「何故お前が……! 部屋にいたのではないのか?!」
悲鳴のような金切り声が耳をつんざく。目の前には血縁上の父。
彼は私が馬車から降りるところが目に入ったのか、大声を上げた。あの様子を見る限り、私が抜け出してから一度も屋根裏部屋には来ていないようね。やはり、病気で亡くなればいいとでも思っていたのかしら?
一方で愛人と異母妹は事前連絡もなしに訪れたお祖父様を見て、目をまん丸にしていた。もう既に領地に帰っていると思われたお祖父様がここに来るなんて驚くわよね。
そして後ろから私が現れると、二人も目を釣り上げて睨みつける。あ、異母妹だけは隣のニコラス様に見惚れていたようだけれどね。
「静かにせいっ!」
お祖父様の声が屋敷内に響く。その声に圧倒されたあの男血縁上の父は、その圧に負けたのか肩をブルッと震わせる。けれども、私の存在が気に食わなかった様子。彼は気を取り直してお祖父様に話しかける。
お祖父様は怖いのか、恐る恐るではあったけれど……。
「義父様、どうされたのです? 領地で緊急案件があったと仰っていませんでしたか?」
「そうなんじゃがのう、それ以上の問題が発生したのでな。こちらに戻ってきたというわけよ」
あの男は驚きの声を上げる。
「そうなのですか?! 何が問題だったのでしょう?」
首を傾げてお祖父様に訊ねる男を見て、私は呆れてため息が出そうになった。だって、本気で分かっていなさそうな表情をしているのよ?
後ろの愛人達もお祖父様の言葉の意味が分からないのか、ぽかんと口を開けている。貴族教育はどうしたのかしら、ねぇ……。
隣にいるニコラス様を見ると、普段のような和かな表情ではなく、顔には露骨な嫌悪の色が浮かんでいる。
「お前はそれも分からないのか?」
いつもの飄々とした雰囲気はなく、威圧感をまとったお祖父様の姿に、隠居していてもなお貫禄を感じる。お祖父様はあの男を睨みつけた後、私へと顔を向けた。
場を作るのはお祖父様にお任せしたの。あとは……私の仕事。
お祖父様よりも一歩前に進む。
私はシンディ・バラデュール。侯爵の娘……いえ、お母様の娘なのだから。
「お父様……いえ、血縁上の父であるチャーリー様。お家乗っ取り――そのような大逆を企てた貴方様の罪、決して見過ごされるものではありませんわ」
「お家乗っ取りだと?! そんなつもりは――」
きっと、「ない」と続けようとしたのだろう。けれども、私は男の言葉を全て聞かずに声を重ねた。
「我が国では爵位を引き継ぐのは『実子』である、と定められているのはご存知でしょうか?」
「そんな事! 理解している! だから実子であるクロイに……」
私は持っていた扇子で反対の手を叩く。すると意外と大きな音になったためか、男の肩が跳ね、静かになる。
「チャーリー様は矛盾に気づいておられませんのね? 先代侯爵様……お祖父様の実子は、先日亡くなられたお母様だけですわ。つまり、侯爵家を相続する資格があるのはお母様の実子である私だけ、なのですよ? 貴族教育で習いませんでしたか?」
そう告げると、男の顔から血の気が引いていく。愛人と異母妹はその事を理解できていないのか、ニコラス様をずっと見つめており……ニコラス様は鬱陶しそうにしているわね……。
「ついでに言えば、シンディはまだ十八になっていないからのう。現在は儂が侯爵代理兼シンディの後見人として、この家の実権を握っているのは知っとるか?」
お祖父様の言葉に、愛人と異母妹が目を見開く。そして男に向かって声を荒げた。
「そんなの……そんなの知らない! だって、侯爵家は貴方が引き継いだと言っていたじゃない?!」
男に詰め寄る愛人。憤怒の表情をしている愛人にオロオロする男……まるで喜劇を見ているようだわ。
「あら、どこの侯爵夫人になられるのかは知りませんが、おめでとうございます。ですが、そんな端なく喚いて、立派に務められますの?」
私の皮肉が伝わったのか、愛人は顔を真っ赤に私を睨みつける。そんな目で私を見たところで……あなた達が犯した罪は無くならないわ。
「分かりやすくお伝えしますとね。あなた方の企んだ事は、お家乗っ取り……重罪ですわ。これは国の司法で裁かれる案件となります」
「私たちは、そんなつもりは――」
「ないですか? でしたら、使用人達の話は嘘だったのかしら? 『クロイ様が侯爵家を引き継ぐのも時間の問題ね』と言っていた者がいたのですけれど?」
その言葉に二人は顔が引き攣る。異母妹は意味が分からないのか、首を傾げていた。そして中々応接間に辿り着かない私たちの様子を見に来た、野次馬という名の使用人達は真っ青な表情でこちらを見ている。
「ですが私を閉じ込めて、貧相な食事しか与えなかったではありませんか。異母妹も『ニコラス様を取ってしまってごめんなさいねぇ』と仰っていましたし、私から異母妹に婚約を変更しようと画策していたのでしょう?」
「しょ、証拠がないじゃない!」
愛人は声を上げるが……。
「証拠ですか? 私の手記がありますわ。それを使用人たちの証言と照らし合わせれば問題ありませんよ」
二人が来てからの一週間。私の手記も勿論のこと、侍女長や執事長も指示通り手記を残しておいてあるはずだ。それでより堅い証拠となるだろう。ちなみにあの人たちは知らないだろうけれど、私が屋根裏部屋で監禁されていた時の手紙のやり取りは侍女長と執事長が手引きをしてくれている。
「で、でも使用人の言葉が嘘かも――」
「あら、貴族を欺くのは重罪ですわよ? 我が家は侯爵家、王家の覚えもめでたいですから……嘘を重ねれば、より重い罪になりましてよ? 覚悟はございまして?」
そう言いながら、後ろで覗いている使用人たちを見れば、彼女たちの体は小刻みに震えている。今にも倒れそうなほど。まあ……ここまで脅しておけば問題ないでしょう。脅すと言っても、ほぼ事実なのですが。
愛人の顔色も悪くなり、それを見た異母妹はやっと自分の立場が悪くなった事に気がついたようだ。
「ねえ、お母様? 私がニコラス様と結婚して侯爵夫人になるんでしょう? お母様もそう仰っていたじゃない!」
「……」
娘の言葉に無言で視線を逸らす愛人。異母妹はそれが衝撃だったのか、口をあんぐりと開けている。自分の母の姿に何かを悟ったのだろう、異母妹は私……いえ、私の隣に立っているニコラス様に顔を向けた。
「ニコラス様! 嘘ですよね……私の事を好きって言ってくださったじゃないですか! 私があなたの妻になる――」
「口を閉じろ」
低く、冷ややかな声音で発せられたニコラス様の言葉に、異母妹はヒュッと息を呑む。
「お前のような下品な女に私が惹かれるとでも思っているのか? ……ふん、片腹痛い」
やはりニコラス様は素敵な方だ。
貴族としての気品と穏やかさを備えつつも、その奥に揺るぎない矜持を秘めていらっしゃる――貴族としての鏡だわ。私はこのような素敵な方と生涯を共にできるなんて……幸せね。
私が見惚れていると、ニコラス様は私の視線に気づいてくださったのか、満面の笑みを向けてくださる。異母妹では、この方の気持ちの篭った笑みなど見る事もなかったでしょうね……ふふ、最後の贈り物として胸に刻んでおきなさい。少々高価すぎるかもしれないけれど。
愕然とする異母妹と愛人。ああ、二人はもうひとつの退路も断たなくてはならないわね。
私はさも今思いついたかのように、声を上げた。
「ちなみに愛人様のお父様は、もう半年も前にご隠居されておりますの。ですからご実家に戻ったとしても、愛人様のお兄様しかおりませんので、悪しからず」
「え、でも……お父様は……」
「『当主の仕事が忙しい』――そう書かれていたでしょう?」
私の言葉で更に血の気が引いていく愛人。何故私が手紙の内容を知っているかって? だって私が依頼して書かせたのですから。
「私が現当主様……愛人様のお兄様に依頼をしたのですよ。『当主が交代した事を伏せた手紙を送るように』とね」
現当主様が文面を考えて、愛人のお父様に書かせたそうよ。
「最初、先代様愛人のお父様は子爵家に伝わる暗号を用いて、当主交代をほのめかそうとしていたそうですの。……けれども、現当主様だってその程度の暗号は解読できますでしょう? 少し考えれば分かりそうなものですのに……しかも現当主様曰く、愛人様はその暗号を読む事ができないとお聞きしております。滑稽ですわね」
現当主様から聞いた時、呆れてしまったわ。ほら、隣でもお祖父様とニコラス様が肩をすくめているわよ。
ただ自ら情報収集をすれば、愛人も当主交代の事実を知る事はできたはず。私だって二人が改心する猶予は残しておいてあげたの。それなのに知らなかったという事は、情報収集をしていないだけでなく……愛人はよほど人望がないのね。
床に膝をつく愛人と、「お母様!」と叫び続ける異母妹。唖然としている男。
さて、二人の退路は断った。後はそこで情けない顔を晒している男だけね。
「なあ、シンディ……」
恐る恐る声をかけてくる男。今になってようやく自分の立場を思い出したらしい。もう手遅れである事に気がついていないのかしら?
男は一歩前に足を踏み出す。そして私へと手を伸ばしてくる。
私は身を引こうとしたけれど、その前にニコラス様が私を庇うように進み出る。その動きは静かでありながら、相手を全て拒絶するような……確固たる意志を感じた。
しかし私を見る表情は柔らかい。片目を瞑って微笑んでいるニコラス様。その表情に背中を押されたような気がした私は、堂々と、男の前に立った。
「お父様……いえ、あなたはもはや“血の繋がりがある他人”に過ぎませんわね。あなたが“父”であった事は、今日をもって終わりとなります。明日からはどうぞ、家督の簒奪を仕組んだ罪人として、罪を自覚しながらお過ごしくださいませ」
そう私が告げると同時に、屋敷の外から喧騒が聞こえてきた。
「あら……どうやら、お迎えが来たようですわね。それでは――ご機嫌よう」
私が笑みを見せると、男は音もなく崩れ落ちた。