西洋美術史Ⅱ~疑惑の成績~(3話)
いままつ
私たちは教授室のドアをノックした。「は~い~」と、どこか間延びした声が中から返って来た。
「失礼します。種田先生」
種田教授。芸術心理学科の一教授でありながらも、実質的にこの大学を牛耳っている、怒らせると末恐ろしい存在である。そして、なぜ円先輩がここへ来たかと言うと二つの理由が考えられた。
① 芸犯の顧問が種田教授だから。
② これから立ち向かうのが巾教授だからだ。
種田教授は読んでいた本を閉じると、本棚に戻し、改めてこちらを見た。「随分大勢で来ましたね」そう言うと、「ホホホ」と笑い返した。まるで梟だ。
「種田先生。この大学において死活問題が生じました」
すると、種田教授は笑うのを止め、真っすぐに私たちを見た。
***
巾教授は引っ越しでもするかのように、教授室でいくつもの段ボール箱に大量の紙束を詰め込んでいた。
「よっこらせ」
「その箱をどうするんですか?」
円先輩がそう言うと、巾教授はハッと顔を上げた。その反動で段ボールを床に落とした。素早く拓哉先輩が段ボールを回収する。
「やっぱりそうだよ! レポート用紙だよ、ほら!」
円先輩が、その中の一冊を手に取る。
「このレポート……採点されていないようですが?」
「そ、そそ、それは……!」
そこへ「巾先生~」と間延びした声が響いてきた。ピリッと緊張感が私たちにも伝わって来た。
「た、種田先生……どうしてここへ」
「そんなことより~レポートは~採点したのですか~?」
俯く巾先生。どうやら予想通りらしい。
「レポートは……採点していない」
レポートを採点していなければ単位認定できない。だから『西洋美術史Ⅱ』を履修したほとんどの学生の評価が『F(不可)』評価だったのだ。
***
「巾先生……どうしてこんなことを?」
巾先生は動かない。
円先輩が「理由はこれさ」と言いながら、どこに持っていたのか、少し大きめの紙を広げて見せた。
「そ、それは!」巾先生が叫ぶように声を上げた。
「これは何ですか?」私は尋ねる。
「先生方の出勤簿のコピーさ」
「出勤簿?」
「そう。巾先生の出勤日、レポート提出期限の一月二十五日から二週間『忌引』となっています。事務の方から聞きました。奥様が亡くなられたそうですね」
そのためか。レポートを見る時間も心理的余裕もなかったのだろう。
だが、それは逃げにしかならない。レポートを評価しなくていい理由には、決してならない。
疑義を唱えようとする私たちを制したのは、誰であろう種田教授だった。
「あと一週間猶予を与えます。レポートを読んで採点してください。事務には手違いがあったと伝えますし、学生にも改めて正しい成績表を配布します」
巾教授が顔を押さえ「ううう……あるがとうございます、種田教授」
ただ、種田教授は声に力を込めて「あなたのためではありません。学生のためです。学生には、何の罪もありません」
「はい……」
(続く)