ごめんなさい。皆、救えなくて……ごめんなさい。
フィーネは最後のその瞬間まで心の中でずっと救えなかった沢山の命に謝っていた。
それからすぐに黒い煙が立ち込め呼吸が出来なくなり、とうとうフィーネは意識を失ってしまったのだが——。
「——ネ! フィーネ!」
どこかから慣れ親しんだ大好きな声が聞こえるが、そんな筈はない。フィーネは火刑に処され死んだはずだ。
「フィーネ! フィーネ!」
それでも聞こえてくる声に重い瞼をこじ開けると、目の前には唯一の友人、リコがこちらを覗き込んでいる。
「リ……コ……っ」
声を発した途端に喉に鋭い痛みが走る。喉が焼けているのか。
フィーネは咄嗟に喉を抑えてハッとした。手を動かす事が出来る? それよりも驚いたのは、フィーネの手がまるで火刑を受ける前のように真っ白なままだった事だ。
「どう、なっているの?」
何が起こったのか分からずゆっくり身体を起こすと、部屋の中を見渡して息を呑む。
部屋の中は見たことも無い調度品で溢れていた。白一色で統一された家具はどれもこれもピカピカに磨き上げられている。
目覚めたフィーネを見てリコが嬉しそうに羽をバタつかせた。
「フィーネ、オキタ! オキタ!」
それだけ言ってリコは窓から飛び出して行ってしまう。
そんなリコを見送りフィーネは首を傾げる。
一体どんな名医があの状態のフィーネを救ってくれたのだろうか? もしかしたら教会で毎日を共に過ごした聖女候補達がフィーネの為に力を合わせてくれたのだろうか?
それを確かめるべくフィーネがベッドから下りようとした所で、部屋のドアが音もなく静かに開いて聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「目覚めたか、聖女」
その低く冷たい声は他の誰でもない、魔王の声だ。
「ど……して……っ!」
その姿を見て思わずベッドから飛び下りて魔王から距離を取ろうとしたが、その肩にリコが乗っている事に気付いて悲鳴を飲み込む。
「どう……して?」
どうしてリコが魔王と共に居るの?
フィーネの絶望する顔を見てリコがダラリと首を下げた。
「リコ、黙ッテタ 悪イ子 悪イ子」
「なんだ。お前はすっかり聖女に絆されたのか?」
肩に止まっているリコに向かって冷たい声で魔王が尋ねると、リコはとうとう黙り込んでしまう。
「……リコを威圧するのは……止めてください。友達なんです」
「ほう?」
フィーネの言葉に魔王は手を口元に持っていき薄ら笑いを浮かべる。
かと思うと部屋にあった椅子に座り、足を組んでこちらをじっと見据えてきた。
「座れ」
ハリのある威厳たっぷりの言葉に警戒しながらも、フィーネはゆっくりとベッドに腰掛ける。それを確認した魔王は膝の上で手を組み口を開いた。
「名は?」
「……フィーネ」
「あるのか」
「……」
どういう意味だ。思わず言い返しそうになるが、それはぐっと堪えた。
聖女の力を失くしたとしても聖女の矜持を大切にしたかったからだが、そんなフィーネの心を知ってか知らずか、魔王は冷たい視線を向けてくる。
「我が名はゼルヴァ。何とでも呼ぶが良い」
「ゼル、ヴァ……」
思っていたよりも普通の名前だ。そう思いながらフィーネはゼルヴァを観察するように眺めていると、ゼルヴァが突然笑い出す。
その笑い声はあまりにも冷たく、どこか軽蔑のような物が入り混じっている。
「他人の視線は嫌いではないが、こうもあからさまに眺められると良い気はしないな」
「……ごめんなさい」
ゼルヴァの言う通りだ。不躾にジロジロと眺めるのは失礼に決まっている。それがたとえ敵同士だったとしても。
素直に頭を下げたフィーネを見てゼルヴァは足を組み替えた。
「騙し討ちは嫌いだ。はっきり言う。お前は我々にとって最後の武器だ。その時が来たらお前を使う。今から覚悟しておけ」
「どういう意味ですか? 私が最後の武器?」
「そうだ。歴代の聖女はいくらこちらがけしかけても力を使い果たさないまま逃亡を図ったが、お前は実に良くやってくれた。さぞかし人間たちは喜んだだろうな。何せあんなにも大々的に処刑を行うぐらいだ。だが、それがあいつらの仇となった。その点については感謝しているぞ、フィーネ」
ゼルヴァの言っている事が何一つ分からず、フィーネは混乱していた。
確かに裏切り者のレッテルを貼られて処刑までされたのはフィーネだけだろう。
けれどどうしてそれを感謝されるのだ。
そんなフィーネに気付いたのか、ゼルヴァが口元に手を当ててクツクツと笑った。その顔は実に魔王らしい。
「一つ尋ねるが、人間たちが本気で我々を滅ぼそうとしていると思うか?」
「え?」
どういう意味だ?
人類は長い歴史の中でずっと魔族との戦いを繰り返してきた。それを仕掛けてきたのはいつも魔王だ。
人類はそれに対抗すべく魔王討伐隊を組んで人間界を防衛してきた。倒すことはいつも出来ないが、魔王を退かせる事には成功してきたはずだ。