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ゼルヴァは小さく蹲って嗚咽を零しながら泣き崩れるフィーネを影の中からじっと見ていた。
やはりフィーネを目覚めさせるには、あの大きな聖女という仮面を剥ぐことだろう。
しかしリコの存在も大きかったとは言え、どうしてフィーネがそこまでして魔族を助ける事に躍起になっていたのか、その謎が解けた事は僥倖だ。
「全ての命は平等……か。その環から最も外れていた者がそれを言うとはな」
人間界で聖女は明確に虐げられていた。それを本人達が認識していなかっただけで、彼女たちは本当の意味で奴隷だったのだ。
リコの言う洗脳という言葉を思い出してゼルヴァは鼻で笑った。人間達はさぞかし自分達の思い通りに動くフィーネは都合が良かった事だろう。
フィーネが魔族を助けていたのだって、人間たちの描いたシナリオ通りだ。
けれどその中には誤算もあったのではないだろうか。
フィーネを裏切り者に仕立て上げるために聖女が幾度となく魔族を救っているという事実に目を瞑らなければならなかった彼らは、フィーネが思いの外魔族を助けて回った事に手を焼いていたはずだ。
「結果としてフィーネは実に沢山の魔族をこちらに返してくれた訳だが、あの娘にはその自覚すら無いのだからな」
影の中で独りごちていると、地上からまた話し声がする。
「私、やっぱりこれからもルネさんのお手伝いをしても良いですか?」
「もちろん。でも……今日みたいな事がまたあるかもしれないわよ?」
ルネの心配そうな声に続いてフィーネの鼻声が聞こえてきた。
「はい。それでも、私は誰かの役に立ちたい。聖女としてではなくて、今度はただのフィーネとして。その為にゼノさん、どうか治療をさせてください。ゼノさんに何かあったら私、本当にレイアさんに顔向けが出来ません」
その言葉にゼノがどんな顔をしたのかはここからでは見えなかったが、ゼノの小さな「ああ、頼む」という声が聞こえて来てゼルヴァは腕を組んだ。
「……案外根性はあるんだな。だが、それはそうか。あの火刑の時でさえ聖女でいようとしたような女なのだから」
初めてフィーネの意思が籠もった声にゼルヴァが感心していると、少ししてゼノの絶叫が聞こえてきた。
どうやらルネとフィーネの治療はなかなか荒療治のようだ。
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あの日からフィーネはまた書庫に通って薬草や効能を調べるようになった。またレイアがフィーネを後押ししてくれたのかもしれない。
ゼノはもうフィーネが尋ねて行っても怒鳴ったりはしないし、最近ではお茶まで出してくれる。
フィーネは薬草の本を片っ端から持ち出して効能と名前をノートに書き取っていく。
「なるほど……ゼノさんはいっつも咳してるし気管支が弱いのかも。白鱗草なんて良いかもしれない。そこに甘みのある神経痛を和らげるヴィス・レンカを入れたら飲みやすくなるのかな……リコ、この2つの飲み合わせはどう?」
同じように隣でページをめくるリコに問いかけると、リコは器用に片足でページを捲ってある箇所を嘴でつついた。
「悪クナイ! 悪クナイ!」
「ほんと? 良かった。それからマッサージなんだけど、何か効果的な物はありそうですか? イブさん」
やっぱり隣で血行を良くするためのマッサージについて調べてくれていたイブが、何を思ったか本に直接赤丸をつける。
「これなんてどうかしら?」
「イ、イブさん! そんな本に直接書いたら!」
慌ててイブから本を取り上げてその赤丸を消そうとしていた所に、フッと背後から長い影が落ちた。
ビクリとして思わず三人で振り返ると、そこには相変わらず無表情のゼルヴァがこちらをじっと見下ろしている。その視線は真っ直ぐフィーネの手元に注がれていた。
「ひっ!」
どうしてずっと顔を合わせなかったというのに、こういうタイミングで現れるのだ!
そう思いつつ身体を縮こまらせると、ゼルヴァは特に何を言うでもなくフィーネに向かって言う。
「それらの本はお前にやる。精々役立てるんだな」
それだけ言ってゼルヴァは書庫を後にした。そんなゼルヴァを見送って思わず全員で顔を見合わせる。
「それらの本って、どこからどこまで?」
「さあ?」
「全部! キット全部!」
「全部は流石に……違うと思う」
机の上には医療関連の書籍が山のように積み上げられているが、ゼルヴァが言ったのがどの本の事なのか分からず、結局読んでいた三冊だけを有り難く頂くことにした。
部屋へ帰ってからも三人で知恵を絞ってルネに分けてもらった薬の調合をしていく。
「私、ちょっと飲んでみる」
出来上がった初めての薬を見てフィーネが言うと、イブとリコが勢いよく止めにかかってきた。
「駄目! 絶対駄目! 何カアルカモ! 爆発スルカモ!」
「爆発は大袈裟にしてもお腹は爆発するかもしれないから、フィーネは飲んじゃ駄目よ。貸してみなさい」
「え? ちょ、イブさん!?」
イブはフィーネが何か言う前に薬を奪い取って部屋を出て行ってしまう。