「よいっしょ! ですわー」
しーですわ。静かにーですわ。
音を立てないように二階の自室の窓からロープを落とします。
このロープ、家出した時に何かに使えると思って実家から持ち出したのですが、まさかこんなに早く役に立つとは……。
備えあれば患いなしですわぁ。
「そーっと、そーっとですわ」
窓から、音を立てないように身体を外に出します。
この窓は正面入り口とも裏口とも違う場所に面しておりますので、上手くいけば見つからずに店を抜け出して宵闇に紛れ込めるはずですわ。
「全くもう! 今更なんなのー?! ですわっ!」
ブツブツ呟きながら、ロープを頼りに壁を降ります。
「ホントにもう! 一ヶ月も放置されていたのに今更探しにいらっしゃるなんて! 最初の一週間怯えて過ごしていたわたくしの心労を返して欲しいですわ!」
「意外にあの女狐が狡猾でね。全てを明らかにするのに時間が掛ったんだよ」
「女狐だか何だか知りませんが、わたくしのいないところでどうにかなったんなら、それでいいじゃありませんの!
わたくしもう平民ですわぁ! 関係ありませんわぁ!!」
「関係大有りだろう。君は僕の婚約者なんだから」
「王太子殿下のご婚約者などはなからわたくしには過ぎたものだったのですわぁ! だから今こそおさらばですわぁ!」
「……それは困るな? だって僕の最愛の人は君しかいないのだから。ねぇ? 聞いてる? ミーシェ?」
「聞こえません! 聞こえませんわっ!! って……えぇ?! 何故此方に?!」
そろそろ地面に着くだろうと思って伸ばした足は、虚しく中空を蹴りましたわ。
ふわりと腰を取られ、気づけば記憶の中で何度も思い出したあのお方の胸にすっぽりと収まっておりました。
「な、何故……入り口にいらしたのでは?」
食堂の窓から零れ落ちる光を受けて、紅く染まった瞳がギラギラと輝いております。
「どうせ君の事だから、素直に出てこないと思ってね。表を見張らせてたのは僕の従者。
案の定、窓から逃げ出したお姫様を捕まえるのは、王子様の役目だよ」
何せ僕、本物の王子様だしね。そう言ってにやりと微笑まれますが、目が冷えっ冷えなので恐怖すら感じますわぁ……。
「そ、そこまでしていただく価値のある女でございませんわ! わたくしは……ひゃぁん!!」
あられもない悲鳴が口を吐いて、思わず口元を手で押さえます。
それもこれも、王太子殿下の指が意味ありげにわたくしの腰の辺りを抑えている指を動かすからですわ!
王太子殿下の指に触れられたらわたくしはもう……。
「さ、触らないでくださいませぇ……」
くったりですわぁ……。
気持ちの良いツボを押された猫ですわぁ。
「僕にこんな身体にされてるのに、逃げ出すなんて、本当にミーシェはアホの子だよねぇ。
じゃ、行こうか」
何やらメチャクチャ悪口を言われた気もしますが、わたくしの身体をバランス良く支えながらも、怪しげに動く手に翻弄され、わたくしはくてりと王太子殿下の胸元に頬を寄せる事しかできませんでしたわ。
……言葉とは裏腹に、意外に速い殿下の心音が、何故だか心地よく思ってしまうのは……何故でしょうね?