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第6話

造園基礎演習 ~庭園の守り人~


いままつ



「おつかれさまでーす」


 わたしは部室のドアを勢いよく蹴り開けた。なにせ、手には今日のデザートのキャラメルプリンや抹茶プリンを抱えているのだから。


 しかし、普通は新入部員の一年生がこんな入り方をしたら先輩部員に怒られそうなものである。が、わたしの場合、このデザートづくりの腕でそんな法則を捻じ曲げてしまっている。つまりは、私はこの部活内で反発する者などいない独裁国家を作りあげたのだ。笑いが止まらない。


「? あれ? 誰もいませんか?」


 部室はがらんどうだった。いつもなら円先輩が本を読んでいるのに。


ガチャ。


部室の片隅にあった、どこへ続いているのか分からないドアが開いた。でてきたのは拓哉先輩だ。


「お! ミホちゃん、ちっすー」


 相変わらず軽い挨拶をする。そんな先輩は埃だらけだ。


 ここは〈芸犯〉の部室だ。芸犯とは〈芸術犯罪解決サークル〉の略で、構内で発生する芸術犯罪に太刀打ちするために発足した部活である。とはいっても、その大変さから、部員はわたし大地(だいち)字(じ)ミホと石井(いしい)拓哉(たくや)先輩、環円(たまきまどか)先輩の三名だけである。


「セ、先輩! すごい埃じゃないですか!こっち来ないでください」


「え⁉ そ、そんな」


 拓哉先輩はショックのあまり崩れ落ちそうになる。


 わたしは近くにあったコロコロを手渡し、身をひそめる。先輩はめんどくさいのか、着ていた黄色いTシャツを脱いでコロコロをかける。


「ああ・・」


 わたしは以前行った美術解剖学のデッサンの時を思い出した。あのときモデルを努めたのは円先輩だが、そのとき拓哉先輩は「オレの体は見せるためにはできてないから」と言っていた。こうして見ると、先輩の体は無駄のない引き締まり方をしている。が、強いて言えば筋肉もない、鞭のような体だ。無理をしてでも筋肉マッチョの円先輩にお願いして良かったと思う。


「そういえば、今日は早いね、ミホちゃん。授業は?」


先輩はコロコロのかけ終わったTシャツを着ながら訊いてきた。


「なんか先生たちが風邪らしくて、午前で終わったんです。で、家から今日のデザートを持ってきて冷蔵庫に入れようと思って」


 わたしは紙箱を二つ冷蔵庫に押し込む。うむ、ぎりぎり入った。


「ありがとう!今日もバリバリ頑張れるぅ!」


「そういえば先輩は何してたんですか?」


 わたしは尋ねた。


「ああ、この奥の資料室に保管されてる本を取ろうとしたんだけど、埃がすごくて無理!円にやらせよう」


「そういえば、円先輩いませんね」


 わたしは周囲を見回した。一応床や天井も。


「いまゼミに行ってるよ。種田ゼミ」


「え⁉円先輩って種田先生のゼミなんですか?」


「そうだよ~」


 種田先生は円先輩や拓哉先輩が所属する芸術心理学科の教授だ。なぜかは知らないが、この大学全体に彼の息がかかっているようで、芸犯の活動に彼の一声がかかると、大抵のことはまかり通ってしまう。恐ろしい。


「種田ゼミはそっとやちょっとじゃ単位をくれないぐらい難しいんだけど、円なら大丈夫でしょ」


「へぇ~、そういえば、拓哉先輩に訊きたいんですけど、いいですかね?」


「なに?どんなこと?」


「円先輩のこと」


 拓哉先輩は、一度宙を見た。


「いいよ。どんなことでも」


「あの~、円先輩って、いままで彼女いました?」


 拓哉先輩は噴出した。むせ返る先輩は、手で「待て」と伝えてくる。


 三〇秒後、ようやく先輩は正気に戻った。


「な、なんでそんなことキクノカナ」


 話し方がおかしい。明らかに笑いをこらえている。


「この間なんですけど、お礼にカフェに行こう、って誘われたんですよ。でも、誘い方にいまいちアクセントがないし、なんか挙動不審で場馴れしてないって感じで・・・。で、カフェに行っても黙り込んじゃうし。それで思ったのがさっきの質問です」


 拓哉先輩は腕を組んでウンウンと頷いている。しかし、その口はまるで開口一番に笑い出しそうなほどひん曲がっている。


 しばらくすると、拓哉先輩は語り出した。


「オレと円は中学校以来の仲でさ。ほら、オレたち背が高いから、目立っちゃって。中学校で、もうお互い一八〇㎝はあったかな?で、まぁ女の子たちの的にもなったのさ。でも円はあの性格だし、スポーツ系の部活は掛け持ちするから、どっちかっつと付き合う前に女の子の方から去っていっちゃう感じかな」


「そうなんですね」


 一応先輩なりに頑張って誘ってくれたのだと感じた。


「でも、誘い慣れしてないにも程があるだろ!あの身長で、マッチョで、それ?ウケるんですけど!ウッヒャッヒャッヒャッヒャ・・・」


 そのとき、ドアが音を立てずに開いた。これは、殺気!


 拓哉先輩が固まる。


 見ると体中を震わせ、背中から湯気を立たせる赤鬼が立っていた。まるで秋田のなまはげのように。


 赤鬼は一歩一歩静かに近づく。


 その場の誰もが動けない。


 部室内は恐怖に包まれ、音さえも聞こえない。


 赤鬼はソファに座る拓哉先輩を見下ろした。


「・・・お前、死ぬ覚悟があるんだろうな・・・」


 まるで地獄の魔王の声である。腹の底から響いてくる。


 拓哉先輩はどうにか首を横に振った。


 すると鬼は、ほぼ同じ身長である拓哉先輩の胸ぐらをつかむと、片腕で軽々と持ち上げ、首を振り続ける無抵抗の拓哉先輩に、


「・・・いや、お前は死ぬべきだ。いいよなぁ・・・」


と囁き、そのまま床に拳ともども殴りつけた。


 拓哉先輩は倒れ、床にはひびが入り、校舎には振動が伝わった。


 呆気にとられるわたしに円先輩は、


「おい」


「は、はい⁉」


「すまんがタオルを絞って持ってきてくれ」


と、言い、いま自分で倒した拓哉先輩をソファに寝かせた。






「あの、すみません」


 わたしたちが床にできた大きなヒビをどうするか考えていると、二人の男女が訪ねてきた。


 二人は作業着姿だ。


 わたしたちは、とりあえず拓哉先輩の寝ているソファをどかし、別のイスを用意して座らせた。お茶うけは、わたし特製のキャラメルプリンだ。


 自己紹介で、男性が阿部、女性が吉川と名乗った。


「わたしたち、造園学科の四年生で、稲刈ゼミに所属しています。実は最近、奇妙な事件が起きているんです」


「その事件とは?」


 吉川の話によると、造園学科が管理する庭園が、何者かに掘り返されるという事件が四件発生しているという。


「その度に稲刈先生が穴を埋めるんですが、先生お気に入りの庭園でそんなことが起きていると不憫で・・・」


 二人はしんみりと落ち込んでいる。


 部室の空気の質はさっきとは大違いだ。地獄の魔王よりも、こちらのほうが人間味がある。


「わかりました。一度、その問題の庭園を見せてもらってもいいですか?」


 先ほどとはうって変わって、優しい声で円先輩が尋ねた。


 二人は「はい」というと、一足早く部室を後にした。


 二人が去ると、円先輩は拓哉先輩を見つめ、


「う~ん、まぁ、このままでもいいだろう」


 と、わたしを引き連れて部室を後にした。







造園学科の校舎は東に位置し、その校舎から見て南側に広大な拓けた土地がある。ここに造園学科の庭園が造られていた。


「うわー、すごいですね」


 そこはさまざまな草花で色取られていた。九月だから秋の花が咲き誇っているのだろう。ここを吹く風は、一段と気持ちよく感じられた。


 庭園の端に造られた高台の道を歩いていく。見ると、庭園は高台の下、四角形に区切られた土地に木々や花、岩などを置いて作られているのが分かる。その庭園がいくつもマス目状に配置されて落ち、これはこれで一つの美しさを感じさせる。


歩いていると、『造園基礎演習場』と書かれた立て看板があり、そこに、先ほど訪ねてきた阿部が立っていた。


阿部はいたって地味な眼鏡をかけている青年だ。だが、造園学科のためか体が鍛えられているのが分かる。拓哉先輩では太刀打ちできないだろう。


 阿部はわたしたちに気付くと駆け寄ってきた。


「いま吉川が稲刈教授を呼びに行っています。先に庭園を案内しますので、ついてきてください」


 阿部の後をついていく。奥へ奥へ、ある一角に入っていく。


「ここは?」


「ここは、稲刈先生の庭園です」


 そこは一番奥にある一〇m四方の庭園だった。学校をとりまく木々が日を遮り、あまり植物の生育には適さないであろう土地だ。しかし、見たところ雑草は生えていないし、植樹されている木々の枝の乱れもない。金木犀や銀木犀などの木の花が咲いていて華やかだ。特に庭園全体をピンクのコスモスが覆い尽くさんばかり咲いている。


「ここが、稲刈教授の庭園ですか」


「はい、そうです。で、問題なのが、こちらです」


 阿部は庭園の中を、わたしたちを引き連れて歩く。


「ここです」


 示されたところは、土の色が濃い茶色になっているのが分かった。掘り返された跡だ。


「これは、いつこうなっているのが分かったんですか?」


 阿部は暗い顔になった。


「いえ、僕たちも、つい最近になって知ったんです。たまたまこの付近を通ったときに稲刈先生が土を戻していて。「どうしたんですか?」と訊いたら、今回の問題が起きていることを知ったんです」


 そのとき、遠くから女性と、一人の男性が近づいてきた。女性は先ほどの吉川ということが分かった。


「あ、環さん、大地字さん。こちらが稲刈教授です」


 紹介を受けた稲刈教授は五十歳以上だろう。白いひげを蓄え、お腹がポッコリと出ている。見た目はちょっとしたオッチャンだ。


「環くんに大地字さんだね。種田教授から常々話は伺っていたよ。今回はよろしくお願いするよ」


 種田先生の息はやはり大学全体に広まっているようだ。


 円先輩は、いつもの要領で情報を訊いていく。


 始めに事件に気付いたのはいつか。


 これまで何回ぐらい事件は起きたか。


 不審な者を見たり、思い当たる節はないか。


 ・・・・・・・・・・・・・・。




 稲刈教授の話からは、特に不審な点は見受けられなかった。


 部室で吉川と阿部が話した内容を、そのまま繰り返す形であった。


 ふと、わたしは稲刈教授が悲しげな表情をしているのが気になった。


「あの、稲刈教授。なにかあったんですか?」


 わたしは訊いてみた。


「? どうしてだい?」


「いえ、なんか、こう、教授の顔がちょっと悲しそうだったんで」


 教授は、ふっと、息をつくと遠くを見た。


「いや、なんでもないさ。ただ、形ある物は、いつか壊れてしまうんだ。・・・そのことに、ちょっと悲しくなっちゃったかな」


 そういうと、教授は、穴があった場所に屈み、萎れているものを拾った。


「このコスモスもそう。いつかは散ってしまう。それか、今回のように、誰かに踏みつけられて萎れてしまう。


 園芸が草木や花、岩や大地を用いた〈生きた〉芸術である以上、いつかは滅んでしまう運命をたどる。これは、他の芸術よりも短い運命さ。だからこそ、園芸は命の輝きを表現しなければならない。このコスモスの一生のように」


 稲刈教授は、そういうと、そっとコスモスを地面に置いた。






 稲刈教授は、会議があると言って一足先に帰っていった。


 先輩は庭園をうろうろと見て回っている。


 わたしは、先ほどの稲刈教授の悲しげな顔について、阿部に訊いてみた。


「それは多分、この庭園がもともと稲刈教授の奥さんのものだったからだよ」


「え? 奥さんのものって、どういうことなんですか?」


 阿部は一応周囲を見回してから、語った。


「稲刈教授と教授の奥さんは、もともと別の大学にいたんだ。でも、結婚を機に奥さんがこの大学に移った。奥さんも園芸関係の講義を持っていたこともあって、自分の庭園を学生への見本として作ったんだ。だけど、一五年前だったかな。奥さんが交通事故で亡くなったんだ。稲刈教授はそれは悲しんだらしい。でも、この大学に奥さんが作った庭園があると聞いて、前いた大学を辞めて移ったんだ。それからこの庭園を守っている。だから、もう一五年以上は、この庭園は形を変えていないんだ」


 わたしは庭園を見た。いくつもの花が咲き、一つ一つの木々の位置にも品格を感じるこの庭園には、深い悲しみが刻まれていたのだ。


「あ、でもね、」


 阿部が指を指した。そこにはピンクのコスモスがあった。


「あのコスモスだけは違うらしい。教授がこの大学に来てから種を蒔いたんだ。なんでも奥さんの好きな花だったらしい」


 わたしは愛を感じた。


 奥さんの庭園を守りつつ、奥さんの好きだった花を植えた。


 女性としては嬉しさの極みだろう。


 しかし、今回の事件では、そのコスモスさえも踏みにじられている。なんということだろう・・・。


 わたしが感傷に浸っていると、いつの間にか円先輩がわたしの顔を、じーっと覗きこんでいる。


「? なんですか?」


「いや。なんでもない」


「いえ、何かあると思いますが・・・」


 先輩は、ふうっと、息をすると、


「その、やっぱ女性は花が好きなのか?」


 わたしは首をかしげた。


「それは、そうですね。花は女性の象徴のようなものですから。特に女性が好きな花を大切にしてくれたら、まるで自分を大切にしてくれているかのように思いますね」


 わたしは想像の世界に浸っていた。女生と花は切っても切れないのだ。


「じゃぁ、その、お前の好きな花って、なんだ?」


 突然の先輩からの質問に、わたしは面食らった。


 ―――わたしの好きな花?


 考えるわたし。いや、出てくるわけない。これまでのわたしの趣向の中に〈花〉というジャンルはなかったのだから・・・。


「わ、わたしは色で決めてるんです」


 苦し紛れだ。


「ほう。じゃぁ、好きな色は?」


珍しく追い詰められる。


「し、しろ・・・い、いや・・あ、あか、赤です!」


 わたしは、どうにか答えを導き出した。


「・・・わかった、赤だな」


 先輩は何かに納得したようだ。






 庭園での調査をひとまず終え、もう一度稲刈教授から話を聞くべく、園芸科校舎に入った。


 稲刈教授は、まだ会議中なのか部屋にはいなかった。


 四人で考えあぐねいていると、廊下の奥から一人の男性が近づいてきた。


「おー、誰かと思えば阿部くんじゃないか。どうしたんだ?こんなところで」


「あれ? 大山根先輩じゃないですか。お久しぶりです。先輩こそどうしたんですか? 今日来る予定でしたっけ?」


 大山根と呼ばれた男性はわたしたちに律儀に会釈した。が、どう見ても大学生には見えない。


「紹介します。こちら大学のOBで、現在、井畑氏造園会社に勤めている大山根雄太さんです。十年ほど前に稲刈教授のゼミだった会いました。気さくな方です」


 大山根は、ザ・土木という感じの雰囲気を醸している。しかし、その物腰は柔らかだ。


「あー、やっぱ予約入れないとだめか。そろそろあの時期だから先生に伝えに来たのに」


「と、いうと?」


 円先輩が前に出る。


「ああ、これさ」


 そういうと大山根は一冊の本を出した。表紙には『Memory』と書いてある。


 手渡された先輩は、本を開いた。


そこには大小さまざまなたくさんの写真が載っていた。どうやら卒業アルバムだったようだ。


ページをめくっていく。と、


「ストップ!」


 大山根が円先輩の手を止めた。そのページの、一枚の写真を指さす。


「オレの世代が卒業してから、今年で十年目なんだ。そこで、このタイムカプセルを掘り起こす計画でいるんだ」


「なるほど」


 先輩の目が光った。


「それでは、事件を解決しましょう」







わたしたちは『土木資料管理室』にいる。ここは建築学科や造園学科における土木や地図、設計図の管理などを行っている資料室だ。


この部署は谷崎という四十代の男性が一人で管理していた。


「すみません。十年前の造園学科の庭園の設計図を貸してください」


 谷崎は二分ほどで資料を探し、手渡してきた。と、




「犯人はあなたですね」


 先輩が鋭く突いた。






 その場は静まり返った。


 その空気を打ち破ったのは谷崎だった。


「な、なんですか、きみ。いきなり何を言うのかね!」


「すみません。唐突すぎましたね。では順を追って説明しましょう」


 そういうと、先輩はその場で円を描くように歩き始めた。


「今回、庭園が掘り返されるという事件が多発して事件が発覚するのですが、この事件のもともとは十年前に遡るのです」


 全員が首をかしげる。


「十年前、この大学で何があったか誰か知っていますか?」


 学生は「?」という表情だったが、大山根だけは「あ~!」とアクションを返した。


 谷崎の顔は青くなっている。


「図書館の新聞のコピーだ。読んでみろ」


 手渡されたコピーに目を通す。


「『大学の信用失墜!大横領 犯人逃がす』学生から集めた学費、およそ一億円が横領されているのが分かった。しかし、大学側は横領犯人の目星をつけることができなかった。・・・・・」


 わたしは円先輩を見た。


「そう。十年前にこの大学で起こった事件、それは多額の横領だ。事件は発覚するも、犯人は闇の中に消えた。表舞台ではな・・・」


 含みを持たせた言い方だ。


「しかし、裏では、大学は犯人に目星をつけていた。それがあんただ、谷崎さん」


 谷崎は、なおも青くなる顔で抵抗した。


「な、なにを根拠に」


「根拠は、これかな・・」


 先輩は一枚の紙を見せた。


「? なんですか、それは?」


 わたしは訊いた。


「これは、十年前の、職員の配置換え表です。先ほど人事課からいただいてきました」


 種田先生の息は、大学の中枢にも伝わっていたらしい。


「配置換え表?」


「ああ。この大学では、基本的に四月一日をもって職員の配置換えが行われる。しかし、あんたはどうだ、谷崎さん?」


 表を見る。


 谷崎だけ四月一日ではなく、七月二二日の変更となっている。


「おそらく、大学は業務内容や勤務態度、そのほか家庭事情などもいろいろひっくるめて調べつくし、あんたの犯行だと確信した。しかし、なにも証拠が出てこない。このままでは大学の信用が落ちるばかりだ。考えに考えた大学は、あんたを訴えることを辞め、あんたを、当時の経理課から別の部署に即刻異動させることにした。大学の名誉を守るためにね」


 先輩は目の前の谷崎を見た。しかし、彼はまだ不敵な笑みを浮かべている。


「ちょっと待ってくださいよ。確かにわたしは十年前に横領の罪を着せたれそうになりました。でも証拠はありませんでした。証拠なんてないんです。わたしは犯人じゃないんだから!」


「いや、あんたが犯人だ」


 円先輩は冷徹に言った。そして、


「これが証拠だ」


 そういうと、わたしに持っていたロール紙を渡した。


 谷崎はいまにも崩れ落ちそうな表情だ。


「大山根さんが見せてくれたタイムカプセルの写真が十年前だと言いました」


 その場の全員の顔が、困惑から閃きに変わった。事件の流れが分かったのだ。


「そう。この人は、十年前のタイムカプセルに横領の証拠を隠したんだよ。そして、学生たちが埋めるのを確認したまでは良かった。しかし、十年の歳月が、あんたからカプセルを埋めた場所の記憶をかき消してしまった。カプセルが掘り返されることを知ったあんたは慌てた。そう、先に掘り起こして横領の証拠を奪わなければならないからな。だが、造園学科の庭園は広いうえに、毎年の授業で配置も変わる。やみくもに探しても埒があかないと思ったあんたは、十年前の、この庭園地図を取り出して探すことにした」


 わたしは地図を見た。様々な記号が並んでおり、素人が見てもちんぷんかんぷんである。


「でも残念かな。地図を見るのが素人のあんたが、この地図をみてカプセルを探し当てられるわけがない。それは掘りはじめたあんたが一番に実感したはずさ。まあ、証拠が必要なら、すぐにでも掘り起こしましょう。あんたの横領の証拠を!」


 先輩はことばを切った。


 谷崎は資料の入った戸棚に背を預けると、そのまま力なく崩れた。


「最初は、ちょっとした軽はずみだったんだ・・・」


 谷崎は力なく語り出した。


「借金を返すために、少し借りるつもりだった。でも、そのうちにギャンブルにはまってしまって・・・」


 よくあるパターンである。そして罪に入っている人は五万といるだろう。同情の余地はない。


「でもオレ、いつか返す思いは持っていたんだよ。で、ちゃんと帳簿を作っていたんだ。・・・でもね、それが足を引っ張っちゃって」


「その帳簿が証拠なんですね」


 谷崎が頷く。


 なるほど。USBメモリなどに入れれば、いとも簡単にカプセルに入れることができるだろう。


「埋めているところがどこかわからなくてね。夜な夜な掘り起こし作業さ。まずは端からと思ってやってたけど、木は多いし岩は邪魔だし、やりずらいったらありゃしないさ」


 わたしはイラッときた。こいつは自分の立場が分かっているのか?


 谷崎は笑っている。


「コスモスなんて、ほんとに迷惑だったよ。踏んでもまた起き上がるんだもん。スコップで切ったり、めためたに踏みつけないといけなくて、ほんと二度でま・・・・」




ドンッ!




 一瞬何かの爆発音だと思った。全員がその場で目を閉じた。しかし、目を開いてみると、先輩が机に拳を乗せていた。机の天板はきれいに割れていた。


 先輩は谷崎によると、その胸ぐらをつかんで一気に持ち上げた。谷崎はパニックである。


「よく聴け! あんたは芸術家ではない。だから、あの庭園に込められた想いや願いなんかも分からないかもしれない。だがな、生きた芸術である庭園だからこそ感じ取ってほしいものが、そこにはあるんだ。コスモスだってそうだ。人から見たら、ただの貧弱な花かも知れない。確かに貧弱さ。本来なら庭園には向かない花だ。だがな、その弱さの中に込めてる命の強さ。それは人を感動させるものがある。花を咲かせ、タネを作り、次の年にまたきれいな花を咲かす。その巡るめく美しさだ。それがわからないあんたに、庭園だったり、コスモスだったりを語る資格はない!」


 今までにない権幕だ。わたしは拓哉先輩のように殴りつけるものだと思った。しかし違かった。先輩はその場で手を放した。


 谷崎の顔は恐怖に染まり、その場に蹲った。


 先輩はみんなをその場に残し、一人廊下に出ていく。


 わたしは追う。と、部屋の入り口で稲刈教授と会った。どうやら一部始終を見ていたらしい。会釈をすると、にこやかに送り出してくれた。


 先輩は階段下にいた。


「せん―――」


 わたしは息を呑んだ。壁を向いている先輩は、泣いていた。


 静かに、しかし、鼻をすする音がする。


 わたしは、少し離れたところから見守るしかできなかった。






 翌日、掘り起こされたタイムカプセルから、一本のUSBメモリが発見された。


 メモリには、案の定、谷崎の作成した横領に関する資料が入っていた。


 大学はこの資料を基に谷崎を訴え、谷崎は逮捕された。







「おつかれさまでーす」


 わたしは勢いよくドアを蹴り上げた。今日はシュークリームを作って持ってきたからだ。


「お、お前、ちょっとは静かに入ってこれないのか?」


 おっと、今日は円先輩がいた。危ない、危ない。


「すみません。先輩の大好物のシュークリーム持ってきたので・・・」


「・・・・しかたないな」


 ――――ちょろいもんよ。


「えー、シュークリームなの⁉やった!」


 お茶を沸かしていたのだろう。流しで拓哉先輩がフィーバーしている。


 拓哉先輩は、殴られたところまでは記憶はあったが、そのあとは、やはり気を失っていたらしい。起きたときには誰もいなくてさびしく、そのまま一人で帰ったという。


・・・・・・・・悲しすぎる!


 ちょっとは労わってやらないと、いつか、〈ただ何となくかわいそうな人〉になってしまいそうで怖い。


 しかし、あの出来事で円先輩に恐怖を感じているのかというと、そんなことはなく、いつものように「まっどっかー!」と声をかけている。


 そして、その時の傷跡である床のひび割れは、円先輩がどこかからか持ってきたカーペットによってきれいに隠されている。まあ、原因の張本人なのでしかたないのだが。


 わたしはテーブルにシュークリームを二つずつ置いた。一つはカスタードクリーム、もう一つはマロンクリームだ。


 ソファに並んで座る二人は可愛らしい小学生のようだ。その巨体がイメージとのギャップを作るだけで。


「いただきまーす」


「召し上がれ」


 二人は、一口でシュークリームの半分を口に含んだ。


「お、お、お、・・・」


 拓哉先輩が何か言いたげだ。


「う、う、う、・・・」


 円先輩も何か言いたげだ。


 どうでもいいが、早く言え!


「おいしー!」


「うまい!」


 来た!賛美の声だ!わたしはこのためにデザートを作っているのだ。


 二人はモグモグと頬張っていく。


「そういえば、円先輩、聞きました?あの話・・・」


「? 話って?」


「あの、稲刈教授の庭園の話です」


「ああ・・・あれから、教授もいろいろ考えたんだろう」






     ―――「ええ⁉教授の庭園なくなるんですか!」


         わたしはあまりのことに大声を出してしまった。


教授の庭園・・・つまり奥さんとの思い出の庭園がなくなるのだ。


     ―――「ああ、そう決めたんだ。環くんに教えられたよ」


     ―――「先輩に?」


     ―――「うむ。〈庭園は生きた芸術〉さ。生きている以上、そこには変化していく定めというものがある。それは植物の成長という部類ではない。社会的・心理的・環境的に変わる必要がある。それに・・・」


         教授は花瓶に生けられたコスモスを見た。


     ―――「コスモスは花を咲かせ、種を蒔き、また花を咲かせる。そうして、躍動してその生涯を生きる。しかし、あの庭園をどうだい? きれいに整備したとしても、生きる力、躍動感がないのだよ。」


         教授は優しい顔のまま語る。


     ―――「わたしは、妻のことを想うあまりにあの庭園を殺してしまい、一五年もの長い間なんの進展もなく放置してきた。だが、いまが再生の時だと思ったのだよ。もし妻が生きていて、授業であの庭園を使うかと思えば、答えはNOさ。生きていないのだから。だから、あの庭園はもうなくていい。もっともっと、妻の喜ぶような庭園を造るさ。まだ、わたしには、妻の残したコスモスがあるのだから」


         教授の目には力強さがあった。






シュークリームを食べ終え、それぞれがまったりと過ごしていると、急に拓哉先輩の薬缶が沸騰した。


「やべー!帰んなきゃ!」


「え?いきなりどうして?」


 なぜか訊き返すわたし。


「デ・エ・ト」


 拓哉先輩はこれでもかという笑顔を振りまいて部室を出ていった。


 やべえ。追いかけてぶん殴りてぇ。


 かといって、追いかけても疲れるだけなのでそのままにしていると、スッと、円先輩が近寄ってきた。


「うわーぁ!またですか。忍び足上手くなったんじゃないですか?」


 まくし立てるわたし。


先輩は「あ、いや、その、だな・・・・」わたしに負けてる。


先輩の右手は背中に隠れている。


「そ、その、あれでな、あの、・・・・」


「?」


 先輩は意味不明な暗号会話をしている。


 だんだんと耳が赤くなってきた。


「あの、先輩。一度、深呼吸しましょう。せーの・・・」


 二人で深呼吸をする。静かになる部室。


 時計の音だけが響く。


 先輩が意を決したようにつばを飲み込んだ。


 顔がまで赤くなっている。


「こ、これ、受け取ってくれないか・・!」


 先輩が背中から取り出したのは、一本の赤いバラだった。


「あ、はい。受け取るだけなら」


 わたしは、ひょいっと、バラを受け取った。


 先輩は数秒後に首をひねった。


「ところで、このバラはどうして?」


「お、お前が赤が好きと言ったから・・・」


 先輩の顔も赤い。


「いえ、色はいいんですけど、なんでバラなんですか?」


 先輩の顔がみるみる真っ赤になっていく。バラといい勝負だ。


「お、お前、オレの口から言わせる気か?」


「? じゃあネットで調べます」


 スマホを取り出すわたしを先輩が静止する。


「も、もう少ししたら、訳を話す。それまで待ってろ!」


「? はい。わかりました」


 わたしはそう応え、流しの下から透明な花瓶を取り出し、一本だけの赤いバラを生けた。




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