その日からフィーネは毎日決まった時間にルネの元を訪れた。ルネの元へ仕事の依頼が来る事は滅多に無かったが、それでもルネは毎日フィーネが行くと患者の元を巡回して回る。
「遍歴医って、大変なお仕事ですね」
元聖女だったフィーネにとって病気や怪我は手を翳すだけで治す事が出来たので、治療という行為がこんなにも手間暇のかかるものだとは思ってもいなかった。
泣き叫ぶ患者の話を聞き、患部を確認して傷口を洗い、そこにその場で調合した薬を塗り込んでガーゼで覆って包帯を巻く。怪我だけじゃない。病気だってそうだ。それを毎日毎日繰り返し、何日もかけて怪我を治す。
その間に不思議と患者とルネの間には絆のようなものが生まれるのを、フィーネはもう何度も見てきた。
ただ手を翳して病気や怪我を治していただけのフィーネとは違う。患者とただ一時だけを共に過ごしただけのフィーネとは、全然違う。
「大変だけど、やり甲斐があるでしょ?」
ルネは微笑んだ。そんな彼女を見てフィーネも素直に頷くことが出来た。嫉妬心とかそういうのは一切ない。
ただ純粋にこうなりたかったと思えたのだ。
「私、明日からも毎日通っても良いですか?」
「もちろん! 見ての通り私だけではもう周りきれなくて! いつかはフィーネもこの薬箱を背負って患者さん達の元に通えるようになってくれたら、私は最高に嬉しい」
「が、頑張ります」
そうなりたいかと言われたらまだ正直な所分からない。分からないけれど、少なくともルネはフィーネが目指した聖女像だ。
戸惑ったフィーネにルネは苦笑いして慌てたように付け加えた。
「あ、でも強制じゃないからね! 魔界では自分の為に仕事をするの。何か他にしたい事が出来たら、すぐにそっちにも手を付けて。そうして色んな事をして自分が本当にしたい事を見つけてね。フィーネがどんな道を選んでも、私は応援するから!」
「ありがとう、ルネさん」
屈託のないルネの笑顔につられてフィーネが微笑むと、ルネが徐ろにフィーネの頭を撫でてきた。
「やっと笑った! うん、やっぱり思った通り笑った方が可愛いよ」
「あ、ありがとう……」
初めて言われた思いがけない言葉に思わずフィーネがたじろぐと、ルネは肩を揺らして笑う。
その笑顔に嘘も偽りも無さそうで、ようやくフィーネはルネを信頼し始めていた。
あれから一ヶ月。すっかりルネを信頼していたフィーネはとうとう自分が聖女だった事をルネに告げた。
けれどルネは少しも驚いた様子はなく、ただ無言で涙を浮かべてフィーネを抱きしめてきただけだ。
その事がフィーネにはとても有り難かったし、まさかフィーネが保護された聖女だとは思ってもいなかったのだろう。
今日向かうのはとても偏屈なお爺さんの家だそうだ。フィーネは気合を入れて背負っている薬箱を背負い直した。
あれからルネの後をただついて行くだけの自分が情けなくなって、ルネに頼み込んで古い薬箱を貸してもらったのだが、そこで初めてこの薬箱の重さを知り、命を繋ぐという事の重みも知った。
いつものようにルネの後ろについて歩いていると、何となく視線を感じてふと振り返ったが、そこには誰も居ない。
首を傾げつつまた歩き出すも、どうにもその感覚が拭えなくて何度もフィーネは振り返った。
気がつけば今日の患者の家に来ていたようで、ルネが足を止める。
「フィーネ、覚悟は出来てる?」
「は、はい」
いつになく真剣な顔のルネに頷くと、ルネはゆっくりとドアをノックした。
「ルネです。往診に来ました」
するとすぐさま中から返事がある。
「帰れ! 俺は誰の世話にもならんと言っている!」
その声にフィーネは思わず身体を強張らせた。こんな患者は初めてだったから。
けれどルネはそんな罵倒にめげることなくドアを勝手に開くと、家の中へズカズカと入って行く。
そんなルネにフィーはビクビクしながらついて行ったが、家の中はまるで暴れた後かのように物が散乱している。
「また暴れたの? ゼノさん」
ルネがリビングを見てため息をついて隣の部屋に視線を移した。
するとまた奥から怒鳴り声が聞こえてくる。
「うるさいっ! 誰にも迷惑はかけてないはずだ!」
「それはそうだけど、いい加減立ち直らないと……」
ルネがぽつりと言ったのが聞こえたのか、隣の部屋から鬼のように顔を真っ赤にしたゼノが顔を出した。
「お前に何が分かる! 全てを持ってるお前に何が分かるんだ!」
ゼノの勢いに圧倒されるフィーネとは違い、ルネはそれを聞いて眉を吊り上げる。
「分からないわよ! 私には元々何も無かったんだから! あなたが奥さんと歩んできた幸せな道のりを、私はやっと掴んだところなんだもの!」
その言葉にゼノがグッと黙り込んだ。
ルネが魔力を持たずに生まれ、生贄として魔界に流れ着いて保護されたという話はフィーネも聞いた。
それを聞いてフィーネは思わずルネに抱きつき、その背中を撫でたのは言うまでもない。