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第3話

写真論入門  ~ 夢の青空 ~


いままつ




「どう~しよっかなぁ~……」


 わたしはソファの上でごろごろしながら雑誌を見ていた。かねてより、夏休みにどこかへ出かけたいと思っていたのだ。


 しかし、大学一年生の財布の中など、たかが知れている。だからいくら雑誌を読んだところで夢うつつにしかならない。


「いいなぁ~……」


 わたしはテーブルの上のスナック菓子を手に取った。最近お気に入りのビターチョコを使ったお菓子だ。ほんのりと口に広がる苦みがたまらない。


 雑誌を見ることを渋々諦め、トートバックから授業のテキストを引っ張り出した。わたしのバックは小宇宙のため、物を取り出すときは力が必要なのだ。


 テキストを開いた。特に課題などは出されていないが、どの授業でも予習は必要だ。ゆっくりでもいいから読み進めていく。


しかし――。


最近はどこかへ行きたいという欲求が強く、テキスト読みにも集中できない。今のわたしは、どうやら冷静ではいられないようだ。


「はぁ、誰かどっか連れてってくれないかなぁ?」


 自然とことばが漏れた。


「どっかって、どこだ?」


 驚いてみると、円先輩が見下ろしていた。


「キャッ!なんですか、いきなり」


「いきなりって、お前がなんなんだよ。ここは部室だぞ。自由すぎるだろ!」


 身長一九二センチメートルの円先輩が苛立たしげに言う。


 そう、ここは〈芸犯〉の部室である。芸犯とは〈芸術犯罪解決サークル〉の略で、構内で発生する芸術犯罪を解決することを目的とした部活である。部員は二人で、一人は四年生の石井拓哉先輩と、もう一人は、今わたしを見下ろしている同じく四年生の環円先輩である。


 わたしは静々と体を起こし、座り直した。確かに非部員のわたしがソファで寝っころがったり、お菓子をポリポリ食べたりしていい部屋ではない。


――― 郷に入れば、郷に従え ――――


 上手くできたことばだと思う。


「だいたいお前は、誰もいないからって勝手に使うな。いくら親しくなったからって、お前は部員じゃないんだぞ――――――」


 覚悟していたが、円先輩の説教が始まった。頭を垂れながら聞き流す。


 しばらくして、不意に説教が止まった。何事かと、少し眠くなっていた目を開いた。


 先輩はわたしを見ないようにか、首を直角に右に向けていた。


「その、そんなにこの部室が使いたいか?」


 うって変わって歯切れの悪い話し方である。


「そうですね。この部屋にいるとリラックスできますし」


 すると円先輩は立ち上がり、部屋の隅にあるラックから、B5版の用紙を取り出してきた。用紙には【部員登録用紙】と書かれている。


 先輩は、ソファに座るとまた右を向いた。まるでそっちにわたしがいるかのように。


「その、部員になれば、この部室は自由に使える。お前がよければだが」


「はぁ……」


 先輩の言いたいことは分かった。つまりは勧誘だ。このわたしを芸犯のメンバーとして迎え入れたいということだ。


 …………。


 わたしは用紙を前にしばし考えた。しばし考えたのだ。しばし。


しかし答えはすぐには出せなかった。それは、これまでの彼らの活動を見たから考えられるものだ。


もし、入学したての四月に、「このサークルに入れば、将来の就職にプラスになるよ」と言われれば、特にどんな活動をするのか、どのように活動するのかなどを気にせずに入ることができたのかもしれない。


しかし、芸犯は違う。スポーツや芸術活動ではない。やっていることは探偵や警察の捜査などのようなことである。聞き込みや真偽査定を行い、犯人を特定する。その行動力は素晴らしいものである。


わたしは一度(これは部活なのか?)と考えたことはあった。が、そのときは自分は蚊帳の外だと思い、それほど強く考えたりすることはなかった。


ところが、いま考えるときが来たのだ。


目の前のテーブルに置かれた用紙をじっと見る。見たところで文字が変わるわけではないのだが……。


時を刻む音だけが響く。


わたしは意を決した。用紙を手に取る。


「先輩、しばらく考えさせてください」


「…………そうか」


 先輩の声は力なかった。







「まっどか――!」


 先輩の名前を叫びながら部室に飛び込んできたのは拓哉先輩だ。先輩は何かいいことがあったのだろう。薬缶が沸騰したかのように部屋中を駆け回っている。


「……うるさい。なんだ?」


 円先輩と拓哉先輩の温度差が激しい。これは何かスパークが起きるかもしれない。


 拓哉先輩はそんなこと意に介さず、円先輩の隣に座った。


「なになに? 今日の円ちょっと暗くない? 元気、元気!元気出して」


 拓哉先輩は、そういいつつ笑顔で円先輩とわたしの顔を交互に見た。そしてハッとしたかと思うと、円先輩に耳打ちで、


「え……もしかして、ミホちゃんにフラれ――」


 瞬間的に円先輩の腕が伸び、拓哉先輩の口をわしづかみにした。そして、


「静かにしねぇと、どうなっか分かってるよなぁ」


「ハ、ハフィ……」


……聴いたこともない声だった。


 拓哉先輩の熱は一瞬で冷め、いや、むしろ冷め過ぎなぐらい元気がなくなっていた。


 見ていたわたしも体温が冷めた。


(なんだったんだろ? いまの――)




 気まずい雰囲気。




「と、ところで拓哉先輩。なんであんなに元気だったんですか?」


わたしは意を決して切り出した。この雰囲気に耐えられなかったのだ。


先輩は一枚の写真をポケットから出し、テーブルに置く。


わたしは写真を見る。


写真は、どこで撮られたのか平地で山はなく、青い空だけが果てしなく写されていた。


「この写真がどうしたんです?」


「実は、このあいだ県主催の写真展示会に出品したんだ」


 話を聞くと、県主催の写真展示会には誰でも出品でき、入賞作品には賞金が出るのだという。


「じゃあ、入賞したんですね。金賞ですか?」


 わたしは拓哉先輩に、なるべく輝きのある目線で、訊いた。


 拓哉先輩は、お手挙げというポーズを作った。


「残念ながら、佳作にもならなかった。ざんねーん!」


「じゃあ、なんで元気なんだ?」


 ようやく円先輩が口を開いた。


「よくぞ訊いてくださいました円くん。実は――」






 拓哉は写真展示会場にいた。


「はぁ」


 自分の写真を前に、佳作のリボンもつけられていないことに落ち込んだ。仕方がない。写されているのはただの青空なのだから。


『夢の青空 2020/7/25』


 それが拓哉の写真のタイトルだった。


 広い地平線に青く澄みきった空。空の彼方を飛ぶ鳥たち。拓哉にとって、風を感じる感動的な景色だった。


 いくつも写真を撮った拓哉は、意気揚々と写真を選定し、展示会に出品したのだ。


 しかし、結果はこれだ。無理もない。アマチュアの撮った風景写真は見向きもされなかったのだ。


 落ち込んでいてもしょうがない、と踵を返したとき、一人の男性から声を掛けられた。


「すみません。もしや『夢の青空』を撮られた方ですか?」


 拓哉は戸惑いつつも「はい」と答えた。


 男性は、日本人だがどこかヨーロッパ風の顔立ちをしていた。おそらくハーフなのだろう。清潔感のある仕立てのいい服装である。


「やはり、そうですか。わたし風景写真家を志しているアシルといいます。実はあなたの写真を見て、すごく感激したんです。あ、どうです?一緒にお茶でも」


 二人は近くのカフェに入った。拓哉はアイスカフェオレ、アシルはアイスコーヒーを注文した。


「はじめあなたの作品を見たとき、すごい衝撃を受けたんです。なんていうか、写真の中から風が吹いたっていうか。目の前に青々とした空が広がったんです。もう、自然ですよね。あなたの写真は、自然を捉えてる」


 アシルの熱弁に、自分が褒められているように感じ、恥ずかしく感じられた。


 すると、アシルが切り出した。


「実はお願いがあるんです。私はこれでも写真家を目指しています。そのための資料をいろいろと集めてるんです。それで、あなたの『夢の青空』も頂きたいと思ったんです。返事はいまでなくてもいいです」


 拓哉が考えていると、アシルはいった。


「ちなみに、これは内緒ですけど、この金額で買い取らせてください」






「一〇〇万円⁉」


 わたしは思いもよらない金額に声を出してしまった。


「でしょでしょ。びっくりでしょ!」


 拓哉先輩は自慢げである。その顔は明らかにバカにしている。あだ名は〈でくのぼう拓哉〉としよう。


 円先輩はしげしげと写真を見ていた。


「一〇〇万円ねぇ。この写真にそんな価値があるのか?」


 わたしも同じ思いだ。どう見ても空しか写っていないのだから。


 しかし、でくのぼう拓哉先輩は自信ありげだ。


「これだから素人たちは。見る人が見れば、おのずと価値はついてくるものだよ」


 むかつく。その鼻にかかった話し方はやめろ。


 見ると円先輩も般若のような顔をしている。


「オレに向かって〈素人〉だと? よし、わかった!その写真の価値を見定めてやろうじゃないか!」







 ガタンゴトン、ガタンゴトン……。


 電車に揺られること二時間。規則正しく続くリズムに意識が遠のいていく。


 この電車は埼玉県のある村へと向かっている。


「なんでお前がいるんだ?」


 隣に座る円先輩が尋ねてきた。先輩は登山道具一式と山登り用の軽装に身を包んでいる。


「なんでって、わたしも写真の真相を知りたくて。いけませんか?」


 そういうわたしは、小さなリュック一つに、ジーパンとポロシャツといった、すぐそこの動物園にでも出かけるかのようなスタイルだ。


「ふーん」


 そういうと先輩は、向かいの車窓から見える景色に目を戻した。


 わたしたちが乗っている電車には、ほとんど乗客は乗っていない。電車の振動音が無ければ、静かなものだろう。


「ところで先輩、あの写真の価値ってどれぐらいのものなんですか?」


 わたしは暇になったので訊いてみた。


 先輩は写真を取り出すと、しげしげと見ながら、「〇円だ」と言った。


「写真表現で重要なのは、被写体との黄金分割、コントラスト、構図の線などが挙げられる。


黄金分割とは、黄金比という。そう。『ミロのヴィーナス』の黄金比だ。へそから上を1、へそから下を一.六とした構図で、最も美しく見えるとされるプロポーションの比率だ。これは数学においても証明されている。実は日の丸もこれと同じような構図でな、全体の約1/3を赤い部分が占めている。写真にもこれを当てはめて、対象物を1/3、背景を2/3という比率で撮影するとよく映る。


次にコントラストだが、これについては絵画の授業でも習っただろう。例えば真昼の太陽が射すときの対象物の色や影などと、日が沈んだ後の対象物の色や影は驚くほど違う。これは、太陽の光が赤外線を含んでいるためで対象物が赤色に見えることが原因だ。しかし、反対に太陽が沈むと色調が薄れ、対象物の雰囲気も一気に変わる。


対象物の線も重要だ。特に植物や静物などではよく理解しなければならない。対象物は縦なのか横なのか、または斜めなのか。それに合わせ、カメラは縦なのか横なのか……。考えものだ。


ただし、これらの要素は対象物があってこそ成り立つものだ。対象物がないこの写真では、評価の使用がない。〈空〉は背景としては愛されるが、主役としての評価は低いからな」


わたしは先輩から写真を受け取り、しげしげと見た。


確かに、これといった対象物は写っていない。空だけである。


「でも、この写真、一〇〇万円の値が付いたじゃないですか」


 先輩は眉間にしわを寄せた。


「そう、それが怪しんだ」


 そういうと、先輩は指を二本立てた。


「疑問一、なぜこの写真に注目したのか。疑問二、なぜこの写真に一〇〇万という大金で買うといったのか。それをいまから調べるんだ」


 静がに電車は止まった。目的の駅に着いたのである。


 この村は拓哉先輩が写真を撮った丘のある村だ。写真をどこで撮ったのかなかなか白状しない先輩を、どうにかバター餅で釣って聞き出したのである。


 地図を頼りに歩き出す。どうやら市街地からかなり離れたところらしい。


 歩きながら、ふと訊いてみた。


「円先輩、拓哉先輩って、その、お金に困ってるんですか?」


「ん?なんでだ?」


先輩はこちらを見ずに応える。


「いえ、その、今回の一〇〇万を提示した人ってどう考えても怪しいじゃないですか。だいたい写真家の見習いでそんな大金持っている人いるのかなって・・・。ちょっと考えれば気が付くと思うんです。でも拓哉先輩は気づかなかった。ということは、なにかお金に逼迫しているんじゃないかなって……」


 道は田園地帯を進む。この時期は稲刈りが始まっていた。


 先輩は顔を正面に向けている。


「―—あいつの夢、知ってるか?」


 いつになく真剣な声である。


「い、いいえ」


「あいつの家はな、母と子供二人の母子家庭なんだ。上がお兄さんの徳也(とくや)さん、下が拓哉。兄弟は仲良くて、裕福じゃなかったけど幸せだったらしい」


 カーブミラーの道を渡った。車はほとんど通らない。


「しかし、徳也さんは高校に入ると不良グループに入ったらしい。そこで恐喝だったり窃盗だったり・・・、非行行動を起こしていたんだ。その中でも決定的だったのが覚せい剤の使用だった。徳也さんは逮捕され、覚せい剤を中断してからはその副作用に苦しむようになり、人が変わったかのように暮らしている。医学的には、覚せい剤の多量摂取による脳の委縮が原因らしい。精神的な活動に制限があるため、いまは、どこかの施設に入所してリハビリなどをしているらしい。お母さんは、その入所費を払うため、仕事を掛け持ちしている」


 思いがけない話になり、わたしはどう話を切り出したらいいのか分からなかった。あの明るい顔の下には、常に暗い顔が存在していたのだ。


「で、あいつの夢だけど、あいつは臨床美術士を目指しているんだ」


わたしもその資格については知っていた。臨床美術士とは、美術活動をとおして対象者の心理面を改善、サポートする人たちのことである。


「あいつは、自分の持てる力を使ってお兄さんを助けてあげたいと思っているんだ。そのために、いま猛勉強している。それに、知ってるか?うちの大学には学績優秀者は、その年の学費が無料になるっているのを。あいつ入学してから三年間、常に学績優秀者になっているんだ。母親に負担をかけないようにな」


 いつもの剽軽(ひょうきん)さはどこへいったのか。わたしは涙ぐんでいた。隠れたところで夢を追い続け、家庭にも負担をかけないよう頑張っている。もう、でくのぼう拓哉とは呼べない。


 わたしたちは地図に示された丘に登った。ほとんど雑木林の丘は人を立ち入らせないために生えているようなものだ。しかし、巨体の円先輩は、それこそ笹の茎などは根元から踏みつけて道を作っていく。わたしはその後に続くのみだ。


 拓けた、手入れのされているところに出た。時計を見ると一二時を過ぎている。空は青空。いい天気だ。


「先輩、休憩にしましょう」


 わたしは返事を待たずに座った。先輩は、まず荷物を置いてから腰を置く。


「いい天気ですね~。そうだ、ご飯食べましょう!」


 久々のピクニック気分にわたしのテンションはうなぎ登り。先輩の返事など待たない。


 わたしは弁当を取り出した。朝から力を込めて作ったおにぎり、卵焼き、コロッケ、エビチリ、肉団子。どれも絶品である。先輩はリュックをガサゴソ漁ると、コンビニの袋を取り出した。コロッケパンと焼きそばパンが先輩のランチのようだ。


 爽やかな風が吹く。


 時間がゆっくりと進んでいるように感じる。


 と、先輩がじーっとわたしを見ている。いや、弁当を狙っている。


「なんですか?」


「そのエビチリうまそうだな。くれ」


「えーっ、なんでですか?自分のコロッケパン食べててくださいよ」


「だめか?」


 なんだろう。今回の先輩は憂いを帯びている。この巨体は、その存在が威圧的なはずなのに。


「わかりましたよ。箸はありますか?」


「ない」


「えっ?」


「食べさせてくれ」


(え―――⁉)


 パニクッた。どゆこと?


「いいだろ。減るもんじゃないし」


 そういうと先輩は体を寄せてきた。


(仕方ない……)


わたしはエビチリを食べさせた。先輩はよく噛んで飲み込むと、


「ちゃんと生から作っているな。しかも下処理に黒こしょうを使ってる」と答えた。


 わたしはパッと気持ちが明るくなった。


「分かってくれます?たまに友達に分けてあげるんですけど誰も気づいてくれないんですよ! 先輩が初めてです」


「それだけじゃない。いつも作ってるケーキ類にはリキュールが使われてるし、クッキーの砂糖は黒砂糖が使われている」


 わたしは嬉しくなった。まさか先輩は神の舌を持つ男?


 わたしの中で先輩の評価が上がった。よし、ポセイドン円からユグドラシル円へと改名しよう。






 リーン、リーン、リーン……。


 遠くから鈴の音が聞こえる。その音を頼っていくと、一人の老人がいた。


 老人は突然現れたわたしたち、特に円先輩に驚いたようだ。腰を曲げながら先輩を見上げている。


 八二歳だという老人はこの丘の所有者で、いつも愛犬と散歩しているのだという。写真を見せると「ああ~……ここじゃねぇけ?ここだよ、ここ」と、丘から見える景色を指さした。


「ここの景色はすごくいいですね。とてもきれいです」


「んだよ。ここは、もうこの丘しかねぇから、あとは田んぼだれ、畑だれ、なんもね。家もねぇからな。いいんだぁここはぁ」


 確かに何もない。


「あの、この辺で何か変わった事などはありませんでしたか?」


 先輩が訊く。


 わたしが(何を訊くんだ)と思っていると、老人が「う~ん」と考えた。


「あれかの」


「あれとは?」


「たまにな、ここを散歩しているといるんじゃよ。変な輩が」


「変な輩?」


 わたしと先輩は視線を合わせた。


「ああ、変な輩じゃ。なんせ、畑の真ん中で空ばっかり見上げているでな。それも一人じゃのうて何人もじゃよ。まあ、だいたい五人くらいじゃがの」


「その人たちの特徴とかって覚えていますか?」


「あれは、そうじゃの、赤~いジャンバーを着ておった。全員がじゃ。だから最初見たときは、なんかの宗教活動をしているかと思ったんじゃ。ほれ、U、U……UFOじゃ。そうじゃ、それそれ。それを呼んでいるんじゃないかと思ったんじゃ」


 先輩は老人からその集団がいた畑の位置を教えてもらい、老人と別れた。






 畑に付くと周囲を見回した。


 畑には緑の草が生え、空には青い空が広がっている。何もなかった。


 しかし、円先輩は顎に手を当て、その場所をぐるぐるとまわっている。それから写真を取り出すと、写真を持った手を顔と共に上へと動かした。


 そのまま彫像になったかのように動かない。


 そして、動いたかと思うと、荷物を担いだ。


「ここでの調査は終わりだ。次に行くぞ」






 村を後にしたわたしたちは、図書館に向かった。


 図書館の四階では、県の写真コンクールが開かれている。


 コンクールが開催されて数日が経っているからであろう、人影はまばらだ。


 先輩は目的の写真を見つけた。


 拓哉先輩の写真は、わたしたちが受け取った写真をより拡大したものだった。


 写真のパネルにはコメントが添えられていた。




    『夢の青空 2020/7/25』


       この写真は埼玉県○○村で撮ったものです。太陽が昇り風が吹いている空を渡り鳥が羽を広げて飛んでいきます。とても自然豊かで素晴らしさを感じました。




 先輩はこの文章を読むと、さっさと階段を降りて行った。


 わたしが追い付くと、二階の図書検索スペースにいた。


「お前にも手伝ってもらいたい。この本を探してくれ」


 そういわれ渡されたメモには一冊の書名が書かれていた。


「あの、この本がなんの役に?」


「まぁ、そのうち分かることだ」


(なんだよ、いま教えてくれてもいいじゃん!)


 そう思ったが、言ったところでへそは曲げないだろう。それが円先輩だ。


 十分ほどして本を見つけることができた。


 先輩を探すと、インターネットコーナーにいた。なにか調べ物をしたらしい。


「ああ、ありがとう」


わたしに電気が走った。……先輩に褒められた。素直なとこがあるんだ、と率直に感心した。


 先輩はわたしから受け取った本をめくり、いくつかの情報をメモすると、本を閉じた。


 そして、わたしを見た。


「この事件を解決しよう」







 カフェの奥の席にセシルは座っていた。今日はスーツに身を包んでいる。


「すいません、遅くなりまして」拓哉先輩は謝りながら席に着く。


「そんなことはありません。わたしも、つい先ほど来たばかりですから」


 セシルは落ち着いた声で対応する。


「ところで」


 セシルは、さっそく本題を切り出す。


「写真と写真のデータは持ってこられましたか?」


「はい、この封筒に入っています」


 拓哉先輩がA4封筒をテーブルに置く。セシルが素早く、しかし静かに封筒を受け取り中身を確認する。中には展示会で展示した写真とデータディスクが入っている。


「ありがとうございます。これでわたしの制作活動もはかどると思います」


 セシルは安堵の表情を浮かべる。


 そのときだ。


「ちょっと待ってください」


 そういって、わたしと円先輩は二人の席へと赴いた。




「誰ですか?あなた方は」


 セシルが不信をあらわにした。それも仕方がない。そこにいるのは身長一九二㎝もある大男なのだから。


「その取引、少々お待ちください。まずは、この取引に隠された謎を解きたいと思います」


「な、謎? 謎などないぞ」


 セシルの滑舌が悪くなる。


「いえ、この取引には重大な謎が隠れています。では、はじめにこの写真の謎から解きましょう」


 円先輩は封筒から展示会で使った写真を取り出した。


 どこにでもある空の写真。これがどうしたというのか。


「円先輩、この写真がどうしたんですか?」


「通常、写真とはそこに何かメインとなるものが写っているからこそ評価され、価値が生まれるものだ。では、この写真ではどうだ?」


「……」


「空ですね。空しか見えません」


「お前、いま自分で答えを言ったぞ」


「え?」


「そう、この写真は空が写っているからこそ、この人は欲しがったんだよ。なぜなら、この空にはある物が写りこんでいるんだからな」


 セシルは押し黙っている。しかし、その手は力強く握られていた。


「この空に何が?」


 わたしは写真に目を近づけた。そして、写真の右上近くに黒い点のようなものが見えた。


「これ……鳥?」


 円先輩は首を振る。


「いや、それは人だ」


「人⁉」


 わたしは一瞬でわけがわからなくなった。なんで人が?


「写真に写るこのサイズの鳥は、拓哉がパネルに書いていた渡り鳥が考えられるが、そもそも夏に日本には渡り鳥はいない。おそらくスカイダイビングだろう。上空から落ちてきたところを撮ってしまったんだ」


 そういうと、円先輩は持っていたノートパソコンを開いた。画面には拓哉先輩の写真が写っている。


「拓哉のパソコンからデータを拝借した。すまん」


 なにーっという拓哉先輩をよそに円先輩は続ける。


「この、鳥をズームしていきます」


 鳥はどんどん大きくなっていく。しかし、その色は――。


「赤?」


 鳥の翼は真っ赤なパラシュートであることが見て取れた。パラシュートには何やら文字が見える。


「でもなんであんな村でスカイダイビングなんか」


 円先輩はセシルを見た。体が小刻みに震えている。


「おそらく航空法第九十条だ」


「は?」わたしは変な声を出してしまった。


「航空法第九十条では、飛行機からのパラシュート降下を行う際には国土交通大臣の許可が必要と定められている。おそらくその許可を得ていないんだ。それから、あの村を選んだのは、開けた土地の割に畑しかなく、高圧電線なども設置されていなかったからだ。よく見つけたものだ」


 セシルは、ことばでも飲みこむかのように水を一口飲んだ。


「で、今回の全体の謎だが、まず拓哉が写真を撮る。それを展示会に来ていたあんたがたまたま見る。パネルには詳細にいつ、どこで、どのように撮影されたのかが書いていた。この写真を見る人が見ればスカイダイビング中だということは分かってしまう。しかも違法なね。そこで、あなたは撮影者を特定して写真をデータごと買い取ることにした。それも破格の値段で。そうでしょ、スカイダイビング・カンパニーの麻生雅夫社長」


 全員がセシル――いや、麻生を見た。


 麻生は顔を上げた。その顔は憔悴しきっている。


「よくわたしのことが分かったな」


「ネットで〈格安のスカイダイビング〉って検索したら一発で出た。それにパラシュートに書いてある文字〈SDC〉は〈スカイダイビング・カンパニー〉のこと。そのうえ会社代表として写真まで出してるんだからな。堂々としてるよ」


 麻生は窓の外の人混みを眺めた。そして深く溜息をつき立ち上がった。


「わたしは、これで失礼するよ」


「え? 写真は?」


「遅かれ早かれ私の会社に警察がやってくることは分かってたんだ。無駄なあがきは止めるよ」


 そういうと、麻生は拓哉先輩を見た。


「でもな、青年。私は、これでも写真愛好家として二十年を過ごしてきた。その審美眼をもってして、君の写真は素晴らしいと思った。なんの対象物でもない〈空〉を捉えるのは一筋縄ではいかない。それこそ〈夢の青空〉なんだ。・・・写真をこれからも取りたまえ」


 そういうと麻生は踵を返し、カフェを出ていった。







   航空法違反により送検された麻生雅夫被告の供述によると、これまで埼玉県○○村上空での無許可のスカイダイビングを数十回繰り返していたもよう。そのさい着地点となる畑の所有者にも口利きをしていたようで、県警は他の社員と共に、この土地の所有者についても書類送検する方針を固めたもようです。




「―—一〇〇万円……」


テレビにかじりつき、いまにも泣き出しそうな拓哉先輩はわたしの存在にも気づかずお茶も淹れてくれない。


円先輩はそんな拓哉先輩などいないにも等しいぐらいに無視している。


「ま、しょうがないか」


 わたしは勝手にお茶を淹れ、テーブルに置く。


「拓哉先輩、元気出してください。じゃ~ん、ケーキ焼いてきたんです」


「うわぁ~ん、ミホちゃんだけだ!ぼくを慰めてくれるのは」


 拓哉先輩が抱きついてきた。


 が、一瞬で引きはがされる。


「……お前、死にてぇのか? あぁ?」


「イ、  イエ……」


 拓哉先輩は静かにソファに座った。円先輩も隣に座る。


「じゃ~ん、イチジクのタルトです!」


 箱を開けた瞬間に甘い香りが広がった。


 スイーツ男子には堪らないらしい。サッサッと切り分ける。


「お、おいしいよ! ミホちゃん」


「確かにうまい!」


「ありがとうございます。腕にのりをかけたんですよ」


 ホールで持ってきたタルトはきれいになくなった。


 甘いものの後のお茶はうまい。


「あ、そうだ……」


 わたしは思いだし、トートバックから一枚の紙を出した。


「円先輩。これ」


 先輩に紙を渡す。


「これって……」


 紙には【部員登録用紙】と書かれていた。


「はい。わたしも微力ながら芸犯に入りたいと思いまして。だめですか?」


 円先輩は首を右にひねった。


「い、いや。その、誘ったのはこっちだからな。入ってくれて、う、嬉しいよ」


 拓哉先輩は沸騰中だ。


「やったー!ミホちゃんが入ってくれた。やった、やった!」


 わたしは笑った。やはり拓哉先輩は明るくなければ。


 そのとき、ふと思った。


「あの、先輩たちって四年生ですよね」


「? そうだが?」


「じゃぁ、もう卒業ですよね?卒業した後は私一人ですか⁉」


 先輩たちは顔を見合わせた。


「大丈夫だ。オレも拓哉も大学院に進学するからこのままだ」


「そ、そうなんですね。安心した」


 心強い二人がいなければ、いまのところ何の才もないわたしにはできることはない。これから力をつけていく決心をした。


 こうして、わたしの芸犯としての第一歩が始まったのだ。




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