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第3話

            ※


 魔王ゼルヴァは無惨に焼け落ちていく聖女を、執行人が着る祭服のフードの中から笑みを浮かべて見上げていた。火刑に処された最後の聖女が炎の中で揺らめくのを。


 聖女はたまに身体を激しく痙攣させ、既に虫の息だ。


 彼女はここに至るまでただの一度も泣き言や命乞いはせずに、ただ一筋の涙を見せただけだった。


「なかなか見込みがあるじゃないか」


 先ほど仕込んだ羽根は正しく機能しているようで、聖女の見た目はちゃんと焼け焦げている。


 ゼルヴァがわざわざ人間の、執行人の祭服に身を包みここに紛れ込んだのはこの時の為だ。


 炎は聖女を黒く染め上げ、辺りに焦げる匂いが立ち込めたかと思うと、広場は次第に黒い煙に覆われていく。


 ゼルヴァは炎の中の聖女に目をやり、持っていた執行人の錫杖を掲げ声を張り上げた。


「裏切り者は死んだ! これより鎮火する!」


 その声に民衆が沸く。歓声の中あちこちで喜びのハンカチや帽子が飛び交う。


 その様子を見てゼルヴァはほくそ笑んだ。


 魔王はまだ生きているというのに何がそんなに嬉しいのか。目的をすっかりすり替えてしまっている民衆はゼルヴァからすれば酷く愚かに見える。


 ゼルヴァは他の執行人達が操る水によって徐々に勢いを失っていく炎を眺めながら、もう原型を留めていない爛れ落ちた聖女に近寄りその耳元で囁いた。


「悪いな。お前には何の恨みもないが、その身を貰い受ける。もう一仕事してもらうぞ」


 聖女を焼いた炎が完全に鎮火したのを確認し、ゼルヴァはもう一度錫杖を無言で掲げた。


 それを見て広場には歓声が上がり、その光景を満足げな表情で遠巻きに見ていた二組の男女がゆっくりと長いローブを引きずって近づいてくる。


 一組は人類の王と王妃だ。そしてもう一組は勇者を演じた王子ロンと、魔道士を演じていたロンの婚約者である。


「下がれ」


 王に言われてゼルヴァは頭を下げ、二歩下がった。


 するとすぐさまその足元に赤いカーペットが敷かれる。


 王たちはそのカーペットを踏みつけて焼け焦げた聖女の遺体を見下ろし興奮したように囁きあう。


「とうとうやったぞ。これで魔界は完全に人類の物だ!」

「聖女がこちらの用意した瀕死の魔族達を助けてくれて良かったわ。裏切りの聖女として大々的に処理した事で民衆の心に深く残ったに違いないもの。これで民衆の心も手に入れた。聖女には可哀想な事だけれど」


 そう言って王妃は持っていた扇子で口元を覆い微笑む。


「人類の繁栄の為に魔族と聖女の犠牲は仕方のない事だ。そうだろう?」


 王が振り返ると、ロンがすかさず頷いた。


「聖女の気を引きつつ王子だと悟られないようにするのは骨が折れました。ですが、ずっと隣で支えてくれた彼女のおかげで僕はやり遂げる事が出来たのです」

「私など何も……ですが、聖女の恋心に火を付け盲目なまでに勇者を信じさせるという宰相様の作戦には感服いたしましたわ。案の定、聖女は愚かにもロン様に恋心を抱いていたようですから」

「ははは! 作戦は大成功だったという事だな。魔王とて聖女が力を失う事でこれから起こる惨劇を想像もしていないだろう」

「聖女が力を失うと何かあるのですか? 父上」


 王の言葉にロンが首を傾げた。どうやらロンはまだこの世界の秘密を知らないらしい。


「ああ、いい機会だ。お前にも教えておこう。神は聖女に役割を与えた。それは世界の融合を防ぐことだ。しかし魔界には潤沢な資源がある。それを手に入れる為、我ら人類は長きに渡って強い魔力を保有する核となる聖女を選定し、力を使い果たさせ魔界と人間界の結界を破ろうとしてきたのだ」


 その言葉にロンが感動したように声を弾ませた。


「なるほど! だから数年おきに聖女選定を! しかしそんな事をして大丈夫なのですか? 聖女が居なければ魔族の魔力が戻ってしまうのでは……」

「案ずるな。その為の聖女候補達だ。聖女の力を宿す者は全て生きたまま氷柱に閉じ込めている。魔力が一番強くなる歳にな。はは……ははは! 祖先たちが誰一人無し得なかった事を、儂の代でようやく成し遂げたぞ!」


 王の言葉にゼルヴァは俯いて肩を揺らした。


 人間の王は聖女が力を失った事を喜んでいるが、聖女にはもう一つ力がある。その力こそゼルヴァがずっと求めていたものだ。


 ゼルヴァは盛り上がる王たちを横目に錫杖を脇に控えていた者に預け、聖女の遺体に近寄った。


「王、遺体を処理いたします。お下がりください」

「おお、そうか。ここの後片付けもしておけよ。明日から祭りだからな」


 それを聞いてゼルヴァは王に一礼して聖女の遺体を抱き上げ、その場から立ち去った。


 広場を抜けて建物の影まで来ると、ゼルヴァは腕の中の聖女を見下ろし薄い笑みを浮かべる。


「ようやく鍵を手に入れた。リコ、先に戻れ。私はほとぼりが冷めるまで身を隠す」

「了解! 了解!」


 無事に聖女を手に入れたからか、リコは嬉しそうに飛び去っていく。


 ゼルヴァはそのまま建物の影に足を踏み入れ、影の内側へと身を潜めた。


 裏切りの聖女を火刑に処した興奮と喜びで聖女の遺体がどこへ運ばれたかなど、誰も気にも留めていないだろう。


 けれど気付いた時にはもう遅い。


 一度力を失った聖女が覚醒すれば、もう二度と聖女はこの世に現れない。聖女の力を宿した者達の力もその時点で失われるだろう。そうすれば魔族の封印された力は全て戻る。


 神は聖女に2つの役割を与えた。一つは2つの世界の融合を防ぐこと。そしてもう一つは圧倒的な力を持つ魔族から人類の盾になる事。


 人類はその盾を自ら手放したのだ。


 この娘こそが、本当の意味で最後の聖女となる。


「それにしても、羽根を準備するのが遅かったか」


 ゼルヴァは抱えた黒焦げの少女を見て呟いた。思っていたよりも損傷が激しい。ここから復元させるには、少々骨が折れそうだ。


 やがて夜も更け広場から人が居なくなったのを確認したゼルヴァは、影から姿を現して翼を広げた。その腕にはしっかりと聖女が抱かれている。


 城に戻りゼルヴァが一番にした事は、聖女の焦げを落とすことだった。


 ゼルヴァの羽根は今も聖女の胸にまるで刻印のように埋め込まれている。


 それを剥がすと、聖女はまるで脱皮でもするかのようにズルリと一皮剥けていった。中から現れたのは戦場で何度も見た少女だ。


 けれどやはり羽の膜で覆うのが遅かったようだ。腰まであった髪は背中の辺りで不揃いに切れているし、太ももから下は火傷が酷い。


「リコ、この娘にイブをつけ治療しろ。目を覚ましたら私を呼べ」


 それだけ言いつけてゼルヴァは部屋を後にした。


「もうすぐだ。もうすぐ全てが終わる」


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