ゼルヴァが呟いたと同時にフィーネは崖にへばりついて、一歩を踏み出したではないか。そんなフィーネに今度はゼルヴァが息を呑む。
フィーネはそのままどんどん奥へと崖を伝い進んでいく。
そんなフィーネの影の中から崖を伝うフィーネの顔を覗き込むと、目に涙を浮かべ唇は微かに震えている。それでも進むのを止めない。
「……そうだった。この女、根性はそこそこあったのだったな……」
何せ火刑になっても叫びもしなかったような女だ。良くも悪くも根性だけはある。
フィーネは足元が崩れる度に立ち止まり崖にしがみついて深呼吸をしていた。
やがて崖の半分辺りまで来た時、目当ての植物が手に届かない場所にしかもう残っていない事に気付いたようで、ようやく泣き言を言って身体を反転させた。
ところがそのまま足場が崩れてフィーネの身体はとうとう崖に投げ出され真っ直ぐ奈落に吸い込まれていくではないか。
「言わんこっちゃないな、全く」
ゼルヴァはフィーネが落ちる直前にため息を落としてフィーネの影から抜け出ると、急いで翼を出して落ちていくフィーネを追いかける。
どこまでも手間のかかる女だ。そんな事を考えながら目を閉じるフィーネの横を通り過ぎようとしたその時、ふとフィーネが口を開いた。
「不幸じゃないわ……運が無いだけ」
「?」
あまりにも脈絡のない言葉に思わずフィーネの顔を覗き込むと、フィーネは何故か微笑んでいる。その顔はあまりにも満足げで、とてもこれから死にゆく者の顔には見えない。
一瞬どういう意味なのか考え込もうとしたがそれどころではない事を思い出したゼルヴァは、魔法を使ってフィーネの身体を崖の上まで一気に押し上げた。
ついでに崖に生えていた薬草も一緒に巻き上げてやると、崖の上で呆気に取られているフィーネの影にまた身を潜める。
フィーネはと言えば完全に放心状態でその場に座り込み、ゼルヴァが影の中に入り込んだ事にすら気付いていない。
しばらく頭上から降ってくる薬草を見ていたフィーネは、ホッと息をついて薬草を集めると、ようやく山を下り始めた。
無事に城に戻り執務室に向かうと、スタンレーが部屋の片付けをしていた。
「スタンレー」
ゼルヴァが声をかけると、スタンレーが振り返ってモノクルを押し上げる。
「魔王、お帰りなさいませ。どうかなさいましたか?」
「ああ。お前に聞きたいことがある」
「何でしょう?」
「お前の番は何故フィーネに奈落の崖に生える薬草を教えたんだ?」
別に薬草に明るい訳ではないが、どう考えても奈落の崖は採取には向かないはずだ。難易度もそこそこ高いだろうに、何故あえてそこにフィーネを行かせたというのだ。
もしかしてフィーネに何か思う所があったのかと思って尋ねたのだが、スタンレーはしばらく首を傾げていたかと思うと、おもむろにポンと手を打った。
「ああ! いつもは私が抱いて飛ぶから難易度は低いと認識しているのではないでしょうか」
「なに?」
それを聞いて思わず顔をしかめるとスタンレーが珍しく笑いながら言う。
「あの崖は仰る通り難易度が高いので、そんな場所にルネを行かせる訳には——もしかしてフィーネは行ったのですか?」
ゼルヴァの顔を見て何かを察したのか、途端にスタンレーの目が大きく見開かれる。
そんなスタンレーに向かってゼルヴァが一つ頷くと、スタンレーは一歩後ずさった。
「す、凄いですね。普通あの崖を見たら怯みませんか」
「全くだ。案の定途中で足を滑らせて崖から落ちてな」
「!」