒の豪邸に二億円だけでは、凛子の欲望は満たされないのか。


新会社のトップの座こそが、釣り合う価値がある。


「行くぞ、食事に付き合え」


「無理」凛子は拒絶した。


「仕事があるの」


城は眉をひそめた。


凛子と正面からぶつかるのは得策ではないと考えた。

城は、どうやら押すより引くほうが効くらしい。


「和食が食べたいのか?」さっきの小僧がそう言っていたのを思い出した。


「小早川城…やめてくれない? 気持ち悪いわ!」凛子は顔を背けた。


城はぽかんとした。


「どうした? ただ何が食べたいか聞いただけだぞ?」


凛子は笑った。


「小早川社長、今まで私に食べたいものを聞いたこと、一度でもありました?」


城の顔がゆっくりと曇っていった。


「ちょうどいい機会だから聞きますけど、小早川社長。私は五年間もあなたの側にいました。あなたは私の好き嫌い、わかってるんですか?」


城はしばらく黙ってから言った。


「今から教てくれないか」


「そんなの、今更意味があります?」


ちょうどその時、凛子のスマホが鳴った。


高橋修からのだった。


「高橋部長」凛子の口調はよそよそしい。


「午後、うっかり寝込んでしまって、スマホが機内モードになっていました。お着きですか?」


「声が枯れてるぞ?」高橋は質問に答えずに言った。


「少し風邪気味かも」リョウコは言った。


「明日の会議前に打ち合わせを?」


「じゃあ食事でも? 食べながら話さないか?」


凛子が答える間もなく、城が凛子のスマホを奪い取った。


「和食屋を探せ。店の住所を俺に送れ」と高橋に言った。


「お前、誰だ?」高橋が怒った。


「お前のbossだ」城は電話を切った。


凛子はこれ以上言い争うのも面倒だった。


着替えようと立ち上がる。


「どこへ行く?」城が後をついてきた。


「着替えに」凛子の服は全てコーディネートされて揃っていた。


凛子がクローゼットに手を伸ばすと、城が彼女の背後から手を伸ばし、軽々と服を取った。

そして、ケガをしていない方の手を引いて、脇へ連れて行こうとした。


「何をしているんですか?」凛子が眉をひそめた。

「手伝ってやる」城は当然のように言った。


「結構です!」凛子は断固拒否した。


「やりたい」城は凛子を見つめた、「前に俺がゴルフで腕を折った時、お前はどうやって世話をしてくれた? 同じことをしてやるだけだ」


「それは仕事でしたから。お金を貰っていますし」


「今だって俺に請求すればいい」城は理不尽なことを言い張った。


「小早川城…やめてくれ!」凛子は諦めの声を出した。


「桜庭凛子、お前こそやめてくれ」城は彼女の腰を抱いて自分の方へ引き寄せた。「俺の性格はわかってるだろ? 話し合いでうまくいかないなら、別の方法に変えるしかない…」


城は背後にある大きなベッドを一瞥した。


凛子は背筋が凍った。


その「方法」が何を意味するか知っていた。


考えるまでもない。


歯を食いしばって城に着替えさせた。


城は不器用だった。


自分で着るなら数分で済むところを、


城は無理やり十数分もかけてしまった。


「よし」城は手を離した。

が、すぐにまた凛子の腰に手を回し、彼女の鎖骨や首筋の赤い痕にキスをした。


「スカーフをかけないとな」


「いいんです!」


凛子は城を押しのけた。


小早川城は犬のように、跡をつけるのが好きだった。


だから彼女はコンシーラーをすぐに使い切ってしまうのだった。

しばらくすると、凛子の首の痕は消えていた。


「どうしてこんなものを塗るのが好きなんだ?」城はどう見ても気に入らなかったらしく、嫌そうにそのコンシーラーをつまみ上げた。


「これがなかったら、過去五年間、真夏でもスカーフを巻いてたんですから」


凛子はそう言うと、パソコンケースを手に取って、まっすぐに外へ出ていこうとした。


城が後を追う。


警戒しながらドアを開けると、九条曜がまだ廊下に突っ立っていた。

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