翌日からフィーネは遠慮するのを止めて人間界に居た時のような生活を始めた。 ゼルヴァはフィーネに何も言わない。何かをしろだとか、するなだとか、そういう事は一切言わない。だからフィーネも好きにする事にした。
朝起きたら部屋でお祈りをして朝食を済ませ、イブに教えてもらった書庫で夕方まで過ごし、魔界や魔族についての勉強をする。
フィーネは彼らの事に関してあまりにも無知だ。これでは今後どう動くにしても何も出来ずに終わるだろう。機会を見てここから逃げるも、ゼルヴァに言われた通り大人しく魔族の武器になるも、まずは相手を知らなければ。
魔族の歴史について調べていると、色んな事が分かり始めた。
「人間の歴史とは随分違うのね。魔族側から見たらこんな歴史になるのか……」
歴史を見ていると魔族と人間が互いに関わりを持ち始めたのは割と近年だと言う事が分かった。
何より同じ戦争の事が書かれていても、人間界で学んだ事とは随分違う。
「フィーネ勉強! 偉イ! 偉イ!」
肩に止まって一緒になって本を読んでいたリコが定期的に褒めてくれる。これは昔からだ。そう言えばリコは言っていた。聖女は教会の奴隷だと。
ふとその事を思い出してフィーネは本を閉じると、リコの身体を掴んで机の上に置く。
「ねぇリコ、あの時どうしてあんな事を言ったの?」
「アンナ事、ドンナ事?」
「聖女が教会の奴隷だなんて、酷い冒涜だわ。それともあれはリコが魔族だからそう言ったの?」
「違ウ。事実、事実」
フィーネは腕組をしてリコを見下ろすと、わざと怖い顔をしてリコを見つめる。
「事実? それは嘘よ。教会は聖女を保護しているのよ?」
「保護シナイ! 氷漬ケニスル!」
「氷漬け?」
意味が分からなくて首を傾げると、背後から一冊の本が差し出された。
振り返るとそこには長髪のモノクルをかけた神経質そうな若い男性が立っている。
「その本をどうぞ。聖女について詳しく書いてあります」
「あ、ありがとうございます。あの、あなたは——」
「私はスタンレー。人間で言う所の宰相でしょうか」
「宰相様……」
「様はいりません。魔界は王以外は全て平等の立場ですから。宰相というのもただの役職でしかありません」
「そうなんですか?」
「ええ。それでは失礼します」
それだけ言ってスタンレーは本を抱いて歩き去っていく。その背中を見送ってフィーネは本のページをめくり始めた。
どれぐらい本に没頭していたのだろうか。フィーネの指先は知らぬ間に震えていた。まるで怖い小説を読んだ後のような後味の悪さだ。
「フィーネ、傷ツク。スタンレー、イジワル」
青ざめて言葉を失うフィーネを慰めるかのようにリコが羽でフィーネの手を撫でてくれるが、今はそれにも癒やされない。
フィーネは本を抱いてリコに詰め寄った。
「魔王はどこに居るの?」
「魔王、仕事。執務室」
「そこへ連れて行って!」
半ば強引にリコに詰め寄り荘厳な廊下を歩いていると、中庭が見えた。そこには花が咲き乱れ、真ん中には大きな木が一本立っている。
フィーネは人間界で何度も奉仕の為に城に出向いたが、不思議とここの方が穏やかで温もりがある。
「綺麗ね」
ぽつりと呟くと、前を飛んでいたリコがフィーネの肩に止まった。
「王、ココデ回復! 必要不可欠!」
「回復?」
「ソウ! 王、大変!」
どういう意味だろう? 曖昧に頷いてまた歩き出すと、執務室は中庭を挟んだ反対側にあった。
ノックをして返事を待っていると、しばらくしてようやく冷たい返事が聞こえてくる。
「フィーネです、入ります」
ドアを開けて中に入るとそこはまるで魔窟だった。
色んな書類が高く積み上げられ、正に足の踏み場もない。
「フィーネ? 誰だ」
「……元聖女です」
名前を覚えてすらいないのか。本気でフィーネに興味が無いのだな。
そんな事を考えながら答えると、ゼルヴァは姿を現すこともなく声だけで返事をしてくる。
「そう言えばそんな名だったな」
「はい……えっと、」
この本に書いてある事は正しいのかどうかを尋ねようと思ってやって来たが、この部屋の惨状を見て何だか出鼻をくじかれてしまう。