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逃げてますわっ!①

「ようこそいらっしゃいませーですわっ!

 今日の日替わりは根菜と鶏肉のクリームシチューでしてよ!

 わたしもお芋の皮を剥きましたのよー!!」


「へぇ、ミリちゃん何個剥けたの?」


 常連のおじさまに聞かれましたので、胸を張って答えますわ!


「二個ですわ! 今日は指も切らなかったから女将さんに褒められましたのよー!!」


「そ、そうかいそうかい。ミリちゃん良かったなぁ。

 じゃあその日替わりとエールをくれや」


 何故だか常連のおじさまが半笑いですわ。

 確かにわたくしが二個剥く間に女将さんは何十個も剥いてましたけど。


「はいよろこんで! ですわー!」


 女将さんが用意してくれた日替わりシチューのお皿とパンの乗ったお皿をトレーに乗せて、エールがなみなみ注がれた木のカップも持って……。


「お待たせいたしましたわー!」


「おぉ! ミリちゃん! ちゃんと溢さず持ってこれるようになったなぁ。偉い偉い」


 幼子にするように頭を撫でられます。

 貴族令嬢だった頃にはあり得ない状況ですわね。淑女に不用意に触れるなど、爵位によっては無礼打ちされても文句は言えませんもの。

 でも何故でしょう。こちらの常連のおじさま方にされるのは、とても心地よく感じるのです。


「えへへーですわっ!

 さぁさぁ冷めないうちにお召し上がりくださいませーですわ!」


「ミリちゃんこっちにも日替わりちょーだいー」


「はーい!今お持ちしますわー!」


 今のわたくしは、王都から少し離れた中核都市の、これまた中心からは少し離れた下町の食堂でお世話になっておりますの。


 どうしてこうなったかと言いますと……。





 あの日、レティシア様からなんの躊躇もなくクッキーを受け取られた王太子殿下のお姿にショックを受けたわたくしは、フラフラと当家の馬車に乗って屋敷に帰りましたの。

 本当は王城で王太子妃教育があって、王太子殿下と馬車をご一緒させていただく予定があったので、王太子殿下をお探ししていた事などすっかり忘れて……。


 で、屋敷に帰りましたら、珍しくお兄様がご帰宅されてましたの。

 お兄様はわたくしや王太子殿下より三つほど歳が上で、既に王太子殿下の側近として王城でお忙しくされていますので、こんなお早い時間にお屋敷にいるのは珍しい事なのです。


 ですからわたくし……。久々にお兄様にお会いできるのが嬉しくて……。

 お父様の執務室でお二人がお話されていると聞き及んでおりましたのに、うっかり執務室に足を向けてしまいましたの。

 多分学園で目撃したレティシア様と王太子殿下の逢瀬にショックが大き過ぎて、正常な判断ができていなかったのでしょう。……言い訳ですわね。


 ……それが良かったのか悪かったのか、未だに判断できかねますが、遅いか早いかのタイミングで、いずれ同じ事だったと思いますので、良かったのだと思う事にしております。


 そう、少しだけ開いていた扉(お父様ったら不用心ですわね)、そこから漏れ聞こえてきたお二人のお話は……。


 奇しくもわたくしと王太子殿下の婚約についてでした。


「最近ミーシェリアはどうだい?」


「まぁ、相変わらずですよ。殿下も相変わらずですし。

 あぁ、そう言えば最近市井で流行ってる小説通りの事が学園で起きてるそうですよ」


 コツリとペンを置いた音が扉から聞こえてきます。

 本当は盗み聞きなど淑女らしくないのに。

 これ以上聞いては取り返しのつかない事になりそうな予感がするのに。



 ……どうしてもわたくしの足は動きませんでした。



 学園での事といい、わたくしの身体は本人の意思に従わなくなっているようです。

 だから……。立ち去れなかったわたくしは、必然的にお父様とお兄様の会話を聞く事になりました。


「あぁ、あの成り上がり物語か。

 とすると、我が家のお姫様の配役は『悪役令嬢』か?

 それは随分と…………だな」


 くすりと溢れた笑いにかき消されたのか、お父様のお言葉は一部聞き取れませんでした。


「えぇ、むしろこちらの話に出てくる『悪役令嬢』の方があの子には似合いですよ」


「ははっ、どのみち『悪役令嬢』なのかい? あの子は」


「まぁ、ミーシェリアですからね。仕方ないかと」


「ふうん。で、この本のヒロインにあたる人物は、学園でそんな舞台を整えてどうしようと言うのかね?」


「それはもちろん、『悪役令嬢』の断罪からの殿下との『婚約破棄』でしょうね」


 呆れたようなお兄様の声が何故か遠く聞こえます。


「まぁ、それなら仕方ないな。

 そんな流れで対処もできずに破棄されたというならそれまで。あの子は屋敷に閉じ込めて二度と家から出さんよ」


 お父様のなんの感情も伺えない平坦な口調が恐怖を誘います。

 わたくしは婚約破棄されてもおかしくない人間と思われていたのでしょうか?

 わたくしなりに頑張ってきたつもりでしたが、婚約を破棄されるほどに、幽閉されるほどにそんなに不出来だったのでしょうか?

 ……二度と屋敷から出さないと言われるほど駄目な娘だったのでしょうか?


 学園で見聞きしたシリウス様とレティシア様の親しげな、親密なご様子が脳裏に甦ります。

 そして今さっきのお父様とお兄様の会話も。


 ぐるぐると、ぐるぐると、脳内を巡ります。


 ……わたくしはそんなにも……。

 娘として、妹として、婚約者として……。


 不出来だったのでしょうか?


 その後、お父様とお兄様に気づかれないよう自室へと戻り、学園の制服のまま寝台に飛び込みました。

 脳裏を占めるのはシリウス様との思い出と、シリウス様への想いと、お父様とお兄様へのお気持ちです。


 ……わたくしはどうすればよろしいのかしら?


 そんな詮無い事を考えていると、例の『悪役令嬢』の物語についてお話されていたご令嬢達の事を思い出します。

 確か彼女達曰く、ヒロインを虐めた『悪役令嬢』は婚約者に断罪ざまぁされ婚約破棄されるとか……。

 そして、『悪役令嬢』は平民に落とされたり、国外追放されたりするそうです。


 ……高位の、いえ、高位じゃなくても貴族令嬢を平民に落とすとか、国外追放するとか……。

 これって直接死罪を言い渡された訳じゃございませんが、遠回しに死ねって言ってますわよね?

 普通のご令嬢が市井に落とされて一人で生きていけるはずございませんもの。


 ……まぁ、でも。


 物語のように大勢の前で断罪されるとなると、家門に、お父様や次期当主のお兄様にもご迷惑が掛かりますわね。

 ……それ以前に王太子殿下に婚約破棄されたご令嬢になった時点でご迷惑ですわね。


 ……そんなにもわたくしはダメダメだったのでしょうか?


 ……

 ……

 ……


 よし! いっそ断罪される前に失踪致しましょう!

 それなら『王太子の婚約者は荷が重かった』とかなんとか言い訳もできますわ。多分。

 お父様は陛下の、お兄様は王太子殿下の側近として既に認められておりますもの。

 わたくしがいなくなっても、どうとでもなりますわ。


 そうと決まれば準備ですわ!

 行先は……あぁ! あの街にいたしましょう!

 王族の離宮があるあの街。澄んだ水が美しい湖を擁する街ですわ。

 ……あの湖のほとりで王太子殿下にプロポーズされましたの。

 美しい思い出ですわ。


 その思い出を胸に、わたくしはひっそりと生きる事に致しますわ!!






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