凛子のやり口は見事だった。
まず健を見せしめに処分し、関係者に警告する。
一同が右往左往しているところに、巧みに和解の糸口を投げ、自発的な返金へと導いた。
修は思わず拍手したくなるのを堪えた。
騒動の末、帳簿上では約三千万円が回収された。
会議室は水を打ったように静まり返り、全員が凛子の次の動きを伺っている。
大半は健の自供通りの金額を返したが――健が全員の内情を把握できるはずがない。
「みなさん、金額に間違いはないと?」凛子はしばし沈黙し、ゆっくりと顔を上げた。
瞬く間に視線が泳ぎ始める者が出た。
不正をしていない者たちは大声で同意した。
凛子はペンをくるりと回しながら、「よく考えてください。もし隠し金が発覚したら……今のような優しい対応はできませんよ」
「七、七千数百万円ほど計算漏れが……この分は私の帳簿を通しておりませんで……」
「帳簿通さずに横領とは、かなりの度胸ですね」
凛子は薄笑いを浮かべた。
男の顔が一気に紅潮し、慌てて借用書を追加した。
続いて三四人が青ざめた顔で再提出する羽目に。
いずれも少額ではない。
最終的な回収総額は1億五千万円に達した。
「桜庭さん、我々の仕事は……」池田寛太が小声で問う。
彼も千万円超の借用書を提出した。
仕事まで失ったら……
「先ほども言った通り、健に唆されただけです。能力は認めています」鞭の後は飴だ。
「引き続き現職で、小早川様には解雇しないよう取り計らいます。ただし今後は細心の注意を」
「桜庭秘書は美人で器もある!」池田が即座に媚びた。
「皆同じ会社の身です。今後もお願いします」
凛子は淡く微笑んだ。
会議が終わると、痛手を負ったはずの面々は安堵の笑みで退出していった。
健への罵声がちらほら聞こえる。
「クソ野郎!自分だけ死んで、巻き込むな!」
「俺の借用書にはあいつの遊興費まで含まれてやがる!」
「出所したら生皮剥いてやる!」
「高橋さん、今後の回収はお願いします」凛子は整然と書類をまとめ、頬杖をついて彼女を見つめていた修に手渡した。
「本当に小早川様に彼らへの寛大処理を願い出るか?」
「そんなことしないよ。結果さえ出せば、小早川様は細部にはこだわらない」凛子はパソコンを閉じた。
「ではさっきのは『鞭に飴』とは?」修が笑った。
「高橋さんが四字熟語を?」凛子が横目で見る。
「コロンビア大出身です」修は背筋を伸ばした。
「これで許すんですか?」
「他に?プロジェクトは既に1ヶ月遅れています」
「ただし核心業務は人員交代を。健の自供書も証拠として保管を。次同じようなことをする者がいれば、即逮捕です」
凛子は決して帳消しにすると言っていない。
刃は彼らの頭上に永遠に吊るされたままだ。
「食堂に行きませんか?」修がいきなり微笑んで聞いた。
「???」
なぜ食堂でテンションが上がる?
無邪気なキャラを演じている?
パソコンケースを持ち上げた瞬間、修がさっと受け取った。
「手の怪我、無理しないで」
凛子は一瞥し、進んで苦労を買って出る者がいれば悪くない。
昼光が雲間から差し込む。
凛子は日差しを浴びながら歩き、気分が少し晴れた。
二人が見えなくなると、裏路地から村人が現れ、唾を吐いた。
「クソ女、手が込みやがって!」
彼は携帯を取り出し、「黒崎組長は無事か?健は女にやられた!組長の件もあいつの仕業だ!」
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食堂では好奇の視線が凛子を包んだ。
「どこの嫁さんだ?肌が白くて……」
「スタイルも最高だな」
「あんな女と一晩でも……」
「バカ野郎!あれが社長秘書だ!健をぶち込んだ張本人だぞ!」
「女が一人で?マジかよ」
「社長秘書ってことは、つまり社長の夜の相手ってことか?へへ...」
嫌悪に満ちた視線がまとわりつく。
凛子は作業員の食事確認に来たはずが、食欲を失い箸を置いた。
修が彼女を見て、突然声を張り上げた。
「桜庭秘書!今回の件はあなたの機転がなかったら、俺じゃ健らの不正を見抜けませんでした!小早川様に顔向けできませんよ!」と。
その声は食堂の半分に届くほど大きく、周囲の視線が一変する。
「東京に戻ったら絶対ごちそうしますからね!」
凛子はぽかんとし、ふと俯いて笑った。
まぁー、高橋家の御曹司、本当に小学生みたい。