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逃げてますわっ!②

そう決意してお家を飛び出して早一ヶ月。

 運の良い事に街へ着いて早々、体調不良でお困りだったこの食堂の女将さんをお助けした縁でとんとん拍子に仕事先と住む先が決まりましたわ。

 女将さん、腰を痛めてらして給仕のお仕事が難しいとの事でしたので、給仕のお仕事を引き受ける代わりに、食堂の二階にあるお部屋に住まわせていただくことになりましたの。

 なんでも既にご結婚された娘さんがお使いだったお部屋で、ベッドなど最低限の家具が残されていて、そちらも使っていいとの事でしたので……。

 しかもお家賃は無しで、僅かですが給仕のお仕事にお給金も出るのです。

 我ながら世間知らずの不審者だと思いますのに破格の待遇ですわ!!


 最初は色々勝手がわからず失敗も致しましたが、今ではお芋の皮むきもできますのよ!!


 淑女らしからぬ行いをする今のわたくしを見たら、家族も多分元婚約者も、びっくりして腰を抜かすかもしれませんわね。


「ねーねー、ミリちゃーん。また助けて欲しいんだけどー」


 王都の方に向けて得意げに微笑んでますと(どうやらこういった表情を平民の方々はドヤ顔とおっしゃるようですわドヤァ)、常連様のお一人に声を掛けられました。

 確かあのお方は街の中心部に程近いところで宿屋の経理をされている方ですわね。

 立派なお宿ですので、こちらに観光に訪れる、別荘を持たないご貴族の方々も利用されていると聞いた事がありますわ。


「どうされましたの?」


「いや、これさぁ。うちの収支報告書なんだけど……。ここの数字が合わなくて……」


 食べ終わったお皿を除けて何枚かの書類が広げられています。

 ……ていうか、こんな大事な書類、そもそも持ち歩いてよろしいのでしょうか?


「わたしが拝見してもよろしいの?」


 部外者に気軽に見せるものではありませんわよね?


「もう藁にも縋る思いでさぁ。オーナーには許可取ってきたから大丈夫!

 ミリちゃんなら! ってオーナーも言ってたし」


 ……オーナー様の謎の信頼が重いですわ。

 わたくし、一介の食堂の給仕でしてよ?


「……ここと、ここの数字、桁を間違えていましてよ」


 二か所ほど指摘すると、常連のおじ様が懐から、丸い玉を縦に串刺しにした物をいくつも並べた簡易計算機を取り出しました。

 アレは確か東方からの輸入品で、一度使い方を覚えてしまえば計算が早くできて便利なのですが、覚えるまでが大変と評判のお品ですわね。

 それを日常的に使いこなしているとは……この方なかなかやりますわね。


「おぉ! やっと合った! ミリちゃんありがとー!!」


 計算を終えたらしい常連のおじ様が、満面の笑みでこちらを見てきます。


 ですが……。


「お喜びのところ申し訳ないのですが……。こちらの月のこの支出、おかしくございません?」


 先程計算ミスを探す中で気になった点を指摘します。


「え? ん? ここ? 王都からお貴族様が何組か来るって準備したやつ?

 結局来なかったんだよなぁ〜これ」


 丸損だよぉとボヤくおじさまに残念なお知らせですわ。


「そうでございましょうね。この月は王都で王家主催の催し物が多く行われた為、基本的に貴族家は王都から動がなかったはずですわ。

 領地で喫緊の事態が起こった場合は別ですが、こちらへいらっしゃる貴族の方は避暑が目的ですから……」


 皆までは申し上げませんが、暗に貴族が来る事にして、掛かった経費を水増ししている存在をほのめかします。

 ……もしかしたらこの目の前の男性が犯人という可能性もございますが、ふだん気のいい常連様である事を考えて、決死の覚悟でお伝えします。


 案の定、わたしの言葉に深く悩まれてしまいました。

 こちらはどちらの反応なのでしょう……。


「……ミリちゃん、ありがとう。ちょっと調べてみるよ」


 ガタリと立ち上がった常連様。

 その表情は焦燥と怒りに満ちておりますわ。どうやらこのお方は横領犯ではなかったようですわね。


 慌てたように立ち去る常連様の背に向かってわたくしは……。


「お客様! お支払いをお願いいたしますわぁ!! 全部で1,000マニーでしてよ!」


 食い逃げは許しませんわ!!


 お代を置いてぺこぺこ頭を下げながら去って行く常連様を見送ると、今度は異国情緒溢れるお客様がご来店です。

 あの衣装はこちらの湖を利用して交易を行っている国のものですわね。

 普段は湖を起点とする大河の下流域にある交易都市でやり取りをしているので、こちらでお見掛けするのは珍しいですわ。


「いらっしゃいませ! ですわ!」


 どうしたらよいのか困惑されていたので、空いていたお席に案内します。


「湖水の街までようこそ! ですわ!」


 にこりと微笑むと、少しだけ困惑した表情を浮かべられた後、微笑が返ってまいりました。


「……ココ…しょくどう? なに……食べる?」


 あら、どうやらこの国の言葉は詳しくないようですわね。

 ご商人の方ではないのかしら?

 それなりに裕福そうな方々ですのに……。


『さようでございます。湖水の街にようこそおいでくださいました。尊き海の民の方々。

 こちらでは、美味しいエールとお食事をお楽しみいただけます。

 本日推薦させていただきますのは、お野菜と鳥の肉のミルク煮でございます』


 あぁ、王太子妃教育のついでで習いましたので、どうしても言い回しが硬くなってしまうのは否めませんわ。

 ちょっとお相手の方々もびっくりされております。


『……なんと! 我が国から遠く離れた他国で我が国の言葉が分かる御仁がいらしたとは!

 レディ、少し表現が硬いですが、素晴らしい発音ですね。貴女の努力が分かります』


『恐れ入ります』


 そういって胸の前で両手を重ね合わせて礼をとります。


『おぉ! 我が国の礼もご存じとは! 海の神よ! この出会いに感謝を!』


 ……神様に感謝を捧げるのは構いませんが、早く注文をして欲しいところですわぁ。

 エールの追加を頼みたくってチラチラこちらを窺っている常連の皆様をお待たせするのは忍びないですからね。


『あぁ、すまない。注文だったね。では神に遣わされたかのようなタイミングで我々の前に現れし姫君のおススメにしよう。

 それを二人分。あと酒精の強い酒も二人分お願いしよう。この出会いに感謝を』


 そう言って、先程のわたくしと同じ礼をするお二人。

 姫君とかなんとかいたく明後日の方向に感心されておりますが、出来れば今日のおすすめを召し上がってから、そのお味に感心していただきたいところですわ。女将さんの旦那様のオヤジさんが作るお料理は美味しいですのよ?

 それに! 今日は! わたくしも! お芋を剥きましたからね!


 ……海の国の言葉をどうして知っているか……ですか?


 他国の言語を学ぶのは妃教育の一環にもございましたが、それとは別にわたくし自身が言葉を学ぶのが好きでして。

 ささやかな趣味のようなものですわ。

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