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4 セドリック皇太子、離宮に咲く愛の華!

 帝都の郊外、美しい湖畔に建つ離宮。セドリック皇太子はこの離宮で、「大聖女リサ様を讃える会」と題した小規模なパーティーの開催を企画し、秘密裏に準備を進めていた。 


 彼女の大聖女としての献身的な活動ぶりを慰労するのが、表向きの趣旨だった。だが、セドリックにはもう一つの目的があった。


(アレクサンドラを始末しろと、騎士団長のジャレッドをそそのかした。だが、一ヶ月経ったのに、何の報告もない。こうなったら次の手を打とう。公の場で婚約破棄の意思を発表して、あの女を追放・投獄にでも追い込んでやるんだ)


 セドリックは、このパーティーにアレクサンドラ本人を呼ぶつもりは毛頭なかった。当日は、限られた招待者たちに、アレクサンドラの悪女ぶりを、あることないこと暴露する腹づもりだった。


「婚約破棄に、有力貴族たちの理解と支持が得られたら……そしたら、パーティーの席で、リサにも求婚するとしよう」


 しかしそんな彼の計画は、トラヴィス秘書官からの手紙を通じて、アレクサンドラに全部筒抜けだった。


「トラヴィス……あの腹黒メガネ君、今回も役に立ってるわね」


 セドリックの企みを粉砕すべく、アレクサンドラは行動を起こすことにした。さっそく、先日から騎士団に入って訓練生活を始めたばかりの、幼馴染エドマンドを訪ねる。


「休憩中に呼び出してごめんなさい。真面目に、がんばってるみたいね? これ、差し入れのサンドイッチよ」


「おう、助かるな。ちょうど腹が減ってたところだ、ありがたく、いただくぞ」


「どうぞ召し上がれ。ところでエドマンド。あなた、離宮のパーティーには呼ばれてるの?」


「ああ……あれか。せっかくの妹の晴れ舞台だが、訓練が忙しくてな。とても行けそうにない」


 エドマンドは、折れ目のついた招待状をポケットから無造作に取り出して、アレクサンドラに見せた。


「じゃあ、この招待状を、譲って頂けないかしら? 『この招待状の持参者を代理出席者とする』って、書き添えて」


「また、何を企んでるんだ? まあ、他ならぬお前の頼みだし。手作り弁当まで食っちまったから、断れねえなあ……」


 エドマンドは、うまそうにサンドイッチを片手で頬張りながら、招待状にサインして、アレクサンドラに手渡した。


(手作りなわけないでしょ。ちょっと優しくしただけで、もう彼氏気分なのかしら。本当に、扱いやすい男……)


 パーティーの日。エドマンドから譲り受けた招待状を手に、アレクサンドラは深紅のドレスを身にまとい、馬車で離宮へと向かった。


 エスコート役を仰せつかったのは、ルフォン宰相家の次男、ルーファス。爽やかな緑色の礼服で現れた彼は、会場に集う貴婦人たちの熱い視線を一身に浴びる。


「ルーファス。首巻きジャボが、曲がってるわよ」


 アレクサンドラは、ルーファスの服装を整えるフリをしながら、下着をチェックした。


 シャツの奥に、レース編みのシルク生地がチラリと見える。


「ちゃんと、言いつけを守ってるのね。下も履いてる?」


 小声で囁きかけるアレクサンドラ。貴公子ルーファスは、彼よりも十センチ以上背の高いアレクサンドラと腕を組んで歩きながら、幼い顔を赤らめ、コクリとうなずいた。


「はい……アレクサンドラお姉様が下さった、お揃いのピンク色のを……」


「それでこそ、私のかわいい妹ね。今夜は、あなたも楽しんで」


 受付で衛兵が、入場者の招待状と名簿を確認する。


「ローゼンシュタイン家の長女、アレクサンドラです」


「……はて? 名簿にはお名前がありませんが」


「僕は、今日のメインゲストであるリサの義弟、ルーファス・ルフォンだ。こちらの令嬢は、我が兄の代理として来ている」


 ルーファスが前に出て、キリッとした口調で事情を説明する。


「だ、代理出席? いや、しかし……」


 衛兵たちが戸惑っていると、背後からヌッと大男が顔を出して、口を挟んだ。


「おいおいおい! 招待状があり、代理出席を証明するサインもある。身元を保証する証人までいる。それでも、公爵令嬢を追い返すのか?」


 豪放な声の主は、数多くの勲章を軍服に付け、黒いマントを肩から羽織った騎士団長、ジャレッドだった。


「ジャレッド様⁉」


 騎士団と衛兵隊はあくまで別組織。ジャレッドに、衛兵への命令権はない。しかしジャレッドは英雄として、兵士たちからは広く尊敬を受けている。その発言の影響力と威圧感は、半端なものではなかった。


「衛兵隊がそういうやり方なら、俺はこれ以上何も言わん。だが君たち、責任、取れるのか?」


「い、いえ! ジャレッド様のおっしゃる通りですね。失礼致しました」


 衛兵隊はすぐに引き下がった。アレクサンドラはジャレッドにパチリとウィンクを送ると、会場内へ入っていった。


 大広間の中央には既に、セドリックとリサが並んで談笑を交わしていた。アレクサンドラは堂々たる歩調で、二人に近づく。


「あら、皇太子殿下。交代していいかしら、ちょっとこの子のお相手を」


「ア、アレクサンドラ……どうしてここに!」


 驚愕するセドリックを放置して、彼女はリサへと向き直る。


「リサ。卒業式以来ね」


「あなた……どうして、いきなり来たの? 来ないって聞いてたのに……」


 水色の清楚なドレスに身を包んだリサは、警戒して表情を固くした。アレクサンドラは扇を開いて、優雅に揺らす。


「あなたの考えを、聞きたかったの。ねえ。私たちは、大聖女の座を競ったライバルだったじゃない?」


「そうだっけ」


 キョトンとした表情で、小首をかしげてみせるリサ。アレクサンドラは普段のペースを少々乱されながらも、言葉を続けた。


「そうよ! だけど、あなたが大聖女で、本当に良かったと今は思ってるの。毎日お祈りして、帝国を結界で守って。民に祝福を与えるため、地方巡回まで……私には、とてもできない。大聖女リサ様を、心から讃嘆申し上げますわ。でもね」


 アレクサンドラは扇をパタンと閉じると、その先端をリサへ向かって、ビシッと突きつける。


「でも、私にだって、絶対に譲れないものはあるのよ!」


 周囲の空気が、一瞬で凍りつく。


 リサはしばらく沈黙していたが、やがて、ふんわりとした微笑みを浮かべながら、天上の妖精のような声で言った。


「ふふふ……もう、分かってるってば。アレクちゃん、結婚おめでとー! 皇太子殿下と、末永くお幸せにねっ」


 あまりにも無邪気な祝福の言葉に、アレクサンドラは思わずフッと苦笑を漏らした。成り行きを見守っていた出席者たちも、困惑しながらパラパラとまばらに拍手を送る。


 セドリックは不測の事態に茫然自失となり、婚約破棄を宣言してリサに公開プロポーズするタイミングを、完全に失った。


「なぜだ。どうして、こうなった!」


 深夜、セドリックが離宮の寝室で頭を抱えていると、扉が音もなく開いた。


「な、何者だ⁉」


 容姿端正なセドリックの顔が、恐怖に歪む。


「殿下、夜分に失礼いたします」


 甘く冷たい声。アレクサンドラだった。いつものような勝ち気な態度は見えず、神妙な表情で丁寧に会釈してみせる。


「アレクサンドラ……っ、何のつもりだ! 今すぐ出ていけ!」


「殿下。私、心から反省しておりますの……今まで殿下に何度も何度も求められながら、断固として、清い婚前交際を貫いて参りましたことを。だから、つい我慢できなくなって、リサに目移りしたのでしょう?」


「そ、そういう問題じゃない! だいたい、何が『清い婚前交際』だ! わざと誘惑して興奮させては、毎回焦らして、拒んで……人のことをオモチャみたいに、もて遊んでただけだろうが!」


「はい。おっしゃる通りですわ。私が間違っておりました」


「ふふ、そうかそうか。非を認める気になったんだな? そうだ。お前は生意気で、性格が悪くて、他の男との噂も絶えなかった。だから、リサより高い魔力があっても、大聖女候補から外されたんだろう!」


 アレクサンドラは扇で口元を覆い、悲しげに目を伏せながら、セドリックのすぐそばまで歩み寄る。


「ああ、セドリック殿下……言うまでもなく殿下は、未来の皇帝陛下にあらせられるお方。私、殿下の御心が、ようやく分かりましたのよ。この世で最も美しいもの、それは、支配と服従の物語ですわ。古今東西の聖人や英雄と呼ばれる者は、みなその身を神に捧げ、主君に捧げ、愛する者に捧げた人ばかり……」


「そうだ。帝室と公爵家、最初から身分差は明らかだった。上位の者に、下劣な者は何もかも差し出すべきなんだ。それなのに、お前が今までやってきたことは何だ。反逆罪だぞ! 罰を加えてやる、覚悟しろ!」


 ドォンッ!


 アレクサンドラは、手のひらを勢いよく壁に叩きつけた。衝撃音に驚いてビクッと体を震わせたセドリックに、ゆっくり顔を近づけていく。氷のように冷たい目つきが、セドリックの心臓を射抜く。


「殿下、うるさいですわよ。少々、お黙り頂けます?」


 彼女は魔法で、セドリックの両手を緩く縛り、目隠しを施した。


「な、何をするんだ!」


「あなたは確かに、帝国の皇太子。だけど、夜の世界の女主人ドミナは、私ですのよ。お仕置きが必要みたいね?」


 壁際に追い詰められ、身をよじって逃れようとするセドリックの耳元で、彼女の囁きが妖しく響く。


「私と正面から向き合う勇気もなくて、コッソリ隠れて婚約破棄を発表しようだなんて。ずいぶんと、セコいことを考えたわね? セドリックじゃなくて、『セコリック』がお似合いだわ。許されると思ってるの?」


「っ…で、でも、リサを愛しているんだ……」


「愛? 笑わせないで。あなたに必要なのは、甘やかして、笑顔で癒やしてくれる大聖女様じゃないわ。こうやって、支配してくれる女でしょ?」


 彼女は、セドリックの顎を持ち上げた。


「全部してあげるって言ってるのよ。どうするの? 嫌じゃないなら、じっとして」


 目隠しされたセドリックは、ピタリと動きを止めた。バタつかせていた両足は今やダラリと投げ出され、されるがままに身を任せている。


「アレクサンドラ……今日は本当に、最後まで?」


「ふふ……嫌じゃないのね。それでいいのよ、気持ちいいでしょう? 本当はこうやって服従するのが、大好きなんだもんね。私を絶対的な上位者として、その身を捧げなさい。テメーが、下になるんだよ」


「そんな……皇太子なのに……未来の皇帝なのに……」


 アレクサンドラの指先が、甘く焦らしながら、セドリックの呼吸を荒くしていく。


「早く吐き出しなさいよ。全部いただくわ。あなたの自由も、尊厳も。清らかな青春時代の感傷は、今日で終わり。私が、何もかも汚してあげるね」


 アレクサンドラは、皇帝直系男子の特徴であるセドリックの美しい銀髪を優しい手つきで撫でつけながら、自身の長い黄金色の髪を、彼の顔の上にファサッと垂らす。


「やめろ、くすぐったい……」


「ふふふ。自分の気持ちを、否定しないで。あなたがどれだけ、リサを食べたいと思っても、私は絶対に許さない。あなたは、私に食べられる側なのよ」


「ま、ま、待ってくれ……」


 セドリックは歯を食いしばって耐えながらも、その身体は、彼女の支配的な手つきに熱を帯びていった。


「ほら、さっさと認めろよ。ずっと私に、こうされたかったんだろ?」


 アレクサンドラの乱暴な口調に、セドリックはとうとう切なげな声で哀願する。


「ア、アレクサンドラ……様……どうかお願いします……あなたに、この身を全て捧げますから……」


 彼女は勝ち誇ったように笑い、彼に唇を近づけた。


「はい、よく言えました。殿下はこれから、私がたっぷりと上下関係を教育しますからね」


 深夜の寝室に、アレクサンドラの嘲笑と、悪女に絡め取られた帝国皇太子の卑屈な矯声が響きわたる。


 こうして、悪役令嬢アレクサンドラは、騎士団長と宰相家兄弟の忠実な協力を得ながら、婚約破棄される運命を見事に引っくり返して、哀れな婚約者を自分の虜とすることに完全なる成功を収めたのだった。

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