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「魔王、失礼します」
スタンレーの声にゼルヴァはようやく書類から顔を上げると、ペンを置いて大きく伸びをする。
「今日は客が多いな。どうした」
「申し訳ありません。先ほどまた狩りが行われたと一報が入り奪還に行ったのですが……」
スタンレーはそこで言葉を区切り、書類を避けてこちらに近寄ってきた。見るとその腕からは血が滴り落ちている。
ゼルヴァはその腕に手を翳すと、簡単な再生魔法をかけた。
すると見る見る間にスタンレーの傷は塞がり、血に塗れていた服も元に戻る。
「これで良いか」
「ありがとうございます」
「それにしてもお前がそんな怪我をするのは珍しいな。どうした」
「狩られたのはルネでして……」
深い溜息を落とすスタンレーは表向きには呆れているが、その目の奥には安堵の色が浮かんでいる。
「ルネ……ああ、お前の番か」
スタンレーの番は人間界から廃棄された人間だ。生まれつき魔力を持たず、生贄と称して川に流された者達。そんな人間が魔界にはゴロゴロいる。
「はい。ありがとうございました。それでは私はこれで失礼します」
「ああ」
腕が治った事を確認したスタンレーは、一礼して踵を返す。
スタンレーが部屋から出るのを見届け何気なく視線を窓の外に向けると、そこには着飾ったイブとドレスに身を包んだフィーネが馬車に乗り込む所だった。
「貫頭衣ではない姿を見るのは初めてだな」
聖女と言えば昔から貫頭衣姿かあの使い回しの鎧しか見たことが無いが、普通の格好をしていればそれなりだ。
とはいえゼルヴァはフィーネに何の興味もない。そもそも性格が好きではない。今までの聖女達と同じ、ただ従うだけの者に何の興味も抱けなかった。
ゼルヴァは執務室を出て中庭の大木に寄り添うように腰を下ろし目を閉じると、大地からの力を受け取る。
氷柱に閉じ込められた聖女の力で魔族の力のほとんどが未だに封印されたままだが、そんな中ゼルヴァだけがこうして大地から直接魔力を吸収する事が出来る。
その力で魔界全土の魔力を賄っているが、これがなかなかの負担だ。
「いい加減、疲れたな……」
思わず漏れた本音に答えたのは、風に揺れる葉や枝だけだった。
※
フィーネはイブに半ば無理やり城下街まで連れてこられ、生まれて初めて買い食いというものをした。
「た、食べながら歩くんですか!?」
「そうよ~。ここの紅葉焼は最高に美味しいの。ここの店主がね、質の良いチョコレートを仕入れてくるらしいのよ~」
聞けば魔界の行商はその店の人が行っているらしい。人類のように行商という職業がある訳ではないそうだ。
「面白いですね。お店の人が直接仕入れるなんて」
「まぁね。魔力が全て戻ればそれこそ行商という商売も成り立つんでしょうけど、皆、危険を犯してまで他所のお店の為に働きたくないのよ」
「魔力が全て戻れば?」
魔族にも魔力はあるはずだ。それなのにイブは不思議な事を言う。
思わず首を傾げたフィーネの肩で紅葉焼を食べ終えたリコが口を開いた。
「魔力! 封印! 魔族、魔力使エナイ」
「え!? で、でも戦争では使ってたよね?」
そのせいであんなにも苦戦したのだが!? そう思うのにイブもリコも首を横に振ってため息などつく。
「フィーネは本当に何も知らないまま聖女をやらされてたのね。魔族の魔力は聖女の力によってほとんど封印されているの。だから私の力もフィーネを回復させるのに完璧では無かったでしょう?」
「十分かと……」
それこそ瀕死のフィーネを助けてくれたのはイブだと聞いている。あの火傷をここまで治療出来るのは、並大抵の魔力では無理だ。
ところがイブはフィーネの言葉に首を激しく振った。
「あれは魔王の魔力よ! 私は魔王が治しきれなかった所を治しただけ。喉とか足とかね」
「……魔王が……?」
フィーネの事をはっきりと武器だと言い切り、助けたつもりは無いと言って物扱いしたあのゼルヴァが?
「魔王は魔界の核のような人なの。今は魔族の魔力を全てあの方一人で補っているのよ。いつか倒れるんじゃないかって皆ヒヤヒヤしてるんだから!」
冗談めかしてそんな事を言うイブの話をどこまで信用していいのか分からないが、少なくともフィーネがずっと聞かされてきた魔王とは全然違うようだ。
「そうだったんですね……何だか魔王の方が聖女みたい」
ぽつりと呟いてイブおすすめの紅葉焼を齧ると、食べた事の無い甘味が口いっぱいに広がる。こんな物を食べたのは生まれて初めてで、思わず涙が浮かぶ。
聖女だった頃はこんな些細な事で涙など浮かべなかった。
それからもイブは色んな所へ連れて行ってくれ、色んな物を食べさせてくれた。綺麗なドレスを着てお化粧をして、普通の淑女のようにこんな風に過ごしたのは、生まれて初めてだった……。