特別病室は広く明るく、窓際にはソファセットが置かれていた。
城はそこに座り、溜まった仕事を処理している。
窓の外では秋の雨がしとしと降り、青子とジョイスが相次いで去り、病室には城とアリスだけが残った。
「城さん、退屈なら先に帰ってくれて大丈夫よ」アリスが優しく言った。
「構わず休んでろ」城は顔も上げずに答えた。
仕事を終えると、彼は無意識に凛子のLINEを開いた。
以前、出張のたびに無事到着したかといつも凛子がメッセージをくれていた。
しかし今回は、チャットボックスは静まり返っていた。
胸にじんわりとした痛みを覚え、城は凛子のLINEタイムラインに移った。
背景写真はふわふわの子猫で、見覚えがない。
いつ猫を飼い始めたんだ?
最新投稿は三時間前、札幌の秋深まる街並みに「幸せニャンコ」のキャプション。
社長室の連中がこぞってコメントしていた。
「桜庭さーん、ぎゅー!会いたい!」
凛子:「ぎゅー♪」
「美人姉ちゃんの自撮り見たい!」
凛子:「個チャでね~」
城の表情が曇った。
凛子が自撮りを送ってくれたことは一度もない。
さらにスクロールすると「来世は桜庭さんの子猫になりたい!」というコメントも。
凛子は猫のスタンプで返信していた。
城は無表情で「いいね」を押し、さらに下へ進んだ。
次の投稿は三ヶ月前のもの。
小さなケーキの写真に「また一歳大きくなった」の文字。
凛子の誕生日が八月だったことはうっすら覚えていたが、正確な日付は……思い出せない。
毎年小切手を渡し、好きなものを買わせていた。
その貧乏臭いケーキ写真を見て、理由もなく苛立ちが湧いた。
さらに下へ。
四月末の投稿は9枚の写真:灰色の空、小さな売店、石畳の道、バラの茂み、路地、小さな腰掛け、老人と子供の繋いだ手、そして家族写真。
老夫婦と凛子に似た女性、おさげ髪の可愛らしい少女。
キャプションはたった一言:「懐かしい」
城は眉をひそめた。
今年のこの時期、凛子は祖母のもとにいたはずだ。
つまり……祖母のもとを離れて東京に戻るのが辛かったのか?
コメント欄を開くと、意外にもこの投稿には誰の「いいね」もコメントもなかった。
考え込んでいると、アリスがふっと弱々しい声を上げた。
城が顔を上げると、彼女はベッドから降りようとしていた。
「どうした?」城はスマホをしまいながら近づいた。
「喉が渇いて、水を飲みたくて……」アリスはきょろきょろしながら立っていた。
「横になってろ、俺がやる」城はコップに水を注いで渡した。
「城さん、桜庭さんのこと、話してもらえる?」アリスはコップを受け取ると、ためらいながら言った。
城の表情が一瞬で険しくなった。
「誤解しないで、悪意はないの」アリスは慌てて説明した。
「あの日、あなたがあの子を心配している様子、見てたわ」
「凛子は俺にとって大切だ」城は率直に言った。「結婚後はお互い干渉しない、だから——」
「結婚後も彼女と続けるつもり?」アリスが言葉を継いだ。
「ああ」
「ずいぶん率直なのね」アリスは微笑んだ。
城は肯定も否定もしなかった。
「わかったわ」アリスはうなずいた。
「事前に話せてよかった。結婚後はお互い自由に生きましょ。ただし親族やメディアの前では仲良く夫婦を演じる——問題ないわね?」
「ああ」
「婚約式は早めに済ませましょう、さっさと終わらせて」
「わかった」
アリスが水を飲んで横になると、城の気分は晴れやかになった。
話がついてほっとした。
「用が終わり次第、すぐ戻れ」
ソファに戻ると、彼は急いで凛子にメッセージを送った。
もう深夜一時。
即レスは期待していなかったが、改めて凛子のLINEを開くと、タイムラインが「3日間限定公開」に変わっていた。
何があったの?
事の発端は城の「いいね」だった。
社長室の夜更かし組は社長不在をいいことに、深夜までバーに集まっていた。
誰かがタイムラインを閲覧中、城が凛子の投稿に「いいね」しているのを発見し、慌てて電話した。
「桜庭さん!小早川様があなたの投稿に『いいね』してますよ!ブロックしてなかったんですか?」
眠っていた凛子は一瞬目を覚まし、電話を切るとすぐに公開範囲を変更した。
しばらくして、城のメッセージが届いた。
凛子は画面を見つめ、城だけに公開したあの投稿を開いた。
静まり返った夜、抑え続けた想いがじわりと広がる。
あの日は祖母の火葬の日だった。
途方もない無力感と不安が凛子を飲み込み、溺れる者のように必死に藁にもすがろうとしていた。
だからこの投稿をした。
これは凛子が五年ぶりに、自らの本心を露わにした唯一の瞬間だった。
凛子は一昼夜待った。
祖母が納骨されるまで。
結局、何も届かなくてよかった。
その瞬間、完全に覚めた。
まさか半年経った今、城が深夜にこの投稿を見るとは。
しかし色が知る由もない——あの一言の「懐かしい」が彼へのメッセージだったことを。