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第25話

廊下にはもう曜の姿はなかった。


城はこの結果に満足そうだ。


思わず彼が視線を向けた先には、凛子が俯きながらも静かな表情で歩いていた。


感情の動きは微塵も見せない。


「見かけ倒しだな」城は嘲笑を込めて言った。


凛子は聞こえないふりを続ける。


二人がエレベーター前に差しかかった時、城の携帯が鳴った。


着信表示を見た城の顔が一瞬で曇る。


青子からの着信だ。


城は即座に電話を切った。


エレベーターの扉が開くと同時に、はしゃいでいた子供が二人、凛子めがけて突進してきた。


「危ない!」城は素早く凛子の腰を抱き、自分の懷に庇う。


「すみません!子供が前を見てなくて!」後から駆けつけた保護者が慌てて謝罪した。


城の表情は険しいままだ。


少年たちもおずおずと謝る。


「次は気をつけてね。本当に人を傷つけたら、パパやママが大変なことになるよ」凛子は穏やかな口調で言った。

「はあい…」保護者に手を引かれていく子供たちが、振り返ってこっそり二人を見る。


「手を離してください」凛子が指摘するまで、城はまだ凛子の腰に手を回していた。


「離さない」


指摘したら余計に、城は腕の力を強めた。


「……」


いったい何を考えているんだ、この人は?


以前は修たち事情を知る者の前でさえ、決して親密な行動は取らなかったのに。


別れた今になって、急に態度が変わった。

先に別れを切り出されたことで、プライドが傷ついたからか?


「修が待っている。時間を無駄にするな」城は凛子を抱くようにしてエレベーターに導いた。


「小早川様、監視カメラがありますよ…」彼の口調は軽いが、凛子は居心地悪そうに言った。

「監視のある場所では距離を保てと、ご自身でおっしゃったのではありませんか?」凛子が睨む。


城は眉をひそめた。


確かにそう言ったことがある。


それが当然だったはずなのに。


その時、凛子の携帯が鳴った。


画面には「小早川社長」と表示されている。


さっきまでの城に対する感情の揺れが、一瞬で鎮まる。


「誰だ?」城は着信表示を一瞥し、不機嫌に尋ねた。


「お母様です」凛子は取る前に淡々と答えた。


城が止める間もなく通話が始まった。


「小早川社長」凛子の声は礼儀正しく、しかし冷たい。


「城に出て頂戴。一緒にいるのは分かっている」青子の声は耳を貫くような鋭さで、凛子を丸裸にされたような気分にさせた。


「かしこまりました」凛子は城を一切見ずに携帯を差し出した。


「母さん…」城が電話を受け取る。


「カンベルさんが交通事故だ。今すぐ戻ってこい!」


「事故?」城は凛子の腰から手を離した。


ちょうどエレベーターが一階に着いた。


凛子は静かに息をつき、真っ先に外へ出た。


そしてドアの外で、自分の携帯が戻るのを待つ。


「すぐ戻る」しばらくして、城の声が聞こえた。

凛子の口元がかすかに震えた。


複雑な感情が胸をよぎる。


エレベーターから出てきた城は、凛子が待っているのを見て、理由もなく胸がざわついた。


「プロジェクトは修に任せろ。お前も一緒に東京に戻れ」凛子が手を伸ばして携帯を受け取ろうとする。


「結構です」見上げたその瞳は、一点の濁りもなく澄んでいた。


「お前、殺害予告を受けただろ!」手を引こうとした瞬間、城に握られた。


「構いません」凛子の声は恐ろしいほど平然としていた。


「そんなことも処理できなければ、執行役員など務まりませんよ」


「凛子…」


「そう呼ばないで!」凛子は手を力強く引っ込めた。


城は呆然とする。


「東京に戻って何をするんですか?私を連れて行くのですか?」凛子が問い返す。


「頑として聞き入れないなあ」

城は彼女を深く見つめ、冷たい声で言い放った。


そう言うと振り返り、大股で去っていった。


凛子はその場に立ち尽くした。


これが、最後だろうか?

もう絡んでこないだろうか?



修が選んだレストランはホテルの隣だった。


彼はもう到着している。


城が突然札幌に現れ、凛子と同行している事実に、彼はかなりの衝撃を受けていた。


何せカンベルさんが東京に到着し、両家は婚約の準備中だ。


マスコミへの手配も済ませ、近いうちに正式発表の予定だった。


考えていると、凛子が到着した。


「小早川様は?」修が凛子の後ろを見やる。


「東京に戻られました」凛子がノートパソコンを取り出す。


「料理は頼んである。まずは食事にしよう」修は手を振った。


凛子の顔色は明らかに悪く、病的な青白さを帯びていた。

「差し出がましいようだが…和解されたのか?」修が探りを入れる。


「高橋さん、そのお話は変ですよ。私がいつ小早川様と仲良くしていたというのですか?「和解」だなんて、そもそも話になりません」凛子は彼を見て言った。


「……」


桜庭秘書は本当に鋭くなったものだ。


「桜庭さん、君を評価しているよ」修は凛子にお茶を注いだ。


「華麒麟テクノロジーズの件も、このプロジェクトの全体構想も拝見した。君の能力は確かだ」


「本当は、何か言いたいのか、遠慮なくおっしゃってください」修は笑った。

「よし、では率直に言おう」高橋は凛子を真っ直ぐ見つめた。


「城との関係はもう断ち切れば?小早川家とカンベル家の政略結婚はあまりにも大きな利益が絡んでいるから。双方とも重大視しているのだ…」


「修さん、お褒めすぎです」凛子は諦めたように微笑んだ。

「この五年間、私は自分が何をしているのかずっとわかっていますよ。むしろあなたの方が見誤っているのでは?私はただの詩織の代わりです。ご自身がおっしゃったように、この政略結婚には大きな利害が絡んでいて、城が私のためにそれを放棄すると思いますか?」


「問題は城が本気でなくても、周囲が気にするということだ」

修は簡潔に言った。

凛子は視線をそらした。


もっともな指摘だった。


あのカンベルさんがどんな人物かは知らない。


だが、夫が他の女性と関係を持つことを許せる妻がどこにいる?


たとえカンベルが耐えられたとしても、カンベル家が許すはずがない。

「承知しています」凛子は淡々と言った。


どうやら、札幌出張が終わり次第、東京を離れるべきだろう。


夕食後、凛子は事務的に修と現場の現状について協議した。

ほとんどは修が説明し、彼女が要点を記録する形だった。

「殺害予告を受けたそうだな?」終了間際に修が尋ねた。


「もう健とやり取りする必要はないと思います。明日、直接彼を現場に連れて行きましょう」と凛子がうなずく。

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