塑像製作演習~轆轤の罠~(1)
いままつ
私は彫刻科2年の風間カンナ。19歳の161センチ、体重シークレット。自分で言うのもあれだが、物静かな美女子―—
カサカサカサカサ……
この物音は!
「いやー! ゴキブリー‼‼」
私は跳び上がった。私だってうら若き一女子である。苦手なものはある。
と、そこへある男子学生が「エイヤー!」とハエたたきでゴキゴキを叩きのめした。
「風間さん。もう大丈夫だよ」
「で、でも、まだいるかも……」ゴキブリの生命力はすさまじいものである。一匹いれば何十匹と家族生活を送っているという。
そのゴキブリを退治してくれた男子学生は『原田牧市』といった。同じ学科なのだから当たり前なのだが、1年生のときから専門科目で一緒になることの多かった学生だ。専門科目が格段に多くなった2年生になってからは、ほぼ毎日のように顔を合わせている。
「大丈夫だよ。それに……」
それに……?
「風間さん、今日スカートだし」
ゲゲゲゲゲ‼
スカートの一部がめくれ、あられもない姿になっていた。
私はとっさに「ぎゃああああ! 見るなぁ!」と原田くんの顔面を殴りつけた。
***
「それで、私に何をしろと?」
ここは芸術犯罪解決サークル、通称『芸犯』の部室である。時刻は16時。うら若き女子たちが押し寄せていた。
今、事の成り行きを親友のカンナから聞いたところである。そのカンナと言えば、床におでこをつけるが如く願ってきた。
「その、お菓子の作り方を教えてほしいの」
お菓子?
「でですけクッキーじゃだめなの?」そう問うたのは部員ではない友人の同じ油絵学科の由里だ。『でですけ』とは、元はカンナが拾い上げた捨て猫であり、今ではカンナの愛猫である。その『でですけ』をモチーフに作られたのが、通称『でですけクッキー』ある。
「カンナちゃんのでですけクッキー美味しいよね。あ、ミホちゃんのクッキーもとても美味しいよ」そういうのは飛鳥先輩である。飛鳥先輩は単位欲しさに私の絵を模倣し、本物と偽って提出するという問題を引き起こした当の本人である。今はこうして女子グループの一員としてワイワイしているが、実は飛鳥先輩は必修単位を落としてしまい、留年したのである。だがそんな危機感を彼女から感じたことは一切ない。
「ん〜、まあ、十中八九、悪いのはカンナだからね。何かしら詫びはしないと。買ってきたお菓子じゃだめなの?」
「だめじゃないけど……それじゃ誠心誠意、謝っているとは見えないかと思って」
「確かに、その気持ちは分かるわ~」
「私も分かる~」
「確かに好きな人だからしっかり謝りたいわよね」
「ちょ、好きな人なんかじゃ……」
「違うの?」
「確かに優しいし、スタイルも顔も悪くないけど……でも、好きとかじゃないから!」
そう言うと、カンナは部室を飛び出していってしまった。
「もう。正直じゃないんだから」
そこにずいっと、長身の男が現れた。この人は環円先輩。大学院に通っている芸犯の部長である。
「なあ、お前ら別に集まりに使うなとは言わないが、事前に断り入って欲しいのだが」
「あー、はい。すみません。でも、今回は友人の緊急事態と言うことで」
と、ここで思った。
「円先輩。もらって嬉しいスイーツとかありますか?」
「何だ? 作ってくれるのか?」
「ただ訊いているだけです」
「そうだな。もらえれば何でも嬉しいが、今は夏だから冷たいものとかがいいんじゃないか?」
「なるほど。冷たいものですか」
「じゃあさじゃあさ」そう言いながら飛鳥先輩が提案してきた。
「それ良いかも」由里も賛同する。
「まあ、簡単に作れるから教えられるけど……。まずはカンナを捕まえないとね」
***
数日後。
「は、原田君……」
原田は「ん? なに、風間さん」そう、塑像製作演習の授業が終わったところで振り向いた原田が言う。
私は、手に持った紙袋を握りしめ、人気のないところへと原田を誘い出した。
「はい、これ」紙袋を手渡す。
「なに、これ?」
「このあいだ、ゴキブリを退治してくれたお礼」
「いやいや、あれぐらいでお礼されても、逆に僕の方が困っちゃうよ」
「いいから貰って……顔も殴っちゃったし」
原田は紙袋を開き「わあ。プリンみたいだけど、小豆が乗ってるね。これ、何?」
「バ……ババロアよ。お口に合えばいいけれど」
「うん。ありがとう、風間さん」
そう言い、原田は立ち去った。
……あれ?
私は空になった自分の両手を見た。何故かというと、なんかこう、もっとドキドキするものだと思っていたからだ。
ちょっとした寂しさを感じていた。
(続く)